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動画「瞑想と、無の境地、そしてクオリア」で、脳科学者・茂木健一郎氏が瞑想や無の境地で意識に生じる“クオリア(質感的な意識体験)”について最新の見解を明かした。

茂木氏は冒頭「瞑想などの状態においてクオリアがどう変化するかはとても興味深い問題」と切り出し、古来から悟りを開くための手法として重視されてきた瞑想が意識やクオリアに与える影響について自身の考えを述べた。

同氏は「瞑想することでメタ認知が起こる。自分自身の意識の状態に対してメタ認知が起こるので、私とかクオリアにいろんなことが起こることは間違いない」と語り、瞑想体験の中で新たなクオリアの発生や、自己と他者のクオリア所有性の境界が揺らぐといった現象が確認されてきたと説明。「いわゆる無の境地で新たなクオリアが生まれたり、自分と他人のクオリアの境界が揺らぐことも古来から言われていて、非常に面白い」と述べ、意識経験の多様性に触れた。

一方で、「瞑想や無の境地は定義が曖昧で多様。そもそもそれが言語依存的、文化依存的、あるいは主観依存的。明確な一直線上の定義が難しく、スペクトラムのようなもの」と指摘。経験者同士でも“高い境地”の認定に差異が出ることや、客観的な基準を作る困難さを例え話を交えて語った。

クオリアについては「クオリアについてのメタ認知がある人にとっては非常に明確に定義されている」とした一方、「私が見ている赤とあなたが見ている赤が同じか違うかは現時点で検証不可能」として永遠のテーマであることを強調。「特に感覚的クオリアは明確な定義ができても、自己感覚や無の境地になると、現象の科学的解明は難航しやすい」と現状を解説した。

興味深い視点として、「自己意識の中枢、私の中心へ行くほど、クオリアは無色透明に近づく。これは“私が私である”という構造が共通で、いわゆる無の境地と古来言われてきたこと」と持論を展開。「無の境地といっても意味合いは人によって違う。その曖昧さはあるが、その領域ではクオリアが単純ではなくなる」と言及した。

さらに「変性意識状態では今までに感じなかったクオリアや共感覚が生まれたり、現実にはない幻覚・幻想も現れる」としつつも「普通の状態と変性状態で感じるクオリアが、カテゴリーとして根本的に違うかは何とも言えない」とバランス良く分析した。

最後に、瞑想や無の境地の研究がなかなか科学で進まない理由について「人によって言うことが違い、一人一理論のようになっていて、科学のアプローチは難しい」と述べ、「意識の科学には、自分の意識への気づきを積み上げることが重要。多様な経験を持つ人々の話を聞くこと、時には自ら実践してみることも大切」と締めくくった。

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