“インスタ映え”が流行語大賞に選ばれたのは、もう5年も前のこと。

それでもなお、映えることに全身全霊をかける女が、東京には数多く存在する。

自称モデル・エリカ(27)もそのひとり。

そんな彼女が、“映え”のために新たに欲したのは「ヨガインストラクター」という肩書だった―。

エリカは、ヨガの世界で“8つの特別なルール”と出合う。しかし、これまでの生活とは相いれないルールばかりで…。

これは、瞑想と迷走を繰り返す、ひとりの女性の物語である。

◆これまでのあらすじ
肉離れの治療に通うエリカ。偶然出会った証券会社に勤める木村(30)と、2人で食事に行く関係になる。これまでに交際してきたアグレッシブな男性たちとは正反対の彼。エリカは、徐々に彼が気になり始めるのだが―。

▶前回:「このお店って…」“僕の行きつけの店に行こう”と誘われた女。当日、愕然とした理由とは




Vol.12 普通のデートができなくて


「金曜日、焼き肉でも食べにいかない?」

木村さんから電話がかかってきたのは、21時過ぎだった。

「…え、あ、焼き肉?金曜日はちょっと…ごめんなさい」

今、まさに眠りに落ちるところだった私は、くぐもった声で答える。

明日は、午前中だけでヨガのレッスンを3クラスこなさなくてはならない。5時前には起きることになるから、こうして早い時間にベッドに入っていたのだ。

「エリカさん、もしかして寝てた?」
「うん、でも大丈夫」
「ごめん!またLINEするよ。そのまま寝て?おやすみ」

申し訳なさそうに、焦った様子で電話を切る彼の声が、耳もとに残った。

― そういえばこの前も、映画のレイトショーの誘い…断ったんだよね。

さすがに気を悪くさせてしまったかもしれない。そう思いながら、私は夢の中へと落ちていった。



翌朝。

エリカ:「おはよう!昨日はごめんね。今からレッスン行ってきます」

私が送ったLINEには、すぐに返事が送られてきた。

木村:「おはよう。いや、こちらこそ、起こしちゃってごめん。また、タイミングが合いそうなときに誘うね!」

― タイミングもそうなんだけど。それだけじゃないんだよ…。

気になる相手ができたら、食事に行ったり、デートをしたりする―。そんなごく普通のことが、今の私にはできない。

なぜなら、ヨガの仕事をするためには、節制しなくてはならないことが多いからだ。

体型の維持もそうだし、なにより自分自身が心身ともに健康でいなくてはならない。

こんなにストイックでなくてはならないのか。インストラクターになってから、自分でも驚いた。

エリカ:「木村さん。私、話しておきたいことがあって。土曜日のお昼ごろって、少し会えたりする?」

誘いを断り続けることには、どこか後ろめたさのようなものを感じていた。

だから私は、食事や夜のデートに積極的ではないワケを、彼に正直に伝えることにしたのだった。




土曜日の13時前。

外苑前のカフェの近くにやってくると、少し前を歩く木村さんの姿が目に入る。

「木村さん、こんにちは」
「あー、びっくりした!あれ、待ち合わせって13時だよね?エリカさん、早いね」
「それを言うなら、木村さんも」
「僕、昔からこうなんだよね。相手より先に来てるほうが、落ち着くんだ」

私たちは店内に入り、テーブル席に向かい合って座った。

「このあいだは、せっかく誘ってくれたのにごめんなさい」
「全然、気にしないで。ヨガの仕事、忙しそうだね」
「うん。怪我が治って、やっと普通にレッスンできるようになったから」
「そっか、よかった。でも、頑張りすぎないようにしないと」

