受信料のためなら自社の記事を「ウソ」と切り捨てる…新聞もテレビもスルーした「NHK会長の失言」の深すぎる闇

■「本当の情報か、偽の情報か、よくわからない」
その発言に耳を疑った。11月27日の衆議院総務委員会での質疑で、立憲民主党の道下大樹議員からNHKサイトの更新停止や、コンテンツ削除について問われ、NHKの稲葉延雄会長は、次のように言い放ったのである。
重要なのは、この後との対比である。
いまは「正しい情報」だが、かつての「政治マガジン」は「ほんとの情報か、偽の情報か、よくわからないんだけどおもしろい」。そう答弁しているのである。NHKのトップが自分の組織で出していた情報を疑うどころか、真偽不明とまで国会答弁で言い切ったのである。真意を疑うほかない。
■元NHK記者からの問題提起
ニュースサイトSlowNewsでは熊田安伸氏が、このやりとりをもとに〈NHK稲葉会長への公開質問状「過去のネット配信では正しい情報を出していなかった」のならば即座に国民に謝罪し、不正確な内容を示して修正すべきではないのか…現場から怒りの声が〉(2025年12月1日11時30分配信)という記事を書いている。そこでは「『政治マガジン』に出ていた正しくない情報というのは、具体的にどの記事のどういう内容のことか」との問いから、「会長としての国会での発言なのだから、これはNHKの総意として受け止めてよいか」まで8項目が並ぶ。
熊田氏は元NHK記者であり、稲葉会長の挙げた「政治マガジン」を担当してきた。怒りというか当惑は、察するにあまりある。
もし会長の発言が「正しい」のなら、熊田氏が述べる通り「長期間にわたって不正確な情報を流し続けてきたことになり、それこそ大スキャンダル」である。もちろん、熊田氏をはじめ、現場の職員たちは、これまでも、いまも、そして、これからも「正しい情報を提供」しているに違いない。
■NHKのネット記事は「民業圧迫」なのか
「政治マガジン」は、上記の熊田氏の記事によれば、日本政治を題材に、「知られざる政治決断の背景を描いたスクープや、通常の政治ニュースでは報じられない背景を深掘りした記事を、読みやすく配信していました」。
ただ、2024年3月に「政治マガジン」は更新を停止している。そして、今年10月1日からウェブサービスを一新したのにあわせて、NHKは過去の記事をすべて削除している。この点も含めて、SlowNewsの熊田氏は、「今後のメディア全体に関わる大きな問題」だと訴えている。
なぜ、そこまで熊田氏は大きくとらえるのだろうか。
その理由は、この稲葉発言に至る経緯にあるのではないか。熊田氏が整理しているように、2018年に始まった「政治マガジン」は、日本新聞協会や民間放送連盟(民放連)から「民業圧迫だ」と言われてきた。
NHKが受信料収入や、国からの予算(税金)をもとに集めた情報を、無料でウェブに提供するのは、まかりならん。そんな理屈というか、屁理屈というか、批判を浴びせてきた。
■「ネット業務必須化」の裏で起きたこと
なるほど、新聞社のオンラインコンテンツを有料で購読する読者は多いとは言えない。公表はされていないが、いや、公表しない時点で、少ないと想像するほかないが、米国のニューヨークタイムズのデジタル購読者数=1176万人には遠く及ばないのだろう。

新聞社も民放も、どちらも、無料で大量のニュースをウェブ上に配信しているものの、それはあくまでも民間の自由競争の一環であり、国費を投入されているNHKを同列に扱ってはいけない、そんな言い分を端的にあらわそうとしたのが「民業圧迫」だった。
その後の紆余曲折を経て放送法が改正され、NHKの「ネット業務必須化」が定められる。ただ、ネット上に配信できるのは放送と同じ内容に限られている。だから、「政治マガジン」などのネット発のコンテンツは更新を停止するだけではなく、全部消去しなければならなかった。
しかし、「政治マガジン」は本当に「民業圧迫」だったのだろうか。それほどの影響力を持っていたのだろうか。
■新聞の主張は「因果関係」を証明できない
新聞社や民放の言い分は、にわかには首肯しがたい。「民業圧迫」については、「その裏付けになるデータは存在していませんでした」と熊田氏が指摘するだけではなく、もとより、因果関係を証明できないのではないか。
風が吹けば桶屋が儲かる、とまでは言えないとしても、仮に、「政治マガジン」など、NHK NEWS WEBに掲載していた内容が、多くのPVを集めていたとしても、どこまで新聞社や民放から奪ったのかは、明らかにしがたい。
わかりやすくするために、飲食店で想像してみよう。繁盛していたラーメン屋よりも、隣に新しくできた同業他店のほうが客を集めたとしても、因果はクリアにはならない。新しい店をめがけて来た客がいるかもしれないし、前からある店が飽きられただけかもしれない。
一見するとわかりやすそうな飲食店でさえ、「圧迫」したかどうかは決められない。それなのに、インターネットサイト、それも、ニュースについて、NHKなのか、新聞・民放なのかを、どんな基準で選んでいるのか、その影響については、わからないのではないか。
それなのに、いや、そんなあいまいな状況だからこそ、NHKは「民業圧迫」批判を唯々諾々と受け入れたのではないか。ほかならぬNHKにとってこそ、この非難は渡りに船だったのではないか。
■受信料の支払い督促を「10倍超」に拡大
それは、時あたかも、この稲葉会長発言にある「10月1日からやっているNHKの、ネット社会に対する配信業務」(NHK ONE)と同じ日付に設置した「受信料特別対策センター」にあらわれている。これは、受信料の支払い督促強化のための新しい組織であり、ここにNHKの真意があるのではないか。

