人口増は喜ばしいことだが…

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 埼玉県川口市は荒川を挟んで東京23区と接する。昭和期は鋳物の街として町工場が櫛比し、我が国の工業を下支えしてきた。

【写真】タワマンが増える川口駅周辺。混雑の打開策は…

 東京に近いという立地はバブル期から注目されるようになり、住宅価格が高騰する昨今は埼玉県という理由から比較的、割安感がある。そうした事情を追い風に、町工場跡地は背の高いタワマンへと姿を変えている。

 新たにお目見えしたタワマンには近隣から流入してきた新住民が入居。その大半は東京へと通勤するサラリーマン世帯で、いわゆる埼玉都民と呼ばれる。

 人口が増えることは自治体にとって喜ばしい話であり、それは川口市も歓迎している。だが、人口増は同時に新しい問題を引き起こす。それが市の玄関になっている川口駅の混雑だった。

人口増は喜ばしいことだが…

北行南行でホーム共用、ラッシュ時は危険な状態に

 川口駅は京浜東北線しか停車しない。川口駅は大宮駅方面へと向かう北行と東京駅方面へ向かう南行が同じホームを共用する1面2線構造になっている。

 どちらの乗客も同じホームで電車を待つので、朝ラッシュ時は混雑で危険な状態になる。ホームで電車を待っていると、その横を東北本線(宇都宮線)や高崎線が走り抜けていく。それを眺めながら「あの電車に乗れたらなぁ」と不満を抱えている利用者は少なくないだろう。

 京浜東北線が輸送障害を起こすと、すぐに駅ホームは人で溢れかえってしまう。駅が混雑すると、利用者同士がぶつかってケンカが起きることも珍しくない。利用者がホームで転倒すれば、事故にもつながる。そうした事故・トラブルが、さらなる遅延原因にもなる。

 輸送障害の連鎖を防ぐため、鉄道事業者は列車の遅延時に駅への入場を制限することがある。また、駅ホームから利用者が転落するという最悪の事態を避けるため、鉄道事業者や自治体などが協力してホームドアの設置を急いできた。

 川口駅はJR東日本・埼玉県・川口市の3者が協力して、2017年からホームドアの整備を始め、2019年6月から使用を開始した。ホームドアの整備により転落事故を防げるようになったが、それらに混雑を緩和する効果はない。そのため、引き続きJR東日本は混雑対策として駅ホームへの入場を制限するという措置を取り、利用者の安全確保に努めてきた。

 しかし、京浜東北線は直通運転をしている根岸線を含めて全長が約81.2キロメートルと長い。川口駅で輸送障害の原因になるトラブル・事故を防ぐことはできても、別の駅もしくは路線の途中で何かしらのトラブルが起きることだってある。

 京浜東北線は立体交差化が進められて踏切の大半は廃止されたが、ゼロにはなっていない。数少ない踏切で事故が発生すれば、その影響は川口駅にも及ぶ。また、京浜東北線とほぼ並行している東北本線(宇都宮線)や高崎線、東海道本線といった電車で事故が発生すれば、その余波で京浜東北線が動かなくなることもある。

利用者分散の試み

 そうした輸送障害が起きた際の対応として、川口市は川口駅から約1.2キロメートル東に位置する埼玉高速鉄道の川口元郷駅を利用するように呼びかけている。これは事故が起きた時だけの対応ではなく、普段から分散を意図した取り組みにもなっている。こうした利用者の分散は、未然に事故を防ぐことにもつながっている。

 こうした取り組みのほか、川口市は川口駅に上野東京ラインを停車させて利用者の分散を試みてきた。

 長らく東北本線(宇都宮線)や高崎線は上野駅の発着だったが、2001年に山手貨物線を旅客転用する形で湘南新宿ラインが運行を開始。湘南新宿ラインは上野駅を経由せずに池袋駅・新宿駅・渋谷駅といった山手線の西側の駅に乗り換えなしでアクセスできる。そのため、運行開始は埼京線を補完する役割が強かった。

 その埼京線は1996年に恵比寿駅まで延伸し、これによって池袋駅・新宿駅・渋谷駅といった副都心と埼玉県を結ぶ路線になる。埼京線の恵比寿駅延伸は、通勤・通学の利便性向上となり、埼玉都民を増加させた。

 湘南新宿ラインは埼京線の利用者分散、ひいては混雑緩和という目的も内包していた。しかし、皮肉なことに湘南新宿ラインが運行を開始したことによって、よりベッドタウン化が加速し、混雑の緩和にはつながらなかった。

