「父親から半殺しにされた」「立てなくなるまでボコボコに」家族に虐待され中2で精神崩壊…小田切ヒロ(44)が、過酷な環境から逃げ出せた“きっかけ”〉から続く

 数多くの著名人のヘアメイクを手掛け、登録者数165万人超えのYouTubeチャンネル『HIRO BEAUTY CHANNEL』を運営するヘア&メイクアップアーティストの小田切ヒロさん(44)。

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 総フォロワー数390万人(2026年5月時点)を誇り「美のカリスマ」として脚光を浴びる一方、その裏には想像を絶する幼少期があった。

 5歳で両親が離婚。父の再婚後、継母から“洗脳”と虐待を受けて育った小田切さんは、17歳で家出を決意。しかし、継母からの“金の無心”が続き、ついには自己破産を迫られたという。それでも彼が自分の生活を立て直し、家族と絶縁できた理由とは――。(全4回の3回目/4回目に続く)


小田切ヒロさん ©三宅史郎/文藝春秋

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17歳で家を出て、新宿二丁目に入り浸った

――17歳で家を出た後は、どうされたのですか。

小田切ヒロさん(以下、小田切) 通信制高校に編入して、並行して美容師の専門学校に通いながら美容室の下積みに入りました。

 美容師として夜に働いて生計を立てていたんですけれど、当時の新宿二丁目というのは、同じような事情を持った人たちが集まる街で、今みたいに観光の場ではなかったんですね。SNSもない時代でしたし、閉ざされた世界で傷を舐め合うような。今で言うとトー横キッズですよね。

――似たような境遇同士でいると、そこから抜け出しづらくなるという。

小田切 安心感がありますからね。でもそこには何の生産性もありませんし、成長することは絶対になくて。さらに、傷の舐め合いをしながらそこでまた、闘いが始まるわけですよ。小さなきっかけで人生がだめになっていく人も見るわけです。

 二丁目は芸能の登竜門でもありましたから、芸能界から引っ張られて、潰されてまた帰ってきて、海外からデザイナーが来て、持って帰られて捨てられて、みたいな人もいました。

――そんな中でも、二丁目には居続けたのですね。

小田切 どうしようもない人もいっぱいいましたけれど、私はそういうレベルの人間でしたので、やっぱりあそこに入り浸ってしまったんです。そうやって色々と渦まくことがありながら、19歳の時にひとつの恋愛が終わったんです。

 それによってどうにか自分の人生を開拓しなきゃいけない、という時に、私を引き上げてくれた人がいたんですよ。

「夜の世界で出会った人」のサポートを得て、美容の道へ

――その人とはどうやって出会ったのですか?

小田切 二丁目という場所を遊び場にして来ているストレートの方……というか、ご結婚されて妻子もいるんだけど実はゲイ、というタイプですね。夜の世界で出会ったんですけれども、その人は貿易関係の仕事をしている人で。

 私が自分の生活費も、専門学校の学費も全部工面しなきゃいけなかったので、夜の仕事をやるしかないという状況を彼が見ていて、「このまま夜の世界にいたら、君は自分のやりたいことができないから協力するよ」と言ってくれて。

――小田切さんの将来を案じてくれたのですね。

小田切 本当に人との出会いは大切ですよね。その人はちゃんとした方だったので、私が当時付き合いのあった、夜の世界の悪友たちと引き離すために色々と動いてくれて。

 自分で買えなかった仕事用のハサミをプレゼントしてもらったり、私が本業でやりたいことに集中できるように金銭的にサポートをしてもらったりして、メイクスクールにも通えるようになって。

 そういうパートナーの導きがあったことによって私は昼職といいますか、美容の道で生きられるようになったんです。

「500万円借りられるから、サインして」継母から“金の無心”が続き、自己破産を迫られ…

――その頃、家族との関係は続いていたのですか。

小田切 家を出てからずっと、継母から毎月のようにお金を要求されていました。美容室の下積み時代はお金がないので、毎月だと払えない期間もあったんですけれど、そうすると今度は優しい手紙が送られてくるんですよね。「元気にしてますか。体、心配してます。でもお金が足りなくて」というような。

――それもお金を出させるための懐柔なのでしょうか?

小田切 そうです。それで私も「ああ、やっぱりお金を入れなきゃ」と思ってしまうんですよ。やっぱり“洗脳”されているので。

 でも、そういう家庭の事情をパートナーに相談していたら「弁護士を間に入れたほうがいい」と言って、弁護士を立ててくれたんですね。それで、家族と絶縁しようと決めたんです。

――継母からの金の無心はいつまで続いたのですか。

小田切 25、26歳の時までです。当時、伊勢丹で美容部員として働いていたんですけれど、そこに継母方の一番下の姉が店頭に来て「今うち、すごく大変なんだけど全然お金を入れてくれないじゃない」と言ってきたんです。私が大手外資系グループの社員だということもリサーチ済みなわけですよね。

 そうしたらその姉が、3社のカード会社の借入契約書を取り出して「今のあなたなら3社から合計500万円借りられるから、サインしてちょうだい」と言うんですよ。「借入して自己破産するという手があるよ」と。

「こんなことをするのは、もう親ではない」家族と絶縁できた理由

――自己破産を前提とした借金は、詐欺罪に問われる可能性もありますよね。

小田切 そうですね。なのでその契約書を持ち帰って、当時のパートナーに見てもらったところ「こんなことをするのは、もう親ではない。完全に縁を切った方がいいのではないか」と言ってくれて。

