広西チワン族自治区北西部にある巴馬ヤオ族自治県は、中国内外で注目される長寿村だった。100歳以上の高齢者が人口あたりにして、一般的な「長寿村」の4倍にも達した。素朴な生活に純朴な気風、清らかな自然などが「長寿」の原因だったと考えられている。しかし今、人口数百人の小さな村に年間260万人以上の観光客が殺到するようになった。人々は収入を得ようと狂奔。自然環境も失われた。当局は「瀕死の長寿村」を救おうと“原状回復”に力を入れはじめたが「美しき巴馬」を取り戻すには「永遠の道のり」が必要という。中国新聞社などが報じた。

 2010年1月、農村部を含めた県域全体で巴馬には100歳以上の高齢者が82人いた。人口10万人当たりの100歳以上の高齢者人口は31人で、世界の「長寿地域」の標準の4倍以上だった。長寿地域・巴馬は1950年代には中国国外の医学界でも注目されていた。

 2011年ごろの時点で、100歳以上の高齢者の86%が「医療機関で病気を診察してもらったことがない」と、長寿であるだけでなく極めて健康だった。巴馬には高血圧、糖尿病、心臓血管疾患が極めて少なかった。がん患者はほとんどいなかったという。

 巴馬長寿研究所の陳進超所長によると、「当地における長寿の秘密」をいくつか挙げることができる。まずは環境だ。内陸部の高原にあり、大気の状態が極めてよい。また、地下水が多い場所で、しかも地下水が断層により、周辺地域と分離されている。そのため地下水にも、地下水が流れ込む川の水にも汚染がみられない状態だった。

 また、地磁気が他の平均的な地方の2倍程度あることも分かった。地磁気の強さが血液の成分と循環に好影響を与え、心臓血管疾患の発生率を下げ、免疫能力を高めている可能性があるという。

 陳所長によると、なによりも重要なのは人々がゆったり、のんびりとした生活を送ってきたことという。人の気風は純朴で、さしたる争いごともなかった。「心の平和」を享受することができた。高齢者のせいかつを見れば、「早寝早起き」が習慣となっており、一生を通じて適度な労働をしていた。飲食は素朴で、トウモロコシの粥(かゆ)と野菜で、「地産地消の有機農産物」が主体だった。栄養価値は高いがカロリーはそれほどなく、過食による弊害もみられなかった。

 豊かな地域ではない。その逆だった。2010年の1人当たりGDPは、全国平均の3分の1。舗装道路も少なかった。、45カ所の自然集落には電話が通じていない。

 「長寿村地域」として研究者の間では早い時期から注目されていたが、一躍注目されることになったきっかけが、1991年に国際自然医学学会で巴馬地区における「長寿現象」が報告されたことだった。同話題が報道されると、多くの観光客が「長寿」にひかれて巴馬地区を目指すことになった。

 特に2005年を過ぎたころから、狂騒ぶりがエスカレートした。06年に巴馬を訪れた観光客は延べ11万人だったが、2013年には263万人に達した。長寿村として「持続可能」な観光客受け入れの限界をはるかに超えていた。乱開発や環境汚染が発生した。

 市街地を流れる巴馬河の水はかつて「人々が、直接飲んでいた」という。今では、「きたなくて、飲む気になる人はいない」状態だ。

 古くて素朴な民家が並んでいた坡月村地区は一躍、「観光スポット」になった。しかし、街並みの保存策がとられるよりも早く、ビル建設の波が殺到した。「隣のビルの壁に手を伸ばせば届く」ほどの密集ぶりという。

 1階の多くは商店だ。道に面した商店のガラス壁には「保健薬」、「長寿食品」、「健康機器」の広告が、べたべたと貼られている。道には露天商がずらりと並ぶ。調和のとれた街並みを見渡すだけですがすがしい気分になった、あの「古きよき巴馬」、は地上から姿を消した。

 100歳以上の高齢者も「経済発展」に駆り出されるようになった。家の前に椅子を置いて座っている。すると、観光客が「記念撮影」を求める。応じれば、チップが収入となる。多くの高齢者は、以前のように労働にいそしむことがなくなった。

 当局も、遅ればせながら危機感をつのらせるようになった。共産党巴馬県委員会トップの奉海峰書記も「永遠の第1優先事項は、生態環境の保護だ。インフラ建設はその次。長寿食品の加工業などは最後だ」と述べた。

 巴馬県は汚染源になっているとして、澱粉(でんぷん)工場を「涙を飲んで」閉鎖させた。生産停止命令、期限付き改善命令、移転命令の対象となった、企業は計23社に及ぶ。同時に、環境汚染を引き起こす性格がある企業の進出は受け入れない方針だ。

 県はさらに、ごみ処理施設や、河川岸の緑化に力を入れている。産業としては、豊富な地下水を利用したミネラルウオーターの生産施設建設を進めている。(編集担当:如月隼人)