箱根駅伝で総合優勝を果たした青山学院大学。原晋監督は9度目の優勝となり、岡野章氏(日体大を率いて45回大会から5大会連続含む8度の優勝)を抜き、箱根駅伝の単独最多優勝監督となった。その原さんが「なぜ勝てたのか不思議な大会」として挙げた2024年大会のエピソードを紹介しよう――。

※本稿は、原晋『決定版!青学流「絶対王者の鉄則」』(祥伝社)の一部を再編集したものです。

写真=時事通信フォト
総合3連覇を達成し、撮影に応じる青学大の原晋監督(中央)と選手たち=2026年1月3日、東京・大手町 - 写真=時事通信フォト

■箱根で圧倒的勝率…なぜ勝てたのか不思議な大会も

私が監督に就任してから、前回(2025年)までで計17回、箱根駅伝に出場しています。

33年ぶりに出場したのが2009年のこと。翌年には早くも、チーム初のシード権を獲得します。2015年に初めて総合優勝を果たすと、そこから史上6校目となる4連覇を達成。以降は常に優勝争いを演じてきました。

そのなかには、なぜ勝てたのか、不思議な大会もあります。

2024年に開催された第100回の記念大会は、そんなことを強く感じさせられる大会でした。

あの年、下馬評がすごく高かったのが駒澤大です。5000mや10000mのチーム記録を見てもそうですし、エース級が何人もいて、中間層の戦力も厚く、箱根駅伝の経験者がたくさんいました。前哨戦である出雲駅伝と全日本大学駅伝を制し、2年連続大学駅伝3冠の偉業を視界の先にとらえていたのです。

それに比べると、私たちは全体の調子が上がり切らず、11月末から12月初旬にかけての最終合宿では、選抜メンバーがインフルエンザに集団罹患するという苦しい状況にありました。メンバー16名のうち、実に13名が高熱を出して寝込むという、私が就任して以来、初めての非常事態です。加えて、12月11日には主力の佐藤一世が盲腸になり、使えるめどが立たなくなった。もはや絶体絶命の状況でした。

それなのに、選手たちはシーズン初めに掲げた「箱根駅伝優勝」にこだわって、取材会見でも「優勝が目標です」と話していました。

私にはそれが、「数字遊び」(選手が各自で設定する目標タイムに目標と願望を混同するようなケース)と同じことをしているように思えたのです。本気で勝てるとも思っていないのに、目標を優勝と決めたから固執しているだけ。ある種の現実逃避のような、ツライ現実から逃げているだけのようにも映ったのです。

出典=『決定版!青学流「絶対王者の鉄則」』(祥伝社)

■青学を「大逆転優勝」に導いた原監督の一言

そのとき、思わずこぼれたのが「2位でいいよ」という言葉でした。

たしか、ミーティングの最後に、選手たちに向かって言ったのだと思います。半分は本音で、残り半分は「ちょっと肩の力を抜きなさいよ」というメッセージでした。優勝、優勝と自分たちでプレッシャーをかけてガチガチになって、周りの状況がよく見えていなかった。そんな学生たちに、肩の力を抜けと伝えたかったのです。

まさか、この言葉をきっかけにして、あそこまでチーム状況が変わるとは、私も予想をしていませんでした。

当時の志貴勇斗キャプテンを中心に、学生たちが真剣に話し合い、本気でトップを取るには何をすべきかを考え始めた。負けたくない気持ちは当然あるわけで、その気持ちに火をつけたのがあの言葉だったのです。

私も驚くくらい、チームの雰囲気が変わりました。本番の2日前くらいには「これはひょっとすると勝てるかもしれん」と思ったほどです。一度は間に合わないと判断した佐藤が戻ってきて、インフルエンザで倒れた選手たちもちょうどいい具合に疲れが取れてきた。心身ともにいい状態に戻ってきたのです。

これは、私にとっても新たな気づきでした。

これまで箱根の直前合宿で崩れたことはなかったのですが、思いがけずそれを経験して、またわずか2週間ほどで立ち直すことができた。指導者の頭のなかには常に「計画と実行、評価と対策」がシミュレーションされていて、もしかするとこの時期には少し疲労を抜いたほうがいいのかもしれない、と原メソッドを書き換えることまで考えたほどです。

平成28年2月25日、安倍総理は、総理大臣官邸で、第92回東京箱根間往復大学駅伝競走で総合優勝を果たした青山学院大学陸上競技部による表敬を受けました(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

■「言葉の力」で大会新記録での優勝

本番はまさに、選手たちの勝ちたい気持ちが爆発しました。

原晋『決定版!青学流「絶対王者の鉄則」』(祥伝社)

2区でエースの黒田朝日(当時2年)が区間賞の走りで2位に浮上。3区では太田蒼生(当時3年)が駒澤大の佐藤圭汰選手に競り勝ち、早くもトップに立ちます。

そして、勝負を決めたのが4区を走った佐藤一世(当時4年)でした。2位駒澤大との差を、4秒から1分26秒へと広げる圧巻の走り。直前まで練習できていなかったのがウソのようでした。彼は常に、ここぞという場面で輝きたいという思いを持って練習をしていたのでしょう。3人とも、見事な表現力のある走りでした。

史上最大の危機も、終わってみれば大会新記録(10時間41分25秒)での優勝。選手たちのおかげで「言葉の力」に気づかされた、私にとって忘れられない勝利でした。

----------
原 晋(はら・すすむ)
青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督、同地球社会共生学部教授、一般社団法人アスリートキャリアセンター会長
1967年、広島県三原市生まれ。青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督、同地球社会共生学部教授、一般社団法人アスリートキャリアセンター会長。広島県立世羅高校で全国高校駅伝準優勝。中京大学卒業後、中国電力陸上競技部1期生として入部するも、故障に悩み5年で引退。同社でサラリーマンとして再スタートし、新商品を全社で最も売り上げ、「伝説の営業マン」と呼ばれる。2004年から現職に就任。09年、33年ぶりに箱根駅伝出場を果たし、15年に箱根駅伝初優勝に導くと、17年、大学駅伝3冠を達成。翌18年に箱根駅伝4連覇、20年、22年に続いて24年、25年と箱根駅伝2連覇8度目の総合優勝を果たし、箱根駅伝最多勝利監督となる。『逆転のメソッド』『勝ち続ける理由』(ともに祥伝社)など著書多数。
----------

(青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督、同地球社会共生学部教授、一般社団法人アスリートキャリアセンター会長 原 晋)