年収が上がっても、幸福度は一定以上は上がらない…。

世間で言われているこの言葉は、果たして本当なのだろうか?

たしかに、年収3,000万も5,000万も、暮らしは大して変わらないのが東京の現実である。

であれば、1億円以上稼げば、さすがに違うのでは?

そこで東カレは、1億円プレーヤーが考える『お金と幸福感』について、東京ミリオネアたちへのインタビューを敢行した。

年収1億円を稼ぎ出す人が考える、お金とは?幸福とは?




【今週のミリオネア】

名前:松本さん(仮名)
年齢:40代
年収:1億3,200万円
職業:会社経営、一級建築士
住まい:赤坂見附
家族:バツイチ


ジャージ代 1万円すら払えなかった高校時代


ミリオネア3人目としてご登場いただいたのは、一級建築士事務所の所長で、国内外で複数の会社を経営する松本さん。

ご本人いわく「一流大学も出ていないですし、留学経験もなければ大手企業に就職した経験もないです(笑)」。

これまで登場いただいミリオネアのみなさんとは、全く異なるキャリアを持ちながらもミリオネアに上り詰めた彼の軌跡とは?

――松本さんの人生における、金銭的なことにまつわる最初の記憶とは何でしょうか。

松本さん:祖父ですね。戦時中と戦後に財をなし、地元の神戸では名士だったと思います。幼い僕には仕事のことは分かりませんでしたが、スーツを毎年新調し、黒檀のステッキで歩く姿に憧れていましたね。

ただ、僕の父には商才がなかったようで、祖父が亡くなると生活は苦しくなりました。


今も忘れない。極貧時代の思い出とは?


松本さん:僕自身もスポーツが得意だったり勉強ができたこともあって、いい友人に恵まれていました。だから、お金で苦労はしましたけれど、それが辛かったっていう記憶はほとんどないんです。大人になって、それは母の努力の賜物だって分かったのですが。

一度だけ高校時代に部活動でチームのジャージを揃えるのに1万円必要ということになったんですが、そんなお金の余裕は僕の家にはなくて、強盗でもしなきゃ無理かもって真剣に悩んだことはあります。

でも暗い顔をしていたら裕福な家庭の友人が何も言わずに貸してくれたんです。ありがたかったですね。

ただ、その時ですら、貧乏は嫌だって思ったことはありませんでしたね。



駅徒歩45分、1ルーム36,000円に住み、ボランティア活動に励む日々



――大学時代はどんな歩みを?

松本さん:高校時代は部活動に集中していたので、勉強の方はトップ10で入学してワースト10で卒業という散々たるものでした。

スポーツでは県の代表に選ばれましたけど、スポーツ推薦はお断りしたので、偏差値55ぐらいの東京の大学にしか合格できませんでした。大学の沿線の終着駅から徒歩45分で家賃36,000円の古めかしい1Rのアパートが僕の東京生活の始まりでしたね。

ただ大学時代の僕は、アカデミックに勉強することよりも、国際的なNGOに参加して途上国で学校建設などに熱中していましたね。大手企業に片っ端から電話をかけて寄付をお願いし、建設資金のめどが立ったらエチオピアなどに飛んで力仕事に精を出していたんです。

1年の3分の1ぐらいは海外にいたような気がします。当時はあまり大学に行かなくても単位が取れた時代だったんですね。

「正しいことをして、感謝をされて、僕ってなんかすごく良い人生を送っている!」ってすごく前向きに生きていました。

――大学時代はいわゆるバブル時代。浮ついたものには一切踊らされず?

松本さん:大学は渋谷に近かったですし、サークルの先輩に連れられて六本木まで、たまに遊びに行きましたけど、正直何が楽しいか分からなくて…。でもお陰で、僕ってストイックなライフスタイルが好きな変わり者なんだって気づきましたね(笑)。

だからお酒の席とか食事会とかよりも、何か大きな問題に挑戦して解決しようと試行錯誤することが好きでしたね。これは今も変わりません。




初任給は14万円。アルバイト3つを掛け持ちし、父親の借金を返済


――自分のために使うお金は一切なく?