朝日新聞の宮田裕介記者の「NHK、受信料の未払い世帯に督促強化へ 民事手続きの新組織を設置」と題した記事によれば、「支払い督促を今年度下半期だけで昨年度の10倍超に拡大する予定」だというから、力の入れ具合が違う。
読売新聞によれば、NHKの「(受信)契約総数は、過去最高だった(20)19年度末の4212万件からコロナ禍などで減り始め、(2025年)9月末現在、4043万件」だという。その反面で、契約しているのに1年以上滞納している不払い(未収)の契約者数は右肩上がりで、2019年度の72万件から5年間で2倍以上の174万件と、25人に1人は支払っていない。
受信料収入は、2023年10月に1割値下げした影響もあり、2018年度末の7122億円をピークに、2024年度には5901億円に下がっている。
NHKが「政治マガジン」をはじめとするウェブ業務を縮小する。それに伴いテレビやラジオの放送業務に注力する。そのためには、原資たる受信料を少しでも増やさなければならない。そこで「受信料特別対策センター」を作って、簡易裁判所に申し立て、差し押さえや強制執行、さらには民事訴訟にも踏み出す。
■オールドメディアの「護送船団方式」
他方で、NHKがほぼ撤退したと言えるウェブでは、その分のPV(のおこぼれ)を新聞社や民放が分け合う。そうすれば、新聞も民放も業務を続けられる。
これぞ「護送船団方式」にほかならない。かつて日本の金融行政を指したことばで、行政(旧・大蔵省)の指導のもと、銀行も証券会社も、みんな守られた船に乗って、みんなで抜け駆けも落ちこぼれもせず、生き残る。そんなぬるま湯というか、欺瞞に満ちた仕組みをあらわすことばである。
稲葉会長が、「ちょうどネットの社会で」と限定しているのが興味深い。彼によれば、テレビ視聴者やラジオ聴取者とは異なり、「ほんとの情報か、偽の情報か、よくわからないんだけどおもしろい。というのがもてはやされるような、そういう傾向がなかったか」と疑うような、そんな「社会」なのである。
そこには護送船団方式が通用しないから、もう撤退すれば良い。「ネット社会」ではない、現実の社会に生きる人間から、裁判に打って出ても、ともかく受信料を集めるのだ、そんな決意が込められているのではないか。
■「公開質問状」に対してNHK広報局は…
先に挙げたSlowNewsの熊田氏からの「公開質問状」に対して、NHK広報局は「稲葉会長の発言の真意は、これまでのサイトの情報が正しくなかったということではありません」とした上で、「政治マガジン」などの「理解増進情報として配信してきたコンテンツは、真偽が不確かな情報があふれるネット空間において、確かな情報を提供する役割を果たしてきましたが、今後は新たな枠組みのもとで、同様の役割をよりしっかりと果たしてまいります」と答えている(〈NHKが稲葉会長発言を全面撤回!「政治マガジンは確かな情報を提供してきた」ならば会長は国民と職員に謝罪し、速やかに議事録の訂正を〉SlowNews、2025年12月4日11時30分配信)。

味わい深いというか、病膏肓(やまいこうこう)に入る、という以外に表現が見つからない。なぜなら、このNHKの回答でさらに、新聞も民放も報じないと思われるからである。今回の稲葉会長の発言については、熊田氏がSlowNewsで報じているほかに、ほとんど他社での報道が見当たらない。
■なぜNHK会長の「失言」を報じないのか
時あたかも、稲葉氏の次の会長に、いまの副会長・井上樹彦(たつひこ)氏が任命された。このニュースは、NHKみずからを含めて、ほぼ全てのメディアが、大きく報じている。たしかに、18年ぶりの内部出身者であり、国内のみならず世界にも名を轟かす放送局のトップ人事なのだから、大きく扱わないわけにはいかない。
であればなおさら、いまのNHK会長の、それも、国会審議での「失言」を、ほぼ、どのメディアも取り上げないのは、なぜか。そこに加えて、上記のように木で鼻をくくったような、肩透かしのような答えをNHKが出している以上、これまでよりさらに、同業他社はスルーするのではなく、追及すべきではないか。
井上・次期会長の就任にあたっての記者会見で、どのメディアが、どこまで、この稲葉会長発言について、問いただしたのだろうか。記事を見ているかぎり、ほとんど見当たらない。
これを護送船団と言わずして、なんと言えば良いのか。
問題はNHK会長の発言だけではない。その発言を報じない同業他社を含めた、日本のメディア全体が問われているのである。
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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)
