by Jared Lindsay

1980年代に「Atari 2600」などを開発したアタリは、サードパーティー製の低品質なソフトが市場にあふれたことなどからゲームソフトの低価格化を招き、経営を悪化させることになりました。これを回避するために任天堂は厳格なロット管理システムを導入しましたが、ゲーム会社のテンゲンなどは管理からの逸脱を試みました。テンゲンがどのように任天堂の目を逃れようとしたのかについて、開発者のニコール・ブラナガン氏が解説しています。

The games Nintendo didn't want you to play: Tengen

https://nicole.express/2022/the-center-point-can-not-hold.html

アタリは経営改革により、コンシューマー部門をアタリコープとして分割し売却。残ったアーケード部門をアタリゲームズと改称しました。その後、アタリゲームズで再びコンシューマーゲームを取り扱うことになったとき、「アタリ」の名称が使えなかったことから、囲碁用語の「天元」を由来とした子会社「テンゲン」が作られました。

テンゲンは任天堂がNintendo Entertainment System(NES)をアメリカで展開し始めると、アタリのヒット作「ガントレット」などの作品をNESへ移植しました。



しかし、任天堂は欧米へNESを投入するにあたり、Atari 2600に低品質のサードパーティー製ソフトが市場にあふれたことで消費者の購買意欲がそがれたアタリショックのような事例を回避するため、NESに「10NES」のようなコピーガードを搭載し、サードパーティー開発者にライセンスを付与するプログラムを実施して対策を施していました。テンゲンはこれを回避するため、任天堂のロックシステムをなんとかして無効化しようと試みました。

10NESは乱数をやりとりするプログラムが動作する小さなマイクロコントローラーを含むもので、これはカートリッジのマイクロコントローラーと通信し、通常のパターンとの不一致を検知すると1秒間隔でNESにリセットをかけ、ゲームのプレイを阻害するというものでした。

NES用のゲームソフトを開発していたCamericaは、カートリッジに負電圧を生成するシステムを搭載してリセットをかける動作を途中で中断しようと試みましたが、これはともするとゲーム機本体に損害を与えかねないものでした。そのため、テンゲンはこれとは別に本体と通信するカートリッジのクローン「Rabbit」を独自に開発し、任天堂の正規カートリッジだと誤認させることにしました。



テンゲンは「パックマン」や初期の「テトリス」では任天堂のライセンスを受けていましたが、「ガントレット」や「アフターバーナー」などでは任天堂のロックシステムを回避しました。



ただし、テンゲンがRabbitを作成できたのはアメリカ著作権局からロックシステムのコードを盗用していたため。テンゲンは任天堂を独占禁止法違反で訴えていましたが、任天堂は逆にテンゲンをコード盗用などで訴え返し、最終的に任天堂に有利な条件で和解しています。