松本さん:なかったですね。大学は奨学金でしたから返済もありましたし、アルバイトは賄い付きの焼肉店で月7〜8万だったかな。お金がないので、1日1回の賄いの時に死ぬほど食べて、2食を浮かす。そんな毎日でしたね。当時は175cmで58kgしかなかった(笑)。

――就職は?

松本さん:NGOの活動には一旦区切りをつけて、実家に戻って大阪の弁護士事務所に就職しました。いわゆる”ミンボー”対策専門の事務所で、体力と根性のある若い男なら誰でもいいって感じで(笑)。

初任給は14万円。ただ、祖父が建てた神戸の一等地のビルが地震で被災して、その修繕費用が必要だったので、早朝にコンビニ、夜は塾講師と3つの仕事を掛け持ちしていました。



29歳でペンキ職人へ転身。ゼロから下積みを始め、経営にまで携わるように



――キャリアの転機はいつ?

松本さん:29歳の時ですね。弁護士事務所の仕事が虚しく思えてしまって…。大学時代に何度も通ったアフリカの大地が鮮烈に蘇ってきたんです。

あぁ、太陽の下で汗を流して仕事がしたいって。そんなとき、知り合いからペンキ屋の社長が人を探してるよ、給料は欲しいだけくれるらしい、って聞いて、何も考えずに飛び込みました。

でも実際は全然違っていて、20万円と希望額を言っても14万円しかくれず…。また14万円じゃんって悲しい気持ちになりました。

でもキャリアがないんだから仕方ないって開き直って、ペンキ塗りから黙々と下積みを続けました。やがて現場監督をして、工事部長、取締役と、トントン拍子に出世。部長時代の月収は50万円でしたが、取締役になって実力主義に給与体系を改訂して、僕の年収も2,000万円を超えるようになりました。


見えてきたミリオネアへの道。お金に不自由しなくなって分かった、人間の本性とは?



――ミリオネアになったのはいくつの時ですか?

松本さん:36歳で独立したあとなので、40歳前後だったと思います。

僕の場合は技術職ですから、現場に出たり事務所で机にかじりつくことが主流で、接待したりされたりってほとんどない。ずーっとストイックに仕事をしています。だから年収は高いかもしれませんが、月給14万円のときとライフスタイルはそんなに変わっていません。

ただ、特許技術を持っている関係で、日本のあちこちや、海外から仕事の依頼があって、国内に5箇所、海外に8箇所拠点を持っていますから、生活圏が広がっていることは昔に比べると大きく変わったのかもしれませんね。

ただ、赤坂見附の家も家賃は35万円ぐらいでそれほど豪華ではありませんし、車はレクサス。夜は22時には寝ますから、お酒も飲みません。

休みは基本的にとっていなくて、体力と気力の限界まで働いて、フッと息抜きしたくなったときに長期休暇をとるって感じです。6ヶ月休まず毎日体力の限界まで働いて1週間休むみたいな…。こんな生活じゃ当然ですが、彼女なんてできませんね(笑)。



お金に不自由しなくなって見えてくるのは、人間の本性



――具体的には、どんなことにお金を使うのでしょうか。

松本さん:僕たち技術系の人間は、自分は歴史の一部分だっていう意識が強いんだと思います。先人達の努力によって築かれた技術を受け継いで、それを時代にマッチするようにアップデートして、それを次の世代へとつないでいく。

僕たちはそんな連綿と続いていく歴史の一部に過ぎない訳ですから、社会をより良い方向へと改善できるような技術開発にお金を使うことが好きですね。もちろん開発する大前提は僕自身のヒラメキで、それは僕の経験値から来ることが多いですから、自分自身のさまざまな経験値を上げるためにお金を使うことも惜しみません。

これを話すと気持ち悪いと思われるかもしれないですが(笑)、仕事とまったく無関係なことにお金を使ったり、時間を使ったりしていると、大きな罪悪感が湧いてくるんです。

お酒を飲んだりとか、グルメを楽しむとか、お洒落するとか、スポーツをするとか、週休2日とか、ビジネスパーソンの常識とは無縁な生活を過ごしているのは、それは罪悪感が関係しているからですね。

――では、事業以外で惜しまず投資できるものってないのですか?