 こうした課題を抱える中、2015年に上野駅から東京駅まで線路が延伸し、宇都宮線・高崎線が東京駅へと直通する上野東京ラインの運行が始まる。

 上野東京ラインは東京駅で東海道本線と相互に乗り入れるため、東北本線や高崎線の利便性はさらに向上した。ますます埼玉県のベッドタウン化は顕著になり、埼玉都民の増加を招いた。

 川口駅には湘南新宿ラインも上野東京ラインも停車しないため、その恩恵を受けることはない。

 川口市は市民の利便性向上と京浜東北線の混雑緩和という2つの目的から、JR東日本に中距離電車の停車を働きかけてきた。

 当初、川口市は“中距離電車の停車”を要望していた。これは湘南新宿ラインと上野東京ラインの双方を停車させたいという意図が含まれている。しかし、後に“上野東京ラインの停車”へと要望を微修正する。

川口駅停車の副作用

 川口市の本音としては、池袋駅・新宿駅・渋谷駅へ直通する湘南新宿ラインも、上野駅・東京駅へと直通する上野東京ラインどちらも停車させたいと考えていたはずだが、いきなり両方を求めるのは欲張りだとの批判も出かねない。過剰なリクエストをしたら、JR東日本もいい顔をしないだろう。

 短期間で交渉をまとめるには、どちらか一本に絞った方がいい。そう判断した川口市は、運転本数が多い上野東京ラインを選択。これまでの方針を変更して、“上野東京ラインの停車”を求めるようになった。

 川口駅を利用する大半は川口市民だろう。川口市が市民のために川口駅の利便性向上に取り組むのは当然の話だが、その一方で上野東京ラインの川口駅停車は副作用も起こしかねない。

 川口駅に上野東京ラインが停車すれば、川口駅から乗車する乗客によって混雑率は上がってしまう。それにより、今度は上野東京ラインで輸送障害が頻発する恐れもある。

 輸送障害は東京駅で相互乗り入れしている東海道本線にも波及する。そうした懸念から、JR東日本は川口市の要望を拒み続けてきた。

 また、停車駅が増えることで上野東京ラインの速達性が失われる。これは上野東京ラインが京浜東北線化することを意味している。既存の上野東京ライン利用者にとって所要時間が増えることや混雑率が上がることは容認できない。上野東京ラインの停車は川口市民にしかメリットがなく、それゆえに他市民から反対が出るのは当然だった。

 それでも川口市は粘り強く交渉を続け、2025年に川口市がホームの増設工事や駅自由通路の費用全額を負担することを条件にしてJR東日本から合意を取り付けた。

新市長は見直しに言及…

 これらの事業費は約430億円と試算されたが、駅の混雑対策や利便性向上という効果があり、さらにニューファミリー層を呼び寄せる効果も期待できる。つまり、川口駅に上野東京ラインを停車させることで税収増も期待できた。

 川口市の立場で見ると、上野東京ラインを停車させることは都市発展や人口増のための投資ということになる。

 川口市の奥ノ木市長は、上野東京ラインの川口駅停車に道筋をつけて、後任市長に道を譲った。そして後任を決める市長選が2026年2月に実施された。ところが新たに就任した岡村ゆり子市長は就任早々から川口駅の上野東京ライン停車を見直しに言及した。その背景には、現在の工事費の高騰があった。

 建設業界は2024年前後から人手不足感が急速に強まり、その対策として作業員を確保するべく賃上げを繰り返してきた。それでも人手不足を解消するには至らず、今後もさらなる賃上げは避けられない。

 そうした人件費の高騰にくわえて、資材費も右肩上がりを続けている。これらを勘案すると、川口駅の上野東京ラインを停車させるための事業費は大きく上振れすることは確実だろう。そうしたことを踏まえて、岡村市長は事業の見直しに言及したと思われる。

 川口市が費用の全額を負担するという前提が崩れるなら、JR東日本が上野東京ラインの川口駅停車を白紙に戻すことは必至だろう。そもそもJR東日本にとって上野東京ラインを川口駅に停車させるメリットはほとんどないと言っていい。

 上野東京ラインの川口駅停車問題が揺らぎ始め、長年にわたる議論は振り出しに戻ろうとしている。

小川裕夫/フリーランスライター

デイリー新潮編集部