 人間としてやってはいけないことなので、その方に紹介してもらった弁護士に相談して、裁判所に接近禁止命令を出してもらったんです。

――事実上の絶縁ですね。

小田切 完全に縁を切ってしまいたかったので、役所の人に事情を話して「戸籍を抜きたいです」と相談したんですね。

 でも戸籍って、家族が役所に申請すれば閲覧ができるそうで。だからどこへ行っても居場所が特定されてしまうから、逃げられなかったんですよね。(※注:児童虐待被害者・性的虐待被害者への支援措置として「住民票閲覧制限」が全国的に運用されたのは、2012年(平成24年)10月1日から)

家族と絶縁後、実母の所在が判明した

――絶縁を試みたということは、その時には“洗脳”が解けていたのでしょうか。

小田切 自然と解けていましたね。色々な人たちにそうやってお世話になっていく中で真実を知って、色々な経験が繰り返される中で冷静な目を持つようになっていたので、あるとき継母からの手紙を「これは洗脳だ」と気付くことができたんです。

 それから継母たちと絶縁する時、役所の方に「私の実母の戸籍を見ることができますか」と聞いたら「できます」とのことだったので調べてもらったんですね。そうすると、板橋に籍があることがわかって。

――5歳の時にご両親が離婚して以来、一度も会っていなかったのですよね。

小田切 そうなんです。だから「会いに行こうかな」と思ったんですけれど、当時のパートナーから「会わない方がいい」と言われたんですね。

――それはどうしてですか。

小田切 「会ったとしても、良いことは絶対にない」と。実母はきっと何かしら抱えて生きているから、会うと責任を負うことになると言いますか、私が放っておけなくなってしまうのではないか、と彼は考えてくれたんです。「特に今、人生が良い方向に向かっているんだったら会う必要がないと思うよ」とも言われて。

――最終的に、小田切さんはどういう選択をしたのでしょう。

小田切 会いに行かなかったんです。板橋のその籍、戸建てだったんですよ。だから「多分、家庭があるな」と思って。それであれば、見ない方がいいかなという選択をしました。

約2年前に、継母方の姉から「母が死んだ」という電報が…

――継母たちと絶縁をしたあと、連絡が来たりすることはなかったのでしょうか。

小田切 手紙が来ることはありましたけれど、全部スルーしました。それからは一切連絡を取っていません。でも2年くらい前に、継母方の姉から「母が死んだ」という電報が届きまして。がんだったらしいんですが。

 電報には「最後の死に際まで、ヒロが活躍しているのを喜んでいました」と書いてありました。

――その知らせが届いた時、どういう心境だったのですか。

小田切 「ゲームセット」という言葉が頭の中にバッと浮かんで。「あ、本当にもう終わったんだな」と。良いも悪いも、なんの感情もない。

 私の活躍を喜んでいたというのは本当にそう思っていたかもしれないけれども、継母は自分で自分を“洗脳”していた可能性があります。

――それはどういうものなのでしょう。

小田切 彼女にとって私は金づるであり金のなる木だったので、「ヒロからお金を取るためにはヒロを愛する」というようなことだと思います。

――小田切さんが有名になるのを見て「あの有名人を育てたのは私」というような自尊心もあったのかもしれませんね。

小田切 そうですね、それもあると思います。

疎遠になった父親と、洗脳が解けない姉

――現在は、お父さんとはどのような関係なのでしょうか。

小田切 まったく連絡を取っていないですね。ふと父親を思い出すことはありますけれど、「会いたかったら向こうから来るよね」と思いますし、父親もまた継母の影響を受けていたんですよ。「あんな息子」という風に私のことを悪く吹き込まれていたと思うので。

 私自身も、継母から父親について「会社を継がせるために養子を取った」という話を聞かされたことがあって。でも、本当かどうかはわからないです。父親と私を引き裂くために仕組んで言った可能性もあるので。

――もし連絡がきたら会いますか。

小田切 はい、父親には会います。別にこれからどうという話ではなく、どういうことが起きていたのか真実を知りたいだけで。自分が信じ込んでいたことが、もしかしたらすべて嘘だった可能性もありますので。

 どこまでが真実だったのか答え合わせをしてみたいですね。なので連絡が来れば会いますし、こなければそのままだしという感じです。

――実のお姉さんとは、関係性が継続しているのでしょうか。

小田切 姉は20歳のときに父親からボコボコにされて家を出てしまって、それきりもう帰ってこなかったんですよ。けれども継母とだけはずっと連絡を取り合っていたようで。

 祖父が亡くなった時に久しぶりに会ったら、姉の目がおかしかったんです。もう、“洗脳”された人の目なんです。「うわっ。これ、完全にやられてるな」「もう姉じゃない」と思いました。

 食事しながらも、ずっと私のことを睨んで「ヒロを殺す」と唱えてるんです。正常な言葉が出ないというか、その言葉がさらっと出てきたというのは、もう完全に支配されているのだなと。それから姉とは絶縁というか、そこまでになっちゃったら、もう元に戻るのは無理かなと。

撮影=三宅史郎/文藝春秋

〈「解放されたい気持ちがあった」継母から“洗脳と虐待”→家族と絶縁→“美のカリスマ”になった小田切ヒロ(44)が、壮絶な過去を公表したワケ〉へ続く

(吉川 ばんび)