松本さん:これ、というジャンルはないですね。うまく言葉にできませんが、本質を見極めた上で価値があるかどうか。僕がお金を使う基準はそれだけで、「これは価値があるなぁ」って思ったらお金を使います。

例えば、今日着ているこのシンプルなジャケットは、さっき東京に着いたら寒かったので防寒着を購入しようとエルメスに行って買ったものです。

カシミアで暖かいのも良いのですが、それだけじゃなくて襟裏に柔らかいレザーがあしらわれている。エルメスに立ち寄る前に某ラグジュアリーブランドに寄りましたが、ウールのジャケットで50万円。この両者を比べると30万円高くてもエルメスの方が圧倒的に価値があるなぁって感じたんですね。

逆に昔みんなに勧められて家賃200万円ぐらいの人気の物件に住んでいましたけど、実際住んでみると、確かに最高なんですが、僕にとっては住み続けたくなるほどの価値を見出せなかったので、半年ぐらいで引っ越しました。

僕にとっては「価値があるかどうか」ただそれだけなんですね。




――よく、成功の原動力として「幼い頃のコンプレックス」や「貧乏な体験」があったと言う方もいますが、松本さんの今の成功もそうしたことが起因となっていますか。

松本さん:確かに貧乏な経験はありましたけど、僕にはそれが原動力になったことは一度もないんですよ。コンプレックスも全然ありません。

たまに高額所得者になってお金を湯水のように使いたいとか、モテたいみたいなことを言う人もいますけど、僕はそんなことには興味も関心もなくて…。

なんでだろうって思って自分の半生を振り返ると、ずーと陽の当たる場所を歩いてきたので、モテの世界からでたことはありませんし(笑)、お金の使い方が下品な人をたくさん見ているので、あんな風になりたくないって思っていますから(笑)、それが原因なのかなって思います。

それにそもそも「お金持ちになりたい」って思ったことがありませんね(笑)。もちろん、今みたいに、旅先も服も食事も値段を気にせずに「価値があるかどうか」で決めるライフスタイルを続けたいとは思いますが、永遠に続くかどうかなんて分かりませんから。

じゃあ今のモチベーションは何かと聞かれたら、それはクールに社会の課題を解決したい、それだけです。

クールと言っても性格上、汗にまみれて仕事をするのが好きですから、スマートさはないかもしれませんけれど…。

話は戻りますけど、独身ですからいろんな女の子と出会って恋愛するわけですけど、お金がないときの方が、気立ての良い素敵な女性に遭遇する機会が多かったような気がします。所得が増えると僕の人間性よりもお金に目が行きがちの女性とか、承認欲求強めの女性が増えてきて、なんか悲しい気持ちになりますね(笑)。

――お金と人間性は関係してくると思いますか。

松本さん:僕にはよく分かりませんが、ただ唯一言えるとしたら、お金に不自由しなくなったときに、その人の人間性が出てくるんじゃないでしょうか。

お金に不自由しているうちは、お金の話が消える事はありませんよね。もっと稼ぎたいとか、セレブな生活をしようとか、芸能人とお付き合いしようとか、年収いくらになろうとか…。でもお金に不自由しなくなったときには、「お金」という概念が脳からも言葉からも消えていって、その人の本性がにじみ出てくるような気がします。

お金持ちをひけらかしたい人、横柄になる人、何も変わらない人、自分の小ささに気づく人…さまざまですね。



成功した今も朝4時半に起床し、床の拭き掃除から1日をスタートするという松本さん。朝5時半に家を出て、22時頃に仕事を終えるまで、食事をとる暇もなく仕事に没頭する。

彼が恐怖を感じる事は、お金を失うことではなく、「時代に対応できる柔軟性」とか「社会を良くしようとする志」がなくなること、と語る。

そして幸せは「誰かの役に立っている」という手応えと「正しいことをしている」という自負にあると言う。

彼のマインドは、学生時代に無我夢中で途上国の発展に心身を捧げたときと、何一つ変わっていないのだ。

この先50年の夢は「ソーシャルインパクトのある事業に投資する事」。彼は走ることをやめないミリオネアだ。

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有名企業で売上No.1をたたき出した後に独立した、30代のミリオネア。