産経新聞の社説(9月9日付)。見出しは「前原民進党 党運営から甘さをなくせ」。

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ついに政治家の不倫は「社説」で論じられるものになった。9月7日発売の週刊文春が山尾志桜里衆院議員(民進党を離党)の不倫疑惑を報じたことから、9月9日付の産経新聞と東京新聞の社説がこの問題を取り上げている。産経が民進党の前原誠司新代表を厳しく非難しているのに対し、東京は「民進党よ、しっかりしろ」といくらか好意的だ。不倫に関する報道は過激化するばかりだが、それでいいのだろうか――。

■前原新代表をけなす産経社説のすさまじさ

まずは産経社説。「民進党の前原誠司新代表が、出だしから大きくつまずいた」と書き出し、「党勢立て直しの目玉にしようとしていた幹事長人事が挫折した。しかもその理由が男女関係をめぐるスキャンダルというのは、何とも緊張感に欠ける話である」と民進党を小馬鹿にしたうえでこう続ける。

「その山尾志桜里元政調会長は、既婚男性との交際疑惑について否定はするが、まともな説明ができないまま、離党に追い込まれた。この間、目立ったのは事態の収拾をめぐる前原氏の優柔不断な姿勢である。本人をかばおうとしてそれもかなわず、危機に対する認識と対応の甘さを、露呈したと言わざるを得ない」と前原氏を非難する。

■矛先は山尾氏より前原氏に向く

さらに産経社説は「いったい、前原氏は山尾氏に何を期待していたのか。たしかに、山尾氏は待機児童問題などについて、国会で安倍晋三首相を鋭く追及したことなどが注目された。自民党議員のスキャンダルも厳しく批判していた」と前原氏を追及する。

続けて「だが山尾氏は、自らの政治資金の処理をめぐり、元秘書が多額のガソリン代を計上していた問題を抱え、政調会長当時にも詳細な説明を避け続け、批判を受けた」と書き足し、「このような人物を党の要職に起用しようと考えること自体、政治倫理への意識の低さを示す。不祥事を起こした際の身の処し方にも、大いに問題があった。当選2回の若手を抜擢(ばってき)するには、不安要素が多すぎることは分かっていたはずである」と矛先を前原氏に向け続ける。

■過去の問題まで引っ張り出して攻撃

産経社説は「思い起こされるのは、前原氏自身が外相当時に外国人献金の発覚で辞任したことや、党代表のときに信憑(しんぴょう)性の薄いメールを根拠に自民党を攻撃し、謝罪したうえ、代表の座も失ったことなどだ」と前原氏の過去の問題まで引っ張り出して攻撃する。犯罪者に対してさえ、過去の犯罪歴を云々するのは御法度なはずである。それをここまで書き立てるのだから産経社説の民進党嫌い、前原憎しはすさまじい。

こうも前原氏を非難する。

「進退にかかわる重大事を経験していながら、適切な対処の仕方を学んでいないとすれば、指導者としての資質も問われよう」。要するに、前原氏には民進党の代表は務まらないというのが産経社説の判断である。果たしてこの判断が正しいのか、この沙鴎一歩はそうは思わない。

今後、民進党が壊滅するか、それとも存続するかはこの先の政治の流れと民進党支持者の動向をみなければ分からない。前身の民主党は一時的にせよ、政権を獲得し、日本に2大政党政治の可能性を示した党である。産経社説のように単純には否定できない。

仮にも前原氏はその民進党が選んだ代表である。民主党誕生以来、活躍してきた人物だ。民進党が野党第1党である以上、前原氏を産経社説のようにむげに扱うことには無理があると思う。

だからこそ、「そうは思わない」のである。

■東京社説は「民進党よ、しっかりしろ」

次に「民進党よ、しっかりしろ」との見出しを掲げる東京社説。

その社説では山尾氏について、「国会質問では、保育園に子どもを預けられない母親の窮状を訴えた『保育園落ちた日本死ね』という匿名ブログを取り上げて安倍晋三首相を追及。政府が待機児童問題の深刻さを認識し、対策に本腰を入れるきっかけとなった。その後、当選二回ながら政調会長に登用されるなど、民進党のみならず政界の将来を担うべき有為な人材である」と評価した後、こう書く。

