DVDのレンタル事業から急成長を遂げたNetflix(ネットフリックス)は、2000年代にはアメリカのレンタルチェーン大手、ブロックバスターと覇権を争うようになる。世界最大のレンタル店を倒すため、ネトフリがとった“奇策”とは――。(第3回、全3回)

※本稿は、ジーナ・キーティング著、牧野洋訳『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』(新潮社)の第10章の一部を再編集したものです。

ゲーム見本市「E3」のイベントで、オリジナル動画に基づくゲーム製作の取り組みを説明する動画配信大手ネットフリックスの担当幹部ら=2019年6月12日、アメリカ・ロサンゼルス(写真=時事通信フォト)

■映画スターを呼び野外映画上映ツアーを敢行

当時のネットフリックスのマーケティング戦略は、かつてのレコメンドエンジン「シネマッチ」や熱狂的な口コミといった「消費者との感情的なつながり」から、「消費者との合理的なつながり」へ変貌していった。

成功のカギとされたのは最高のソフトウエア、論理的なユーザーインターフェイス、圧倒的な品揃えだ。これで消費者がネットフリックスを選ばないなんてあり得ない! CEOのリード・ヘイスティングスとマーケティング責任者のレスリー・キルゴアにしてみればこれで完璧なのだった。

しかし、真に偉大なブランドになるためには「感情的なつながり」を育まなければならないと考える広報責任者のケン・ロスは、過去の名作や往年の映画スターが持っている「魔法のパワー」を活用することにした。

2006年夏に全米10カ所で展開した野外映画上映ツアー「ローリング・ロードショー」だ。上映場所は映画の中に出てくる有名なロケ地ばかり。そこに熱心な会員やマスコミ関係者を招いて、ネットフリックスブランドに愛着を覚えてもらうのが狙いだった。

ローリング・ロードショーには著名な映画スターが何人も参加した。06〜07年の参加者にはケビン・コスナー、ブルース・ウィリス、ケビン・ベーコン、デニス・クエイドが含まれていた。もちろん何らかの見返りがなければ参加するはずがない。この点でロスは妙案を思いついた。ロックバンドを同行させるのだ。

■ロケ地でケビン・コスナーが生演奏

ロスはツアーを組むに際して、自分のロックバンドを持つ俳優を狙い撃ちして声を掛けた。こうすることで野外上映会とロックコンサートをセットにしてツアーを行なえたのだ。参加する俳優にしてみれば、熱烈なファンを聴衆にして快適な野外会場で演奏できる。もちろんカメラも入っている。絶対にノーとは言えないはずだ、とロスは思った。実際、その通りだった。

06年夏にアイオワ州ダイヤーズビルで行なわれたイベントは、ノスタルジックな野球映画『フィールド・オブ・ドリームス』の20周年記念だった。ロケ地である球場で野外上映会となった。映画の主演を務めたコスナーも登場し、球場でファンと一緒にピクニックやキャッチボールを楽しんだ。

夕方になると自分のバンド「ケビン・コスナー・アンド・ヒズ・バンド」でライブコンサートを行ない、イベントの大トリを務めた。世界からマスコミ関係者が取材に訪れたほか、アイオワ州の住民が大勢押し掛けた。イベント参加者は7千人以上に上り、道路閉鎖のため州警察が動員されなければならないほどだった。

■消費者は「ブランドへの思い入れ」に金を出す

ローリング・ロードショー(2年目以降は「ロケ地でライブ!」へ名称変更)はマスコミでも取り上げられ、ネットフリックスのイメージ向上に大きく寄与したようだ。顧客満足度調査でネットフリックスは毎年のようにトップに顔を出すようになったのだ。映画館で映画を見るときの喜びや感動がネットフリックスブランドに吹き込まれたのかもしれなかった。

消費者が理屈抜きに特定のブランドに思い入れを持つようになれば――現実にはなかなかそのようにはならない――それは強力だ。アルゴリズムや表計算ソフトで定量化できるものではない。

消費者が顧客として毎月おカネを払い続けるかどうかを決定づけるのはブランドへの感情である、とロスは理解していた。ネットフリックスの経営チームの中でそのように理解していたのはおそらく彼一人だった。要するに、数字と論理が支配する企業文化に対抗する唯一の存在がロスだったのだ。

■ビデオレンタル界の「コーラ戦争」が勃発

非主流のトップブランド――強くてカッコいい皮肉屋のような存在――としての地位確立に成功しながらも、ロスはまだ安心できなかった。2006年春にハッキング・ネットフリックス上の投稿記事を読み、ブロックバスターがひそかに進める新サービス「トータルアクセス」について知ったのである。

トータルアクセスは、オンラインで借りたDVDの返却と引き換えに店内DVDの無料レンタルが受けられるという、ブロックバスターの最後の「切り札」だった。これを見て、ロスは「これはビデオレンタル版コーラ戦争(1980年代に勃発した、ペプシコとコカ・コーラのマーケティング戦争)だ」と思った。

確かにトータルアクセスは手ごわかった。実店舗の利便性とオンラインサービスの品揃えを兼ね備えており、実店舗を持たないネットフリックスにとってまねするのは不可能だった。

