「俺はアル中じゃない」40代現場監督がコロナ禍で暗転 家族も仕事も失い、肝硬変で命の危機…それでも酒を止められない“脳の病”のリアル
アルコール依存症は「否認の病」といわれる。「自分は違う」「依存症ではない」という患者の否定から診断が始まるケースが多いからだという。
「意志が弱いからなる」ともいわれるが、これも違う。れっきとした脳の病気だ。飲酒によって脳の報酬系が変化し、アルコールによってしか快楽を得られなくなる。意志ではどうにもならないのだ。
だから、治療の基本は、「断酒一択」だそうだ。
※この記事は、関東X県の精神科救急病院に勤務する現役精神科医・駒木爽氏の書籍『精神科医おどおど日記』(三五館シンシャ)より一部抜粋・構成しています。
母に連れられ、精神科を訪れて…「酒に害があるのではなく、泥酔する人に罪がある」
アメリカ合衆国建国の父であるベンジャミン・フランクリンはこう言ったという。当たり前だろう、と言うなかれ。酒は素晴らしい飲み物であり、それゆえついつい飲みすぎてしまう。かく言う私も琥珀色の液体に人生を狂わされる一歩手前まで行ったことがある。
40代のAさんが、母とともに外来にやってきた。事前に母親から、息子が連日大量に焼酎を飲み、アルコール依存症になっているから治療してほしいという連絡が入っていた。Aさんも「罪」を背負った一人であった。
母親の後ろから嫌々といった様子で現れた男性は痩せ型で肌の血色も悪い。彼が入ってきた瞬間、酒臭がぶわっと広がる。室内だというのにチンピラがつけるようなダークブラウンのサングラスを外そうとしない。自分の顔色を読まれたくないという気弱さがあるのかもしれない。
「俺はアル中じゃない」語気を強める根拠「Aさん、今日は病院までよく来てくれました」
私はあえていつも以上に明るい声で話しかけた。
「別に、自分は病院に行きたいなんて思ってなかったんすよ。おふくろがどうしても『行け』って言うから今日は来ただけです」
アルコール依存症の患者が、自分の意思で精神科の門を叩くことはまずない。受診を嫌がる本人を、家族が何度もなだめすかして、ようやく来院するケースがほとんどだ。
「この子はアルコール依存症なんです」
息子に代わって、母親が苦渋に満ちた表情で語り出す。
「毎日焼酎を飲んで、飲酒運転で仕事はクビになるし、奥さんとも酒が原因で離婚するしで、お酒で人生ダメにしちゃってるんです。先月は飲みすぎて階段から落ちて救急車で運ばれたんですよ。ガンマ(γ-GTP)が3000超えているからお医者さんに『お酒を減らさないと肝硬変で死ぬ』って言われたのに翌日から飲むし……」
「酒の量は減ってるだろ!」Aさんが語気を強める。
「先生、俺はアル中じゃないんで、やめようと思ったらやめられるんですよ。やめられんやつはそういう病気だと思うんですけど、俺は違うんすよ」
「俺は違う」「自分は依存症じゃない」、こんな否定のフレーズから始まるのがアルコール依存症の診察である。この疾患が別名“否認の病”と言われる所以だ。
自分を依存症と認めた瞬間、社会から“アル中”というレッテルを貼られる。それはプライドの高い彼らにとって耐え難い屈辱であり、同時に大好きな酒をやめなくてはいけないという現実と向き合わなければならなくなることを意味する。
アル中で崩壊したAさんの人生Aさんはこれまで建設業の現場監督として働いてきた。仕事に誇りを持ち、作業員からも信頼されていた。若いころから大酒家で、仕事後に仲間と連れ立って飲みに行くのが習慣だった。
酔うと気性が荒くなり、喧嘩早くなって警察沙汰を起こしたこともしばしばだった。10年前、友人の紹介で保育士の妻と結婚し、長女を授かった。家庭を持ったことで責任感が芽生え、妻の勧めもあって、酒中心の生活から少しずつ距離を置き始めていた。
2020年、順調に幸せな家庭を築いてきたA家に、不穏な影が差し始める。コロナ禍である。日曜日以外、毎日働いていたAさんだが、仕事の受注が減り、時間を持て余すようになる。
店も閉まっており気分転換に同僚と飲みに行くこともできず、家での飲酒が増えた。酔っぱらうと人が変わる性格は相変わらずで妻に暴言や暴力が目立つようになった。
ある日、勢い余って長女にも手をあげてしまい、見かねた妻は子どもを連れて家を出た。妻からはまもなく離婚届が送られてきた。実家に戻ることになったAさんは、妻と娘を失って穴だらけの心をさらなる酒で埋めようとした。
