検察庁法改正案をめぐって芸能人の「政治的発言」に注目が集まった。ドイツ出身のコラムニストのサンドラ・ヘフェリン氏は「日本では義務教育から周りと同じであることを求められ、政治を語らないことが暗黙の了解とされてきた。『意見を持つ』ことを重視するドイツと決定的に異なる」という--。
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■有名人の政治的発言に厳しすぎるニッポン

検察官の定年延長を可能にする「検察庁法改正案」の審議をめぐって、インターネット上では反発の声が上がっています。ツイッターでは「#検察庁法改正案に抗議します」のハッシュタグのもと、多くの芸能人も反対を表明していることに世間では称賛の声が上がる一方で、「タレントなのに政治的な発言をするな」とバッシングの声も多く聞かれます。

たとえば歌手のきゃりーぱみゅぱみゅさんがツイッターで冒頭のハッシュタグにて反対の立場であることを発信したところ、政治評論家の加藤清隆氏が「歌手やってて、知らないかも知れないけど」「デタラメな噂に騙されないようにね」などとコメントをしました。

このことが一般の人の間でも是非をめぐって論争となり、きゃりーぱみゅぱみゅさんはその後ツイートを削除しました。

また、歌手で女優の小泉今日子さんが自らが経営する「株式会社明後日」のアカウントで、ツイッターで反対の立場であることを表明すると、「タレントが政治的発言をすることへの違和感」をテーマにした記事が組まれたり、ネットで「不倫をしたくせに」という批判的なコメントが飛び交いました。

日本の世間は「政治的な発信をする芸能人」に対してやたらと厳しいのです。なぜ日本では「芸能人は政治的発言をすべきではない」という意見が幅をきかせているのでしょうか。

■教育の前提が「同じものを探そう」になっている

先日SNSで小学校4年生の国語の教科書が話題になりました。

教科書には「こんなところが同じだね」というタイトルのもと、「グループになって、友達との共通点を探そう」と書かれています。「筆箱の色とシャツの色が同じだね」「朝起きた時間が同じだね」などといった例が挙げられています。

人との共通点を見つけること自体は悪いことではありません。しかし色んな教えがある中で「共通点を探すこと」ばかりを優先してしまうと、「全員が同じであることは良いこと」という価値観が子供たちに植えつけられてしまいます。

「同じ教室にいる小学生なのだから、共通点は絶対にあるはず」という前提のもと教育が行われており、子供たちには「同じ空間にいる人とは同じことをしなければいけない」という期待がかけられています。

ただこの「期待」も一歩間違えると「押しつけ」かもしれません。というのも、この課題からは「自分は皆と違ってこれが好き!」という意見や発信が歓迎されるとは思えません。

中学校になると部活動が待っていますが、ここでもまた個人の意見などまるで尊重されない体育会系の世界が待っています(※)。部活に入ってしまったら最後、どんなに練習量が過酷で睡眠不足になろうとも、どんなに理不尽なイジメに遭おうとも、「やめる」という選択肢は用意されていないことが多いです。

※素手で便器掃除、黒髪指導、下着は白…ドイツ育ちの作家が驚く「校則」の謎

内申書に影響が出ることを恐れ、耐えた結果、精神的に病んでしまったり自殺に追い込まれるケースもあり、ニッポンの部活は一部とはいえ「一歩足を踏み入れたら、そう簡単には抜けられない」ダークな世界と化しています。

■「意見を言う」ことに否定的なニッポンの学校

「先輩・後輩」の上下関係も厳しいことから、基本的には「自分の立場にふさわしい言動」しか認められていません。校則とは別に部活独自の「部則」を設けているところもあります。

筆者の知人女性が通っていた学校では「朝練に遅刻してきた人をその日一日皆で無視する」という部則があったのだそうです。こんなスパルタな場では自分の意見を言う余地など全くありません。

日本では生徒が「意見を言う」ことに対して学校が否定的な見方をすることが少なくありません。その根底には「まず自分のやるべきことを、全部完璧にこなしてから、意見しなさい」という教育方針があります。

しかし世界を見渡してみると、声が大きかったり、自分の意見をはっきり言ったりする人が「やるべきことを完璧にやっている」かというと、決してそうではありません。「意見が言えるために、自分がやるべきことを完璧にやろう」なんて思っているうちに、国際社会ではどんどん声だけが大きい人に追い越されてしまいます。

政治について発信するタレントに対して「もっと勉強しろ」などというバッシングも見かけますが、勉強をするもしないもいわばその人の勝手です。「政治的な意見を言う」前に一つ義務があるとしたら、「投票権がある人は投票に行く」ということぐらいでしょうか。

■「意見を持つ」ことを教えるドイツの学校

日本の学校では先生の中立が重んじられるあまり、生徒と先生の間で政治的な議論や意見交換がされていません。

長年の学校生活、そしてその後の社会人生活においても、気軽に政治の話をすることはほぼないため、「政治については語らない」が日本では暗黙の了解となってしまっています。だから、歌や演劇などの分野で活躍する芸能人が「政治」について語ると、違和感を持ってしまうのではないでしょうか。

実はドイツの学校でも先生の中立が求められていますが、その中立は日本でいう中立とはだいぶ違います。ドイツの政治教育の目標は生徒が「政治の知識だけを身につけるのではなく、政治について自分の意見を持てるようになること」です。

そのため先生には「生徒の意見を引き出す役目」があります。「生徒が自分の意見を言うこと」が優先されるため、生徒が受動的で自分の意見を言わない場合、先生があえて自分の意見を述べることで議論の活性化を図ることがあります。

