「93歳になった今も、肺活量は40代男性レベル」 サックス奏者・渡辺貞夫が明かす健康術
“ナベサダ”の愛称で知られるミュージシャン渡辺貞夫がデビュー75周年を迎えた。18歳でプロとしてサックスの演奏を始め、いまだ現役としてツアーを回り、アルバムもリリースする。精力的に活動を続けられる健康管理の秘訣(ひけつ)や、自らの音楽への熱い思いを伺った。【構成/神舘和典】
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〈デビュー75周年を迎えたジャズ・ミュージシャン、渡辺貞夫がエネルギッシュに活動している。2〜3月の「カリフォルニア・シャワー」ツアーでは、ツアー名となった曲「カリフォルニア・シャワー」をはじめ、「オレンジ・エクスプレス」「マイ・ディア・ライフ」といった1970〜80年代の大ヒット曲を演奏した。満員の客席は大いに沸き、情緒あるアルト・サックスの響きに涙するファンもいた。4月からはカルテットで「INTO TOMORROW」ツアー。7月の「BRAZILIAN LOUNGE」ツアーでは、ジャズ・クラブでも演奏。新設のSGCホール有明でビッグバンド編成のコンサートも行う予定だ。

さらに、5月にはスタジオ録音作「BUT BEAUTIFUL」をリリースする。
御年93。国内でも世界的にも頂点の世代。アルバムもコンスタントにリリースし、モンスターレベルで前人未踏の道を進んでいる。〉
「カリフォルニア・シャワー」のツアーは、スタッフからのリクエストでした。お客さんが喜んでくれたことは素直にうれしいけれど、あの曲は僕の70年代の作品でしょ。ステージで昔の曲をいくつも演奏するのは、自分としては面映ゆいというか。ちょっと照れ臭かったですね。
「カリフォルニア・シャワー」「オレンジ・エクスプレス」、そしてツアーでは演奏しませんでしたが「モーニング・アイランド」は、そもそも僕が考えついたタイトルではありません。
あの頃は男性化粧品、ブラバスのCMに出演していましてね。資生堂さんにとてもお世話になっていたんです。それもあって、アルバムの中の1曲だけはクライアントにタイトルを考えてもらいました。それがこの3曲。だから、僕の発想にはない曲名なんです。
若いミュージシャンには自分から
ツアーでは毎夜とても気持ち良く演奏しましたよ。バンドのメンバーは僕よりも60歳くらい若いミュージシャンたちですが、みんな積極的にクリエイトしてくれたのでね。
今回は、セネガル人のパーカッショニストも一緒でした。もともとは彼の奥さんに紹介されたのがきっかけです。いいプレイヤーなので会ったその日からステージで演奏してもらいました。もう20年以上の音楽仲間です。
僕はいつも刺激が欲しい。でも日本の社会では、年々人と人とのつながりが希薄になっているでしょ。最近は世代の違う優秀なミュージシャンとなかなか巡り合えなくなりました。
若いミュージシャンはみんな行儀が良い。街から街へ車で移動するときも会話はあまりありません。だから、僕から話しかけるように努めています。一緒に食事をする機会もつくります。リーダーですから。
一緒に音楽をやるには、音楽以外のコミュニケーションも必要ですよ。ステージを離れた場所でたわいもない会話をすると関係が密になり、演奏にいい影響を与えてくれます。
だれもが口ずさめる曲を
〈渡辺貞夫は、1933年栃木県の宇都宮生まれ。51年に東京へ出て、プロのサックス奏者として銀座のジャズ・クラブで演奏を始めた。53年にジャズ・ピアニスト、穐吉(あきよし)敏子がリーダーのコージー・カルテットに参加。62年、先に渡米していた穐吉の誘いでボストンの名門音楽学校、バークリー音楽院に留学する。帰国したのは65年。70〜80年代には「カリフォルニア・シャワー」をはじめ、ヒット曲を次々とリリースし、大ブームになった。
渡辺の活動は日本にとどまらず、各国のレジェンドたちとも積極的に共演。さらにジャズのみならず、アフリカやブラジル、チベットの音楽からインスピレーションを得て、他の音楽家とは異なる渡辺だけのサウンドを発信し続けている。〉
