北海道大学が解き明かした、海水から鉄が消えたのに「カキは海で育つ」理由
カキが旨い季節がやってきた。衣はカリッと身はジューシーなカキフライ、セリがたっぷり入ったカキ鍋、炊きたてのカキご飯。茹でたカキに甘味噌をつけて焼くカキ田楽もオツだ。カキ漁師は、海で採れたてのカキの殻からナイフで身を剥いて、海で洗ってそのまま生で食べるのが好みだという。レモンをちょいと絞ればなおさらよい。うーん、旨い!
そんなカキ漁師の旅の本が出版された。『カキじいさん、世界へ行く!』には、三陸の気仙沼湾のカキ養殖業・畠山重篤さんの海外遍歴が記されている。畠山さんは「カキ養殖には、海にそそぐ川の上流の森が豊かであることが必須」と、山に植林する活動への取り組みでも知られている。
「カキをもっと知りたい!」と願う畠山さんは不思議な縁に引き寄せられるように海外へ出かけていく。フランス、スペイン、アメリカ、中国、オーストラリア、ロシア……。世界中の国々がこんなにもカキに魅せられていることに驚く。そして、それぞれの国のカキの食べ方も垂涎だ。

【前回まで】
「おいしいカキは森が育てる」ことを身をもって知っている気仙沼の漁師たち。落葉樹の腐葉土がつくる養分は川を下り、珪藻を育て、カキの身を太らせる。一方で、人間の生活排水が川を汚せば赤潮が発生し、そのしわ寄せは海の環境汚染に即つながってしまう。山と海は恋人同士――その思いを行動に変えたのが、カキじいさんをはじめとする人々の「森は海の恋人運動」なのだ。
鉄を食べる植物プランクトンって、おいしいの?
わたしのカキ養殖場には、たくさんの子どもたちが体験学習に来ます。その子どもたちに、きれいな海ですくった植物プランクトンを一口飲んでもらうことがあります。
「少ししょっぱいけど(海ですからね)、キュウリの味がする」
と言った子がいました。そうです、これが植物プランクトンの味です。カキはこの植物プランクトンを食べて育つのです。
以前、漁師さんたちが山に植樹をしているという話をしました。ブナやナラなどの落葉広葉樹の葉が落ち、腐葉土になります。このとき「フルボ酸」というキレート物質が生まれます。キレートとは、ラテン語で「カニのはさみ」の意味で、鉄分を挟むような形になります。
鉄は酸素にふれると錆びて沈殿してしまいます。ところがキレートのかたちになると、酸素と出合っても錆びず、水に浮かぶのです。こうして森から海に鉄分が運ばれます。
じつは森の植物プランクトンの発生にいちばん大切な成分は、鉄なのです。植物の緑は葉緑素(クロロフィル)といいます。葉緑素は二酸化炭素(CO2)を炭素(C)と酸素(O2)に分解する光合成というもっとも大切な仕事をしています。でも、鉄がないと葉緑素はできないのです。
植物を育てるときに、肥料をやりますね。肥料の三要素は、窒素、リン酸、カリウムです。なかでも植物は窒素をたくさん必要とします。窒素は海の中では、硝酸塩というかたちになっています。植物プランクトンが硝酸塩を体の中に取り込むとき、まず先に鉄を体の中に入れておかねばなりません。硝酸塩を酸素から切り離して、還元しなければならないからです。
硝酸塩を還元すると、窒素が得られるのです。まず鉄がなければ、植物プランクトンが増えることはできないのです。
世界中には、どんなカキがあるの?
