嶋大輔

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 1981年にドラマデビューを果たした後、翌年にソロ歌手としてもデビューした嶋大輔(61)。第2弾シングルとしてリリースした「男の勲章」は、嶋の代名詞でもある自身最大のヒット曲となった。当時、嶋がこの曲に抱いていた思いとは……。そして、売れっ子だった男が、子どもらが中心視聴者層の特撮ドラマに出演することになった経緯は……。

(全2回の第2回)

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銀蝿のJohnnyが歌う予定だった「男の勲章」

 嶋のシングル第2弾「男の勲章」は1982年4月にリリースされた。作詞・作曲は兄貴分「横浜銀蝿」のギタリスト、Johnny。石立鉄男主演で嶋も出演したドラマ「天まであがれ!」(日本テレビ系)の主題歌となった。

嶋大輔

「曲のイメージはロックンロールだったんですが、僕は(米ロックバンドの)TOTOがやっていたようなポップ・ロックがものすごく好きだったんですね。ボストンも好きでした。逆にキャロルやクールスのような日本人のロックンロールが好きというタイプではなかったんです。でも自分がロックンロールを歌う……。当時のアイドルはみんなそうだったと思いますが、自分の意見は通らないし、言うことすらダメみたいな雰囲気もありました」

 とはいえ、もちろんこの曲を嫌う理由はない。曲をもらった際に「これは売れる」と感じた。直感は当たり、オリコンシングルチャートで最高位3位、40万枚近くを売り上げる自身最大のヒットとなった。

「もともと歌は下手くそだったんで、レコーディングで厳しく言われてもこれ以上はできないと思いました(苦笑)。その辺はディレクターの水橋春夫さんが上手くやってくれたんだと思います」

 当初は曲を作ったJohnnyが自身のシングルとしてリリースするつもりだったという。

「それが事務所の社長の『大輔にあげなさい』という鶴の一声で、僕が歌うことになったんです。あの時Johnnyさんが歌ってたら、僕の『男の勲章』はなかったわけで。社長になぜ僕の曲にしたのか聞きたかったですが、聞く前に亡くなられてしまいました。僕にとっては恩人ならぬ『恩曲』です。当時は歌詞のすべてを理解していたわけではありません。17歳が『ガキの頃』なんて歌ってもね(笑)。40歳を過ぎてから歌うとしっくりくるようになりました」

人気歌番組を「全制覇」

 バンド「紅麗威甦」などと同様、横浜銀蝿の弟分ではあったが、銀蝿や事務所のスタッフなど周囲からは「大輔はちょっと違うよね」とも言われていた。そこにあったのはアイドルらしさ。銀蝿ほか一家のメンバーに比べ、やたらと女性のファンが多かったのだ。ただし曲発売当時、まだ17歳だったにしては冷静だったという。

「ドラマをやってライブをやって、サイン会をやってラジオにも出て。ライブだと例えば大阪が会場だと、大阪に着いてそのまま会場のホールに行ってリハーサルをやって本番終わったらホテルに入って。翌日はまた次の会場に行くので、『今日はどこだっけ?』と思うような毎日でした。勢いで行っていましたね。『男の勲章』もドラマを撮りながら、ライブに行って。ガキのくせして冷静でした。ただこんなに仕事させてもらっているんだ、という優越感はありましたね」

 当時、全盛だった歌番組にも数多く出演した。

「売れていると言われている人が出る『ザ・トップテン』『ザ・ベストテン』『夜のヒットスタジオ』『レッツゴーヤング』は全制覇しましたからね。『自分はここまで来たのか』と思ったこともありました」

広末涼子や多部未華子も口あんぐり

 俳優としては、デビュー作「茜さんのお弁当」以降、経験のすべてが身になる日々が続いた。「天まであがれ!」で共演した石立鉄男の厳しさ、その後も森繁久彌や渡哲也ら大スターの仕事に取り組む姿勢を勉強してきたという。

