【岩崎 剛幸】日本に「アウトレットモールは根付かない」と言われても…「御殿場プレミアム・アウトレット」がSC売上日本一になるまで

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物価上昇が続く逆風下で、三菱地所・サイモンが運営する「プレミアム・アウトレット」の2025年度売上は4439億円と3年連続で過去最高を更新した。牽引するのは単一SC施設として日本一の売上を誇る御殿場プレミアム・アウトレットだ。

都心から約90分という「近すぎず遠すぎない」絶妙な距離感、富士山という唯一無二のロケーション、ラグジュアリーブランドの充実、ECには真似できない体験価値、そして国内客とインバウンドのバランスのよい客層構成--現地視察から見えてきた5つの強さの理由を、前編記事では解説した。

後編では引き続き、流通小売り・サービス業のコンサルティングを35年以上続けるムガマエ株式会社の経営コンサルタント/代表取締役社長・岩崎剛幸が、日本のアウトレット市場の歴史的変遷と、御殿場がここまで突き抜けた背景をさらに深掘りする。

前編記事『なぜ御殿場プレミアム・アウトレットだけが勝ち続けるのか?売上1467億円、“中国人客激減”でも絶好調の「5つの理由」』より続く。

消極的だった日本のアウトレットモール開発

90年代後半から米国の流通業視察で巨大なアウトレットモールを何度も見ていた私は、「日本に本格的なアウトレットモールができれば必ず繁盛する!」という確信を持っていました。

しかし当時は、二つの理由から日本でのアウトレットモール開発に懐疑的な声が多くありました。

一つ目は商習慣の壁です。日本ではブランド品は高いのが当たり前で、百貨店の力が強く、低価格での販売が難しい環境にありました。全国に百貨店やブランド直営店があるなかで、アウトレットモールができれば既存店の売上に影響が出るとして、強いブランドが出店を敬遠する状況にあり、既存の小売事業者もモール開発を歓迎しない雰囲気があったのです。

二つ目は消費者感覚への疑問です。仮に郊外にアウトレットモールを作ったとして、高速代をかけてまでブランド品の割引商品を買いに行くのか、百貨店のセールやバーゲンがあるのにわざわざ遠出はしないのではないか、米国と日本では消費者の感覚が違うのではないか--そういった意見があがりました。

特に日本でのアウトレットモール開発が遅れた要因は、一つ目の理由からです。アパレルメーカーが出店依頼に対してYESと言わなかった背景には、百貨店との関係維持とブランド価値を損ないたくないという意識がありました。

米国では1980年代から全米に巨大なアウトレットモールが広がっていた一方、日本での本格的な普及は2000年代に入ってからのことでした。

マンハッタンから1時間、世界最強のアウトレットモール

米国には敷地面積100万平方メートル以上、駐車台数1万台以上、商圏人口100万人以上を誇る巨大アウトレットモールがいくつも存在します。その代表格が、ニューヨークのマンハッタンから車で1時間ほどの場所にある「ウッドベリーコモン・プレミアム・アウトレット」です。御殿場POを手がける三菱地所・サイモンのサイモンが開発した、超有名アウトレットモールです。

同施設は約220店舗を擁し、Acne Studios、トリーバーチ、グッチなど数多くのラグジュアリーブランドが出店しており、世界中のブランド好きが訪れます。私も初めてここを視察した際には興奮のあまり1日では足りず、翌日も足を運んだほどでした。それだけ充実したアウトレットモールです。

しかしこれほどの施設は米国には作れても、日本にはできませんでした。それは国土面積の大きさにも理由があります。

国土の差が生んだ、アウトレット大国アメリカ

米国の国土は日本のおよそ25倍。そのため、大都市のダウンタウンから離れた立地で、かつハイウェーを利用すれば1時間ほどで行けるようなアウトレットモールをいくらでも開発できる広大な土地があります。都心の店舗に影響を及ぼさない場所を確保しやすいため、ブランド各社もアウトレット出店に踏み切りやすい環境がありました。

米国のアウトレットモールディベロッパーの幹部から聞いた話では、かつては「ダウンタウンから100キロ以上離れた場所にしかモールを開発しない」というルールがあったといいます。それだけ、都心部の百貨店に出店している自社ブランドの売り上げへの影響を避け、ブランド価値を落としたくないという意識が米国でも強かったのです。

それでもアウトレットモールが広がったのは、アパレルの在庫問題があったからです。余剰在庫や返品されて在庫となる商品、シーズンを過ぎた商品は毎年積み上がっていきます。それを効率よく処分できるチャネルとして、アウトレットモールは不可欠な存在となりました。結果的に、米国では多数のアウトレットモールが開発されることになります。

日本のアパレルメーカーやスポーツメーカーも同様の問題を抱えていました。しかし国土の狭い日本で100キロ離れた場所に出店しようとすれば、隣の都道府県まで移動することになります。そこにはそこの百貨店があり、メーカーの直営店があります。そのため、どこに出店してもブランドは影響を免れないという問題がありました。結果的に、日本ではアウトレットモールの開発が遅れることになったのです。

