ヤマダHD会長兼社長山田昇の人材育成論「伸びる人は、現場を大事に、努力し続ける人!」
創業から50年余の今は『第3の創業期』
ヤマダホールディングスの創業は1973年(昭和48年)。昨春、創業50周年を迎えた。
「創業50周年を迎えて、一つの節目かなと思っています。この10数年来、取り組んできた改革を実現させていかなければならない。また、成果を出していかなければならないスタートの年かなと思っています。いろいろやってきましたけれども、少しずつ芽が出てきたのかなと」
同社創業者で会長兼社長CEO(最高経営責任者)の山田昇氏(1943年=昭和18年2月生まれ)は創業50余年を迎えた心境をこう語り、この間やってきた改革を「長期戦略の中で、確実に進めていきたい」と語る。
そして、「わたしもいい歳になりましたけれども、少なくとも将来の方向付けはできたかなと。後は、人材をいかに育成していくか。これが大きなテーマと思っています」と、山田氏は人材育成が現在の大事な仕事の1つという認識を示す。
山田氏は、現在を『第3の創業期』と位置付ける。
宮崎県出身の同氏は高校卒業後、上京して日本ビクターに入社。群馬県内の工場で働いた後、30歳の時に独立した。
『ヤマダ電化サービス』として起業し、〝街の電気屋〟としてスタート。松下電器産業(現パナソニックホールディングス)の系列家電店として、夫婦2人で働き、当初8坪(26平方メートル強)だった小規模店舗は、5年後に5店舗、年商6億円にまで拡大。
この時から、『お客様第一主義』を掲げ、家電製品の販売のみならず、修理、引き取り・廃棄など、今日の環境問題につながる事業にも取り組み、地域に融け込む経営に徹した。
創業時の1973年は、第1次石油危機が起きた年。さらに、1978年には第2次石油危機が起き、日本経済は不況局面を迎えた。
このような時代に同社は成長。日本経済全体が混沌・混乱にある中で、創意、工夫で店舗を増やしていたことは、起業家・山田氏にとって自信となった。
『第2の創業期』は1980年代から2000年代にかけて。家電量販店としてのポジションを確立し、売上高日本一を果たす時期となる。
消費者に〝豊かな暮らし〟を提案するための店舗づくりということで、『テックランド』(郊外型総合家電店舗)や、都市型大規模店舗『LABI』を開発。これは家電量販店の世界に新風を吹き込んだ。
5000坪(約1万6500平方メートル)近い大型店を家族がマイカーで訪れ、家電を購入するという生活スタイルがこの頃から定着。そうした購買スタイルを同社がつくり上げてきたと言っていい。