「一つのものに向かって何十人という人が取り組むのって好きなんですよ。一人がダメだと全部やり直しになる。そういうプレッシャーや緊張感も好きです。そんなことを言っていますが、『ヤスコとケンジ』(2008年、日本テレビ系)にカレー店店主で出た際に、NGを連発してテイク18まで行ったことがあります。一緒に出てた広末涼子ちゃんや多部未華子ちゃんは口をあんぐりしてました(苦笑)」

 1985年の「のン姉ちゃん・200W」(日本テレビ系)ではかつて親衛隊に入っていた石野真子とも共演。「この人と共演したい、という夢はたくさん叶えて来た」と笑う。

サウナに連れていかれて「やります」

 さまざまな経験を積む中で、1988年にはヒーローものである「超獣戦隊ライブマン」(テレビ朝日系)に主演した。演じた天宮勇介=レッドファルコンは戦隊のリーダー格。当時から若手の登竜門のイメージが強い作品だった中で、嶋に加え、岬めぐみ=ブルードルフィン役には森恵が起用されるなど、実績のある役者が主演・出演することは異例だった。

「自分の出が出なので、俺が地球を守るレッドでいいのかなという思いもありました(苦笑)。実際、最初に社長に言われたときはお断りしたんです。でもサウナに連れていかれて『やります』と言うまで出してもらえなかった」

 ただ、当時、知人に言われた「ジャリ番(子供向け番組のやや蔑んだ呼び方)やるの?」という言葉が魂に火をつけた。

「ヒーローものの番組がそんな言われ方をしてるのなら、俺がやってイメージをひっくり返してやる、と思ったんです」

 背中から落ちるアクションなどはJAC(現JAE)の担当者に教わりながら実地で取り組み、さらなる経験を積み重ねた。ロケ、アフレコ、セットロケの繰り返しで、東映の撮影所に入り浸る日々が続いていた。

 2001年には「ウルトラマンコスモス」(MBS・TBS系)で「TEAM EYES」の隊長(キャップ)、ヒウラハルミツ役で出演。

「それまでのキャップは堅いイメージがあったんですが、人間味を出そうと思い、失敗もするし、隊員に寄り添うという役作りを心掛けました。ただ、コスモスは怪獣を倒さないという設定があったのでテーマも難しかったし、グリーンバックでの芝居も難しかった。出演者のみんなと楽屋で昼ごはんを一緒に食べたりしていたのは、楽しかったですけどね」

 今後は自身が観るのが好きなホラー映画に出演したいという夢のほか、自身の監督作品を撮りたい欲求もあり、構想は練っているという。

「出演して作品に残るのもいいですが、制作・指揮をして作品を世に残してみたいですね。園子温監督のような作品を撮ってみたいですね」

ついに銀蝿一家でライブ決定

 2024年8月には、自身18年ぶりとなるアルバム「Memories and Beginnings 〜時を越えて〜」を発売した。代表曲の「男の勲章」も収録された6曲入りだ。「Dear Friends 〜いつか桜の丘で〜」はデビュー当時からの自身を思いを曲にした作品。さらに「Don't look back, to Run!」は兄貴分「横浜銀蝿」のリーダーで2022年に亡くなった嵐ヨシユキに捧げた曲でもある。

「昭和で育ってきたので、現代のテンポの速い早口口調の曲にはあまり揺さぶられないんです。アップテンポでも詞を大事にしたい。そういう曲を大事に歌いたい。だからこのアルバムでは、バラードのような曲をたくさん歌いました」

 同じ銀蝿一家の矢吹薫や紅麗威甦のLeerなどと「一度バンドを組みたいね」とも話しているという。2021年には、結成40周年で活動していた横浜銀蝿とともに「銀蝿一家祭」に出演したが、嶋が仕切る形で同様のイベントを福岡県久留米市で4月25日に開催することになった。

「近年の一家祭は、首都圏での開催でしたが、今度は地方開催となります。地方で待っておられる方も多いというので、なるべく足を運んでいただけたら。Johnnyさんも『いろんなところでやれたらいいな』とおっしゃっていましたしね」

 自身の45周年と銀蝿一家の活動が合わせて楽しみだ。

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 第1回では、思わぬ形でスカウトされた“事件”や素に近い形で果たしたドラマデビューなどについて語っている。

デイリー新潮編集部