朝から飲んで酩酊状態で仕事をしたり、飲酒運転で職場に向かったりした。Aさんの言動に危険を感じた職場は彼を解雇する。職を失ったAさんはここ1か月、家に閉じこもり、酒を飲むか寝るかの極端な生活を続け、母親の説得でS病院を受診するに至った。
「Aさんはふだんどれくらい飲まれるんですか?」
「焼酎をグラスで2、3杯ですよ。そんなに飲んでないです」
すかさず母親が口を挟む。
「嘘言いなさい。あんたもっと飲んでるでしょ。最近は買ってきた大きなパックが2日でなくなるんですよ」
一般に「健康なアルコール摂取量」は男性なら1日40g、女性なら20gとされる。20gは、ビールなら中ジョッキ1杯、日本酒なら1合、焼酎ならグラス半分に当たる100mlが目安であり、男性なら2ドリンクまでが安全域と覚えればいい。週に1日以上、1回に60g以上飲酒する人は、依存症につながる危険な飲み方とされているが、これはかなり厳しめのハードルでもある。
Aさんが2日で1パック(1.8L)の焼酎を飲んでいるならば、1日のアルコール量は180gで完全に不健康領域だ。
いまでこそ他人に酒量について助言する立場だが、離婚後の数年、私もハイボールをあおっていた。平日は100g、週末は200g以上のアルコールを摂取。一歩間違えば、患者側に座っているのは私だった。
「お酒のせいで困っていることはありませんか?」
「別にないっすよ、前はたまたま転んだだけで。まあ肝臓の数値は心配ですけど……」
平然としているようで、救急外来で医師から通告された「肝硬変で死ぬかも」という言葉は気にしている。
「たしかにγ-GTPがこれほど高い状態が続くと、体が心配です。生活していてしんどくないですか?」
「飲みすぎた日の朝がだるいくらいっす。でもやめたくないんですよね。酒以外に楽しみもないし、別に長生きしたくもないし」
離婚して守るべき存在を失った中年男性が自暴自棄になり、自分の体を雑に扱うのはわからなくもない。というか、痛いほどわかる。かつての私も同じように自堕落になったからだ。
「酒をやめるかどうかなんて自分の意志の問題でしょ。これで昔より酒は減らしてますし、医者にかかる必要なんてないと思うんですよね」
「あんたはその意志が弱いからこうやって来てるんじゃない!」
「わあわあ横から口出しすんなよ!」
診察室で母と息子の言い合いが始まる。
アルコール依存症は「脳の病」アルコール依存症は意志が弱くてなるものではない。歴とした脳の病だ。大量飲酒を繰り返すと、脳の報酬系は変化し、アルコールによってしか快楽を感じなくなる。
酒が切れれば不安やイライラが押し寄せ、飲めば一時的に落ち着くが、素面に戻れば居ても立ってもいられなくなり、つねに酒を求める。酒には耐性があるので必要な量はどんどん増えていく。脳の仕組み自体が変化しているため、意志や根性でどうにかなるものではない。
では治療はどうすればいいか? 基本は“断酒”一択である。
「自分で飲酒量減らせる人ってなかなかいないんですよ。たいへんじゃなかったですか?」
「俺は依存症のやつらとは違うんすよ。だから酒はやめたくないです。今の生きがいって酒だけなんすよ」
「お酒を完全にやめるのではなく、体に負担がかからないように少しだけ飲み方や量を調整していくのはどうでしょう。さすがに肝臓の数値を見ると私も心配です。わざわざ病院に来るのは面倒だと思いますが、2週間に1回でいいのでお話を聞かせていただけませんか?」
「医者はみんな『酒やめろ』って言うと思ってました。まあ月1回くらいなら来てもいいっすよ」
Aさんのような肝臓の数値が上がり生活も破綻しているケースでは、入院させて強制的に酒を断つべきだ。しかし、断酒を強要すれば、彼は気分を害し、通院そのものをやめてしまうだろう。
アルコール依存症の患者数は約100万人と推計されているが、治療を受けているのはそのうちわずか5%。「自分はアル中じゃない」と、現実を否定している人はそもそも病院に来ない。
ただでさえ治療につなげることが難しい疾患である以上、病院に足を運んでくれた患者にはなんとかして治療の糸口をつかみたい。だから、「今日はよく来てくれました」「お酒減らせるなんてすごいですよ」「また来てくださいね」と、本指名を取るために必死になるキャバ嬢のように患者に接するのだ。