しかし1992年をピークに、日本で小売業の王様と言われた百貨店売上高が減少し始めました。90年代後半からは全国に多数あったブティック(アパレル専門店)も経営が苦しくなり廃業が増えていきました。アパレルメーカーや卸としても物を作ったはいいが、販売するチャネルがなくなっていくという事態に直面し、売上高の減少→在庫が積みあがる→経営悪化という負のスパイラルに突入していったのです。

2000年代のアウトレットモール開発はこうした企業にとっての救世主となり、結果的に国内メーカーやブランドも多数出店するようになっていきました。

90年代、ついに日本でも本格開発へ

日本のアウトレットモール開発をリードした大手のひとつ、三井不動産は1990年代初頭から何度もメーカー担当者を米国視察に連れて行くなど、実例を見せながら日本での本格開発を推し進めていきました。

その成果として1995年にオープンしたのが、三井不動産のアウトレットモール1号店「鶴見はなぽ〜とブロッサム」です。その歴史的な施設は現在、2023年にオープンした「ららぽーと門真」(大阪)と複合する形で、同じ建物の中に共存しています。

国内でアウトレットモールがなかなか作れなかった時代から、ついにはショッピングモールとアウトレットモールが同じ館に並ぶ時代へ--まさに時流は劇的に変化したのです。

世界でアウトレットを展開するプロ集団の正体

一方、Chelsea・三菱地所株式会社・日商岩井株式会社(現・双日株式会社)の3社による合弁会社「チェルシージャパン株式会社」が設立され、2000年7月に日本初のプレミアム・アウトレットである「御殿場プレミアム・アウトレット」(静岡県)がオープンしました。(※2013年に三菱地所・サイモン株式会社へ商号変更)

三菱地所が組んだサイモン社(Simon Property Group, Inc.)は、「プレミアム・アウトレット」を商標に持つ、米国のアウトレットセンターを企画運営する会社です。

ニューヨーク近郊の「ウッドベリーコモン・プレミアム・アウトレット」、ロサンゼルス近郊の「デザートヒルズ・プレミアム・アウトレット」、ハワイ・ホノルル近郊の「ワイケレ・プレミアム・アウトレット」をはじめ、全米各地や韓国、カナダ、メキシコ、プエルトリコ、マレーシア、タイ、インドネシアなど世界各地で「プレミアム・アウトレット」を所有・運営しているアウトレットモールのプロ集団です。

その会社が三菱地所と手を組み、日本で初めて米国スタイルの本格的なアウトレットモールを展開したことは大きな話題を呼び、初年度から多くの来場者を集めました。

約90店舗でスタートした御殿場プレミアム・アウトレットの初年度(2000年7月〜2001年3月)の売上高は222億円、レジ客数は560万人。現在と比べれば小さな数字ですが、当時の日本のアウトレットモールの中ではダントツの実績でした。

その後、第2期増設で約80店舗、第3期で約50店舗、第4期で約80店舗と段階的に増設を重ね、定期的な店舗入れ替えも行いながら、現在は約290店舗・店舗面積約6万1300平方メートル・売上高1467億円にまで成長しています。

日本のアウトレットは「第3世代」に突入している

ここまで見てきたように、御殿場が体現しているのは「モノを売る」ではなく「行く理由を売る」という考え方です。

日本のアウトレットは、これまで3つの世代を経てきました。第1世代は「安くブランド品が買える場所」、第2世代は「家族で一日過ごせる商業施設」、そして現在の第3世代は「旅行の目的地になるショッピングリゾート」です。

そのなかで御殿場POは完全に第3世代に入っています。今や東京から買い物のために行く場所ではなく、「富士山を見て、温泉に入り、ホテルに泊まり、箱根や伊豆をまわる」旅のついでにアウトレットで過ごすという、旅を楽しむためのリゾートアクティビティのひとつになっているのです。

「商業施設としてのアウトレットモール」ではなく「観光資源としてのアウトレットモール」へ--この転換こそが、特に御殿場POが繁盛している最大の理由です。

現在の日本の主要アウトレットモールを並べてみると、繁盛している施設に共通するのはいずれも「安売り」を売りにしているのではなく、「目的地化」すなわち目的来店性を持たせた施設開発を進めていることがわかります。

御殿場はまさにその象徴です。富士山という絶景、ラグジュアリーブランドの充実、旅行導線との融合、インバウンド需要、そして国内客の根強い支持。さらに、こうした強みに甘んじることなく、25年間にわたって定期的な店舗入れ替えとリニューアルを繰り返してきたことが、施設を衰退させず、むしろ成長させ続けてきた最大の要因と言えるでしょう。これらが重なり合って、御殿場POはアウトレットモールからショッピングリゾートへと進化しました。

だから御殿場は日本一になれたのです。そしてこの成功モデルは、これからの商業施設全体に通じるキーワードでもあります。

「何を売るかではなく、なぜそこへ行くのか」

御殿場POの成功から、これから繁盛する商業施設のルールを読み解いていきましょう。消費環境は大きく、そして確実に変化しています。

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