他愛ない会話をしていると、注文したカモミールミントティーとコーヒーが運ばれてくる。

― 言うなら、今…だよね。

私は、コーヒーを飲む彼のことをジッと見つめてから、口を開く。




「あのね、木村さん。私、普通のデート…みたいなことがちょっと難しくて」
「えっ、それって?もしかして、彼氏がいる…とか?」

木村さんは、コーヒーカップをソーサーの上で倒しそうになっている。

「ううん、そうじゃないの。えっと、実は食事制限をしていて。それも、結構しっかりめに」
「ああ、なるほど。ヨガの先生だもんね」
「うん、食べるものにも気をつけてるんだけど。レッスンの時間に合わせて食事をするから、かなり不規則っていうか」
「へえ。体を動かす仕事だと、色々あるんだ。じゃあ、今度食事をするときは、エリカさんが気にせずに食べられるものにしよう」

デートにおいて、食事に重きを置く人は多い。

特別な相手と、どこで、何を食べるか―。前日からわくわくするくらいだ。昔の私もそうだった。

だけど、木村さんは嫌な顔ひとつせずに、こちらに合わせてくれるという。

私は、この波に乗って、もうひとつ伝えなくてはいけないことを口にすることにした。




「それから私、夜は21時に寝ちゃうの」
「すごい、本当に健康的な生活なんだね。僕もちょっとは見習わないと」
「…それでも、また誘ってくれる?」
「もちろん!」

彼は、断られていた理由がわかったようで、安堵の表情を浮かべている。

次のデートでは、玄米菜食で有名なカフェに付き合ってくれた。「体によさそう」だとか「おいしい」だとか、満足げにランチを楽しんでくれたのだった。



ところが、3週間後。

― 最近、木村さんから食事に行こうって言われなくなった気がする。

連絡の頻度が下がっているのは、明らかだった。

― 「21時には寝てしまう」と言ったから…?

LINEのやり取りを見返すと、最後のメッセージには、彼の本音がにじんでいるようにも思える。

エリカ:「マクロビレシピは作り置きできるものがたくさんあるから、家でも楽しめるよ」
木村:「うーん、作り置きね。僕は、エリカさんほど意識高くなれそうにないかな」

― はあ…。“意識高い”って、前に真保と千波にも言われたっけ。

やはり私のライフスタイルは、ヨガをしていない相手にとっては受け入れがたいもののようだった。

しかし、恋愛を優先するとレッスンに支障を来す。かといってレッスンを優先すると、こんなふうに恋愛がうまくいかない。

普通のデート。それが、いつからかとてつもなく難しいものになってしまっていた。

だが、気落ちしてもいられない。こういう負のオーラは、生徒のみんなにも伝わってしまうのだ。

― なにがあったとしても、レッスンに持ち込んだらダメ。

私は、ゆっくりと長く息を吐き、それからスッと吸って深い呼吸を繰り返した。

ヨガの教えのひとつ“ダーラナ”は、呼吸を意識して自分の感覚を内側に入れるというものだ。一点集中したいときの精神統一に役立つ。

この日もパッと気持ちを切り替えることに成功すると、その足で礼子さんのスタジオへと向かった。


「あれ、礼子さん。今夜いらっしゃる白鳥さんって、初めての生徒さんですか?」

ヨガスタジオの受付に置かれている予約台帳には、見覚えのない名前が書かれていた。

「ああ、白鳥さんね。エリカさんのインスタを見て、スタジオに問い合わせをしてきたって言ってたかな」
「それって、礼子さんのお知り合いじゃないってことですか?」
「実は、このあいだ受付をお願いしていた別のインストラクターの子が、何も考えずに予約を受けちゃったみたいで。私もここにいるから、もし何かあったらすぐに声をかけてね」