僕は楽器奏者ですが、だれもがメロディーを口ずさめる曲を作っていきたい。自分が歌えないような音楽は書きたくないです。
以前は録音機能付きのウォークマンを持って旅をして、自然の音を録音しました。
夢の中で音楽が鳴り始めたら……
生活の中で、突然思いもよらぬタイミングで音が降ってくることもあります。だから、若い頃は就寝するときに、いつも枕元に五線紙を用意していました。夢の中で音楽が鳴り始めたら、すぐに起きて、譜面にできるようにね。
でも、なかなかうまくはいきません。夜中に曲を思い付いて、急いで譜面に書くでしょ。朝見直すと、あれっ、こんなだったっけ、って。自分にがっかりすることが多かったですね。
それでもいくつか、気に入った曲もあるかな。アルバム「カリフォルニア・シャワー」に収録した「セヴンス・ハイ」という曲があります。あの曲はカウント・ベイシー(ジャズ・ピアニストでビッグバンドのリーダー)が演奏している夢を見ましてね。とてもかっこいいメロディーでした。その演奏が楽曲になりました。覚醒して、一瞬「カウント・ベイシーに断らなくちゃいけないのかな?」と考えました。でも、僕の夢から生まれた曲ですから、問題ないですよね。
夢の中で鳴っていたのはシンプルなメロディーでしたが、エレクトリックの楽器や管楽器のアンサンブルを加え、いい感じに仕上がっています。いまはなきライヴ・スポット、六本木PIT INNの壁にもこの曲の譜面を書きました。
夢からメロディーが生まれるケースは、最近はほとんどなくなりました。それでも、アレンジはいいのが浮かんできますよ。
僕の作品でわりとリスナーに評判のいい「ONLY IN MY MIND」という曲があります。今もコンサートで演奏するし、最新ライヴ・アルバム「HOPE FOR TOMORROW」にも収録しています。もともとはファンク・テイストのバラードですが、つい先日、寝しなにふとボサ・ノヴァのリズムで口ずさんでみました。なかなかいい感じでね。次のツアーで披露したいですね。
規則正しい一日
〈なにしろキャリア75年で93歳。今も新作を発表し、同時期に多様なコンサートを行う渡辺。どうしても気になるのはその健康管理だ。この取材のときにサックスを収めたケースをのぞくと、歯ブラシが一本入っていた。管楽器奏者にとって歯は命。常にクリーニングを心がけている。〉
管楽器奏者にとって、楽器と自分の呼吸器を結ぶ口周りはとても重要です。外出中に飲食した後でも磨けるように、常に歯ブラシは携帯しています。
実は、僕は昔から右側の歯があまりよくなくてね。若いころに金の入れ歯を作りました。でも重くて、インプラントに替えました。
まだインプラントがほとんど普及していない時代で、親しい友人にクリニックを紹介してもらいましてね。当時は今より高額で参りました。
ミュージシャンにとって、耳もとても大切です。なのに、実は20代からずっと右の耳が耳鳴りしています。
昔、射撃が趣味の友人に誘われて琵琶湖まで鴨撃ちに行ったことがあります。生きた鴨を撃つなんて、今ならそんな残酷なことをと思うけれど、付き合いで仕方なく。
そのときに友人が僕の右耳の近くで、パン! パン! と撃った。そこで鼓膜にダメージを受けて以来、右がずっと耳鳴りしています。ライブでドラマーがシンバルを鳴らす度につらかったですね。
もう70年近くたち、耳鳴りとはうまく付き合えるようになりましたけれど。それでも、就寝するときなど静寂時は気になります。楽器をチューニングする際も慎重に合わせています。
〈渡辺の朝は早い。このインタビューの日も午前3時半には目覚めたという。コンサートのない日は、起床、散歩、朝食、練習、昼食、練習、散歩、夕食、就寝……と、規則正しい一日を送る。〉
肺活量は今でも「40代男性のレベル」
今朝は間違えてしまいましてね。5時半かと思って起きたら、まだ3時半でした。朝は早く起きますが、昼間に何度か短い午睡を取ることで、一日のトータルで十分な睡眠時間を確保するように心がけています。