もしも生徒の意見がどれも似たようなもので、意見に多様性が見られない場合は、先生があえて反対意見を言い、生徒たちに反論の機会を与えることもあります。逆に生徒間でさまざまな政治的意見が飛び交い議論が活発になっている場合、先生は自分の政治的な意見を言うことはありません。

日本でいう先生の政治的な中立というのは「先生が政治に対する自分の考えを生徒の前で言わないこと」ですが、ドイツにおける中立とは、先生が教室でさまざまな意見が飛び交う環境を作り上げることなのです。

■ドイツにおける政治教育の基本原則「ボイテルスバッハ・コンセンサス」

ドイツの学校の政治教育は「ボイテルスバッハ・コンセンサス」の基本原則に沿って行われます。

1970年代に政治教育研究者らがまとめたこのコンセンサスの原則には、

圧倒の禁止の原則:教師は期待される見解をもって生徒を圧倒し、生徒自らの判断の獲得を妨げることがあってはならない
論争性の原則:学問と政治の世界において論争がある事柄は、授業においても論議があるものとして扱う
生徒志向の原則:生徒が自らの関心・利害に基づいて、効果的に政治に参加できるよう、必要な能力の獲得を促す

とあります。

日本の学校現場では「中立」を大事にするあまり、学校や先生が「政治には触れてはいけないもの」という雰囲気が作り上げられているのは大きな問題です。民主主義の社会にふさわしい大人を作るためには、学校で生徒間の活発な議論を促すことが大事です。

しかし日本では政治という分野が学校でも社会でも「さわらぬ神にたたりなし」という扱いになってしまっています。デモをする一般人が奇異の目で見られたり、政治的発言をする芸能人がバッシングされたりする背景にはそういった「日本社会の暗黙の了解」があるのではないでしょうか。

■「欧米では政治について話すのはタブー」という誤解

日本で誤解されていることの一つに「欧米では政治について話すのはタブー」というのがあります。筆者自身、日本人から「ヨーロッパでは政治について話すのはタブーなんでしょ」と聞かれたことがあります。

たしかにビジネスの場で政治の話をすることはありません。目的はビジネスを成功させることなのですから、ここでは余計なことを言わないというコンセンサスがあるのは確かです。

しかし前述のように、学校や友達同士の間で政治の話をすることは珍しくありません。長い付き合いのなかでは、必然的にその人が政治的にどういう考え方なのかは伝わってきますし、とくに避けるような話題でもありません。

政治について「語れる」のが民主主義の国であり、政治について意見を述べることが「憚(はばか)られる」のは独裁主義の国だというのが、ドイツ社会のコンセンサスです。

■日本の芸能人が政治的・社会的発言をあまりしない理由

今まで日本のタレントはあまり政治的な発信をしてきませんでした。政治的なカラーがついてしまうとCM起用の話が来なくなることを懸念しているからだといいます。そのためタレントは、どんな商品のコマーシャルの話がきても良いように、普段からあまり「個」を出さないという事情があるようです。

タレント自身がどの政党を支持しているか公にしてしまうと、せっかくファンだった人が「自分が支持している政党と違うから」という理由でファンをやめてしまうかもしれない、という懸念もあります。つまりCM起用や人気を考えて「カラー」を出さないようにするというのがいわば日本のタレントの宿命です。

欧米の場合は、恵まれた環境にいる有名人こそ、その影響力を使って社会に何らかの形で貢献しなければいけない、という「ノブレス・オブリージュ」(高貴な者の義務)に基づいた考え方が一般的です。有名人が多額の寄付をしたり、政治的なことも含めて社会問題に言及をすることこそ【あるべき姿】だと思われているわけです。

■「女性に難しいことを語ってほしくない」という世間の本音

日本では特に「女性」のタレントに対して「キャンバスのように真っ白であってほしい」と望むファンが少なくありません。

テレビ番組も「年上の男性がきれいな女性タレントに何かを教えてあげている」ような構成になっていることが少なくありません。そういった中で女性タレントは自分の意見を言うことよりも、「うん、うん」と相槌を打つことが求められている印象です。冒頭で紹介したきゃりーぱみゅぱみゅさんの場合も、意見の発信後に即「男性」から諭される流れになってしまいました。

「真っ白なキャンバスのような存在」でいることを求められている日本の女性タレントが「お弁当」や「子育て」「ファッション」以外のテーマ、例えば政治について発信すれば、すぐに「え? いきなりどうしちゃったの?」と不思議がられてしまいます。

そこには「タレントは政治的発言をすべきではない」という考えのほかに、「女性に難しいことを語ってほしくない」という困った世間の本音も見え隠れしているのでした。

日本では政治家の世襲が多く、しばしば問題視されています。しかし「元から政治に縁のある人」にしか政治的な発信が許されないのだとしたら、それこそ間接的にではありますが、世襲の政治家を応援してしまうことにつながります。

いっけん政治に縁のないと思われる人の発信にも耳を傾けないと、政治の世界はますます「世襲のおじいさんだらけ」になってしまうのではないでしょうか。

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サンドラ・ヘフェリン著述家・コラムニスト
ドイツ・ミュンヘン出身。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「ハーフ」にまつわる問題に興味を持ち、「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。ホームページ「ハーフを考えよう!」 著書に『ハーフが美人なんて妄想ですから‼』(中公新書ラクレ)、『体育会系 日本を蝕む病』(光文社新書)など。
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(著述家・コラムニスト サンドラ・ヘフェリン)