今まで、こんなことはなかった。

パーソナルレッスンは、扉を閉めきったスタジオ内でおこなうため、密室で男性と2人きりになる。

だから礼子さんは、自分の知人や面識のある“信用できる人”だけを生徒として受け入れてきていた。

今日の礼子さんは、どこか緊張した面持ちだった。

19時。

うつむきがちな男性が、礼子さんに促されてスタジオ内に入ってきた。失礼だけれど、運動はしないタイプに見える。

「白鳥さん、はじめまして。インストラクターのエリカです」
「…よろしくお願いします」

白鳥さんは、私と対になって敷かれたヨガマットの近くに、いそいそと荷物を下ろした。

そして、ゴソゴソと鞄の中をあさると、おもむろにスマホを取り出して、こちらに向けて設置したのだった。




「録画してもいいですか?」

突然のことに、思考がピタッと停止する。

そんな私に代わって答えたのは、まだスタジオ内にいた礼子さんだった。

「ごめんなさい。レッスン中は、スマホの使用を遠慮してもらってるんですよ」

すると彼は、しぶしぶといった様子でスマホをしまい、ようやくレッスンを始める運びになったのだった。

しかし、白鳥さんは、純粋にヨガをしにきたのではないようだった。

レッスン中盤。

じっとりとした視線を送ってきていることには、うすうす気づいていた。

私がふと鏡のほうへと体の向きを変えたとき、うしろ姿を上から下まで舐めるように見る様子も、鏡越しに映っていた。

パーソナルレッスンでは、なるべく体のラインがわからないようなウェアを選んでいるものの、気分のいい話ではない。

それでも1時間、なんとかレッスンをやり切った。

レッスン後、15分ほど休憩をとる。

さあ帰ろうと、受付にいる礼子さんにあいさつをして玄関で靴を履き、ドアを開けた瞬間。まさかのことが起きた。

「エリカさん、また受けにきますね」

あろうことか、スタジオの玄関の外の暗がりから、彼が出てきたのだ。

「あ、ありがとうございます。失礼します」

そう答え、白鳥さんに追いつかれないように早足で最寄りの四ツ谷駅へと向かう。ちょうど出発間際の電車があったので、急いで乗り込んだ。

― …申し訳ないけど、次の予約は取らないでもらおう。って、うそっ…!




電車が動き出してから、愕然とした。

2メートルほど離れたところに、白鳥さんの姿があったのだ。

目が合うなり、会釈をしてくる。

なんとなくただ事ではない気がした私は、引きつった顔で頭を下げた。そして、次の新宿駅で電車を降りると、礼子さんに電話をかける。

「もしもし?礼子さん、今駅なんですけど…。白鳥さんが同じ電車に…」
「えっ?どこの駅?車で迎えに行くから、なるべく人がいるところで待ってて」

10分後。

私は、礼子さんの車に乗り込む。礼子さんは、身重の体で立川の実家まで送ってくれるという。

「エリカさん、本当にごめんなさい。予約は、私が徹底して管理するから。それと、これ…」

礼子さんが差し出してきたスマホを受け取ると、そこにはこんなネット記事が表示されていた。

“プロ野球選手・和寿の二股相手は、元モデルでヨガインストラクターのエリカ(27)!”

ゴシップサイトの記事は、拡散されるのが早い。自分の名前をエゴサーチすると、この話題ですでにいくつもの記事が書かれていた。

なかには、Instagramから引用したウェア姿の写真を大々的に使った記事まである。

“セクシーな体で誘惑”という下品なタイトルには、鳥肌が立った。

「…大丈夫?」

運転席の礼子さんに問われると、こんな言葉がポロリと口をついて出た。

「…もう、やだ。ヨガなんて、やりたくない」

どうして、ヨガを始めてから悪いことばかりが続くのだろう。ここにきて、糸がプツッと切れる感じがした。



1ヶ月後。

抱えているレッスンをすべて消化すると、私は、ヨガの世界からひっそり姿を消したのだった。

▶前回:「このお店って…」“僕の行きつけの店に行こう”と誘われた女。当日、愕然とした理由とは

▶1話目はこちら:「私に200万円投資して」交際中の彼に懇願する、自称・モデルの女。お金の使いみちは?

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ヨガの世界から姿を消したエリカ、最終的に行きついた先は…?次週、最終回!