グリコーゲンやタウリンを多く含むカキは「海のミルク」といわれ、世界中のたくさんの人々に愛されています。どんなカキがあるのか見てみましょう。アメリカの東海岸のカキは「アトランティック・オイスター(大西洋ガキ)」といいます。貝柱が付着しているところの貝殻が青紫色をしているので、「ブルーポイント」と呼ばれています。殻は平べったく、独特の味わいがあります。
サンフランシスコから北のアメリカ西海岸のカキは「オリンピア・オイスター」といい、かなり小ぶりで成長するのに時間がかかります。もともとアメリカにはヴァージニカとオリンピアしかいませんでした。このほか、百年前、沖縄出身の宮城新昌が宮城種の移植に成功した「パシフィック・オイスター(太平洋ガキ/マガキ)」が、今でも養殖されています。
フランスのカキ生産者は、古くから「ポルトケーゼ」というカキの種苗をポルトガルから輸入していました。ところが60年ほど前、ウイルス性の病気が発生し、ほぼ全滅しかけたのです。そこでフランスの生産者が目をつけたのは、百年前にアメリカの西海岸に日本から運ばれて養殖に成功していた「マガキ」の種苗「宮城種」でした。
ポルトケーゼはマガキとよく似ていますが、殻のまわりのギザギザがゆるやかです。フランスのブロン川河口付近でとれるのは、ブロンというブランド名で知られる「ヨーロッパヒラガキ」です。平たくて丸みを帯びた貝殻です。
オーストラリアに自生するカキは「シドニー・ロックオイスター」で、ニュージーランドには「ブラフ・オイスター」があります。カップ型の小ぶりなカキです。
日本の熊本県の八代海の河口では「クマモト」が生産されています。県の名前のまんまですね。小ぶりで丸みを帯びた殻をしています。
フランスには、大きな銀盆の氷の上に殻付きカキやムール貝、アサリ、塩ゆでしたカニやエビなどを盛った「フリュイ・ド・メール(海のフルーツ)」という豪快な海鮮料理があります。レモンを絞ったり、ソースをつけてとれたての味を楽しみます。
生命にとって鉄はどれほど大切なの?
もう何十年も前のことです。NHKの番組に北海道大学水産学部教授(当時)の松永勝彦先生がご出演されていました。松永先生は、海水の中に含まれる微量成分の分析が専門の分析化学者です。『森が消えれば海も死ぬ――陸と海を結ぶ生態学』という本を書かれています。
松永先生は、川の流域の森林全部が、魚を育む「魚付林」の役目をしているといいます。森林の落ち葉が腐ると、腐葉土になります。この中に、海の植物プランクトンを育てる養分が含まれているというのです。わたしはすぐに北海道大学に行き、松永先生に教えを請いました。そして、「鉄と植物プランクトン」のお話を伺ったのです。
今から約46億年前、地球が生まれました。そのころ、地球のまわりの大気はほとんどが水蒸気で、二酸化炭素と窒素が混じっていて、酸素がほとんどありませんでした。やがて地球は冷えてきて水蒸気が水となり、酸性雨が降ったのです。酸は地表の鉄を溶かし、海水に鉄が流れこみました。じつは地球の3分の1は鉄でできています。地球は鉄の惑星なのです。
やがて「シアノバクテリア」という植物が地球に生まれ、光合成を開始したのです。光合成によって海水中に酸素が増えると、鉄は酸化し、粒子になります。粒子は重く、海底にどんどん沈んでいきます。約15億年かかって、海水から鉄が消えたのです。だから海は貧鉄だというのです。
カキのえさになる植物プランクトンは、鉄がなければ増えることができません。植物は光合成によって二酸化炭素(CO2)をC(炭素)とO2(酸素)に分けます。地球の七割は海ですが、人間の出しているCO2の大部分は植物プランクトンが光合成をして取り込んでいるのだそうです。海にも大切にしたい大森林があるのですね。
では、鉄はどこから来たのでしょう。1つ目の道は、山から栄養分として流れてくるものです。2つ目の道は、中国大陸から飛んでくる黄砂の中に濃い「鉄分」が含まれているのです。分析化学者は、海ばかりか空中の物質も調べているのです。

連載『カキじいさん、世界へ行く!』最終回
構成/高木香織
●プロフィール
畠山重篤(はたけやま・しげあつ)
1943年、中国・上海生まれ。宮城県でカキ・ホタテの養殖業を営む。「牡蠣の森を慕う会」代表。1989年より「海は森の恋人」を合い言葉に植林活動を続ける。『漁師さんの森づくり』(講談社)で小学館児童出版文化賞・産経児童出版文化賞JR賞、『日本〈汽水〉紀行』(文藝春秋)で日本エッセイスト・クラブ賞、『鉄は魔法つかい:命と地球をはぐくむ「鉄」物語』(小学館)で産経児童出版文化賞産経新聞社賞を受賞。その他の著書に『森は海の恋人』(北斗出版)、『リアスの海辺から』『牡蠣礼讃』(ともに文藝春秋)などがある。2025年、逝去。