だが、彼にはコーラ戦争から学んだ教訓があった。ブランドに対する愛着度合いなどの消費者感情が、最終結果に極めて大きな影響を及ぼすのである。

■膠着状態の中、マスコミを呼び出す

07年1月、ネットフリックスが待望の新ストリーミングサービスのデモを行なうというので、私は半信半疑でロスガトス市にある新本社を訪問した。他社の経済記者とハッキング・ネットフリックスのマイク・カルトシュネーも一緒だった。ヘイスティングスが投資家に警告していたように、広報担当のスティーブ・スウェイジーは私を含めたマスコミ関係者に対して「品揃えはまだまだだから、あまり期待しないように」とクギを刺していた。

それを聞いて私は過去3年間に登場した無数のダウンロードサービスを思い浮かべた。誰もが見たいと思うようなタイトルが皆無だったことが原因で、ほとんどが消え去っていた。ペイパービューをただ使いにくくしたような代物だったといえる。

新本社ではデモの前に、ヘイスティングスとスウェイジーによる簡単な見学ツアーがあった。新本社が入居しているビルは広々としていて風通しが良く、真新しい地中海スタイル建築だった。われわれは1階のキッチン兼食堂エリア内に入ると、最新式エスプレッソバーの前で立ち止まった。そこでヘイスティングスは私にエスプレッソを一杯入れてくれた。後になって知ったのだが、彼は記者と個別に会うときにはいつもこうしているとのことだった。

ストリーミングのデモは大会議室で行なわれた。大会議室は洞窟のような造りで独特の雰囲気を醸し出しており、天窓からは冬の太陽光がさんさんと降り注いでいた。私がヘイスティングスに最初に会ったのは何年も前のことで、当時ネットフリックスはユニバーシティ大通りのみすぼらしいビルに入居していた。

「当時と比べて様変わりしましたね」と私が言うと、ヘイスティングスは自慢げに周りを見回して笑い、「私自身も信じられないよ」と言った。

■長い映画を見るならPCではなくテレビでは?

ノートパソコンを取り出してデモの準備に取り掛かるヘイスティングスは、まるで新しいおもちゃを与えられた子どものようだった。目玉となるストリーミングサービス「インスタントビューイング(即席映画鑑賞)」はいつものネットフリックスクオリティーだった。完成度が高く、ウェブサイト上のさまざまな機能とシームレスに融合していた。

彼がマウスをクリックすると、20秒ほどで映画の読み込みが終わってストリーミング再生が始まった。映画の画質はDVD並み。画面上の操作もスムーズで、私は「自分のDVDプレーヤーよりもずっといい」と思った。

しかし、ヘイスティングスがなぜこんなに少ない品揃え(たったの1000タイトル)でローンチするのか、不可解だった。以前に彼がダウンロードサービスを断念した理由はまさに品揃えの少なさだったのだ。トータルアクセスはネットフリックスの成長にどれほどの影響を与えているのか? トータルアクセスに顧客を奪われてネットフリックスは焦っているのではないか? いろいろと疑問が湧いてきた。

アナリストの多くはストリーミングサービス投入のタイミングに理解を示した。ここで何らかのトータルアクセス対策を打ち出さなければ、ネットフリックスはじり貧になるとみていたからだ。

だが、テクノロジー系ライターは違う見解を示した。視聴者がインターネットの世界に閉じ込められるとしたら「インスタントビューイング」の価値はあまりない、と結論したのだ。重要なポイントだった。映画やドラマのような長時間作品を見るのならばテレビ画面ではないのか? 小さなノートパソコンの画面上で見たいと思う消費者はどれほどいるだろうか?

しかし、ヘイスティングスは未来を垣間見たのだろう。たとえ直感に反していても大胆にストリーミングへ向かわなければならない、と思ったのだ。

■顧客の好みが把握できるストリーミングの強さ

そんななか、ネットフリックスの市場調査チームは顧客からのフィードバックの中に「勝利の方程式」を見いだした。ストリーミングで映画鑑賞中の顧客行動を観察すれば、鑑賞中に顧客が何を考えているのかリアルタイムで把握できるということが判明したのだ。

ジーナ・キーティング著、牧野洋訳『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』(新潮社)

視聴者はどのシーンでストップボタンを押して巻き戻したのか? 好きでない映画を選んでしまったときにどのくらいの時間で見るのをやめるのか? 一時停止ボタンをどこで押したのか? 早送りでどんなシーンを飛ばしたのか?

このような情報を生かすシステムがあれば、人間の行動について個人的なレベルにまで落とし込んだ深い分析が可能になり、フォーカスグループとは比べものにならないほど強力な武器になる。

ネットフリックスは映画評価システムに頼らなくても顧客の好みを把握できるようになるのだ。ペプシコがコカ・コーラのニューコークを葬り去ったように、ネットフリックスはトータルアクセスを葬り去ることができるのだろうか? そのためにどうすればいいのかロスには分かっていた。消費者との「感情的なつながり」に頼るのである。

こうしてネットフリックスはストリーミング配信を徐々に拡大し、2010年にはブロックバスターを倒産に追い込んで現在の地位を不動のものにしたのである。

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ジーナ・キーティング
フリーランスの経済ジャーナリスト。米UPI通信に続き英ロイター通信に記者として在籍し、10年以上にわたってメディア業界、法曹界、政界を担当。独立後は娯楽誌『バラエティ』、富裕層向けライフスタイル誌『ドゥジュール』、米国南部向けライフスタイル誌『サザンリビング』、ビジネス誌『フォーブス』などへ寄稿している。2012年、処女作『Netflixed』を刊行。

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(経済ジャーナリスト ジーナ・キーティング 写真=時事通信フォト)