40代の頃は毎日5キロのランニングをしていましたが、今はウォーキングです。朝は1時間弱歩く。途中の公園ではスクワットをやったり、鉄棒にぶら下がったり。夕方も1時間強歩きます。飽きないように、その日の気分でコースを変えてね。
肺活量は、今、3300ccくらいです。毎日のウォーキングのおかげかもしれませんが、40代男性のレベルだそうです。以前は6000ccだったので、だいぶ減りましたけれど。
食事は、朝は自分でトーストを焼いて、あとはヨーグルト、卵、サラダ、フルーツ、紅茶。昼食と夕食は娘が僕の健康を配慮して作ってくれます。
日々の練習は1日にトータル2〜3時間、ときには4時間ぐらいします。しかし、今は練習よりもリード(管楽器のネックの先端の、マウスピースにはめて、呼吸で震わせるチップ)選びにかなり時間を費やすことがありますね。
サックス奏者にとって、リードはものすごく重要。いい演奏ができるかはリード次第。リードとの相性が良ければ音も良くなるし、気持ちも上がっていきます。ところが、自分に合うリードは10枚に1枚あるかないかなんです。だから自宅でも、ステージに上がってからも、慎重に丁寧に選んでいます。
久しぶりにアメリカへ
〈渡辺貞夫の音楽は、なぜ70年以上もリスナーに愛され続けているのか。時代を経ても新しくあり続けているのか。オリジナリティーが豊かなのか。いくつもの理由が考えられるが、その大きな一つは旅だろう。
CDショップで、渡辺のアルバムはジャズの棚にカテゴライズされている。しかし、実際には、ブルース、ラテン、ボサ・ノヴァ、アフリカン……など、ジャズに限らず、世界中のさまざまな音の要素が感じられる。だからこそ、多くのアーティストとは異なる渡辺貞夫ならではの音の景色が繰り広げられる。〉
僕の音楽にとって、あるいは僕自身にとっても、旅の影響はものすごく大きいですね。旅は曲や演奏とすごく密に関係しています。都市も好きですが、アフリカやブラジルやチベットにはずいぶん刺激を受けました。
70年代前半まで、僕はアメリカだけでなく、ヨーロッパでもずいぶんコンサートをやっていたんですよ。さらにアフリカの小さな村を訪ねるようになり、僕の音楽は大きく変わったんじゃないでしょうか。
70年代、アフリカの未開発の集落には、生きた自然の音がありました。
風のそよぎ、川のせせらぎ、鳥のさえずりはもちろん、子どもたちの遊ぶ声や人々が生活する音も自然で、シンプル。僕はすっかり憧れちゃってね。
アフリカに行くときには、鉛筆やライターや缶入りのドロップあめを用意します。それで現地の学校を訪ね、「子どもたちの歌を聴かせてください」とお願いするんです。
すると、みんな、外に出て歌ってくれるんですよ。その声が素直でね。僕はうれしくなって、子どもたちの歌と一緒にサックスを吹いてしまう。彼らはサックスを見るのも、音を聴くのも初めてだから喜んで、もっと歌ってくれる。セッションですよ。楽しかった。だから、またすぐにアフリカへ行きたくなります。
ブラジルやチベットも魅力的でしたよ。やはり、子どもたちが素直でね。ただ、チベットは中国の自治区で統制が利いているから、子どもたちが大人の顔色をうかがってしまう。それはちょっと残念でした。
いずれにしても、僕はほんとうに旅に生かされてきました。
もっと音を磨きたい
〈前人未踏のキャリアを歩んでいる渡辺だが、音楽家として今後どのようなビジョンを描き、展開し、次世代、次々世代になにを伝えていくのだろう。〉
来年あたり、久しぶりにアメリカへ行きたい。6都市で、親しいプレイヤーと演奏したいですね。
コロナ禍もあったので、向こうのミュージシャンたちにはご無沙汰してしまいました。毎年日本に来てもらって、付き合ってもらっているミュージシャンたちもいますが、そろそろこちらからも行かなければね。まだミュージシャンのスケジュールを確認している段階です。
今は僕自身がもっと音を磨きたい。自分のステージで、全曲納得できたことは一度もないですから。だからこそ、長く続いているのかもしれませんけれどね。
次世代にも、これまでのリスナーにも、演奏で伝えたい。やっぱりミュージシャンは「音一発」です。
「週刊新潮」2026年4月30日号 掲載
