ジュニアユース以来、久々にG大阪のユニホームを身に纏った昌子。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)

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 2月3日に正式発表された昌子源の日本復帰は、日本サッカー界に衝撃を与えた。

 復帰先が鹿島アントラーズではなく、ジュニアユース時代を過ごした“もうひとつの古巣”ガンバ大阪だったこともそうだが、まだ27歳で日本に帰還するには早すぎるタイミングだったからだ。

 2月14日に行なわれたJリーグのキックオフカンファレンスに登場した昌子は、1年半でトゥールーズを退団した理由について、「選手ファーストじゃなかった」と切り出し、こう続けた。

「右足首の怪我が長引いていた。最初の診断ではこんなにかかるはずじゃなかったのに、4か月もかかった。いまでこそカズさん(三浦知良)やヤットさん(遠藤保仁)みたいに長く現役を続けている方もいますが、選手寿命は平均的に短い。例えば、35歳までどれだけ100パーセントできるかと考えたら、メディカルスタッフとの関係はとても大事。だけど、トゥールーズとは合わなかった」
 
 2019−20シーズンはその右足首の怪我に悩まされ、1試合しかも45分しかプレーできなかった。

「『骨と靭帯には異常がないからプレーしろ』と言われたけど、痛みがあった。『日本で診察したい』と言ったら始めは『ノー』と言われた。何とか了解を得て、日本で診てもらったら、違う診断だった。詳しくは言えないですけど、それをクラブに伝えたときの返答にも違和感を持った」

 その後、日本で治療したいと訴えたところ、許可が下りなかったという。

「治るというイメージが見えなかった。トンネルの出口が見えない感じ。トゥールーズのことを悪く言うわけではないですけど、実質的に診断ミスみたいな感じだったので……」

「自分のことを一番に考えてくれていない」

 そう感じたことが、退団を決意したいちばんの決め手となった。

 欧州内での移籍も視野に入れ、他のクラブでプレーしたことがある選手に連絡して情報を集めたが、「移籍したところで、そこのメディカルスタッフが良いかどうかはわからなかった。完治するまで待つという選択肢もあったけど、それまでの時間が無駄だと思った」
 
 さらに、リーグ・アンには怪我で3か月プレーしていないと給料が支払われないという規定があったという。

「僕も家族がいるので、いつ復帰できるかわからないなかで、無給というのは正直厳しかったですね」

 こうして、日本へ復帰することを決断した昌子。故障の回復具合が気になるところだが、昨季王者である横浜F・マリノスとの開幕戦については、「まだ1週間あるし、プロである以上そこを目指してやっている」とし、出場に含みを持たせた。

「久々のJリーグなんで、レベルを確かめる意味でも、王者の横浜とやれるのは大きい」

 1年半とはいえ、フランスでの経験を経た日本代表DFが、帰ってきたJの舞台でどんなパフォーマンスを見せてくれるのか。大いに注目だ。

取材・文●江國森(サッカーダイジェストWeb編集部)

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