「その山尾氏が代表選直後に離党に追い込まれたことに、失望している人たちは多いのではないか。特に、子育て世代には『裏切られた』との思いもあるようだ」
「個人的な問題と政治活動は別だとの声がないわけではない」
「しかし、そもそも誤解を生じさせるような行動を、民進党の再生を期すべき重要な時期にしていたことは軽率の極みである」
「常日ごろは説明責任を果たせ、と安倍政権に迫りながら、記者からの質問を一切受け付けなかった対応にも不信感が残る」

いずれの主張も常識的なもので、ここで沙鴎一歩が言及する必要はないと思うが、あえて言わせていただければ「おもしろくない」のである。

■「強すぎず、弱すぎず」ではおもしろくない

東京社説も前原氏の責任を問い、今後の民進党の行く末を予測する。

「前原誠司新代表は、山尾氏の幹事長起用を一度は決めながら、男性との交際疑惑を報道前に知り、撤回した。党の要である幹事長自身が疑惑にさらされる事態は避けられたが、前原新体制の船出はかなり厳しいものになるだろう」

「もはや甘えは許されない。自民党に代わる政策や理念の選択肢を示すのは国民のためだ。議員に限らず民進党にかかわるすべての人が、その決意を今後の政治行動で示すべきである。それができないのなら民進党に存在意義はない」

これらの主張もこれまでの新聞の社説の域を出ない弱いものである。それゆえ、おもしろくない。

新聞の社説というのは、複数の論説委員の考えをひとつにまとめて書くため、その主張は「強すぎず、弱すぎず」というラインをたどる。その結果、おきまりの形になることが多く、今回の東京新聞の社説もそう読める。

それではどうすればいいのか。これは難題だが、新聞社である以上、東京新聞にも独自の編集方針があるはずだ。まずその編集方針に基づいて論説委員たちが真剣に議論することだ。

沙鴎一歩からの提案があるとすれば、社説で正面から「政治家の不倫」について論じてみてはどうだろうか。これまでの紙面を見る限り、東京新聞の社説はユニークなテーマを扱うことが多く、他紙にくらべて融通がきくように思う。

政治家の不倫は許されないのか。許されないとすれば、なぜなのか。正面から論じることができれば、画期的でおもしろい社説になるはずだ。

■林真理子も瀬戸内寂聴も乙武クンをかばった

政治家ではないが、昨年3月、参院選出馬を取り沙汰されていた乙武洋匡氏に不倫騒動が持ち上がった。報じたのは週刊新潮で、見出しは「『乙武クン』5人との不倫」だった。記事のリードには「想像を絶する」とか「まさかの乱倫正体」といったすさまじい表現が並んでいた。この「特ダネ」は、テレビやスポーツ紙などが相次いで追いかけることになり、日本中が“乙武クン不倫騒動”に注目することになった。

もちろん不倫はよくないことだ。しかし、だからといって乙武氏のすべてを否定すべきなのだろうか。騒動の最中、作家の林真理子さんは、週刊文春(昨年4月7日号)のエッセー「夜ふけのなわとび」でこう書いている。

「重いハンディがあっても、男の魅力が溢れていれば、女の人は恋心を持つ。女たらしという乙武君の行為は、どれだけ多くの障害者の人たちを力づけたことであろうか。『奥さんは泣かせただろうけど、モテるのは仕方ないよねー。ま、よくやったよ』と、私は彼の肩を叩いてやりたい」

同じく作家の瀬戸内寂聴さんも、昨年4月8日付の朝日新聞のコラム「寂聴 残された日々」で、乙武さんと対談したときの記憶をたどりながら「早稲田の学生になって、ベストセラーの本を出すまでの歳月、人のしない苦労をしてきたかと思うだけで胸がいっぱいになった」と乙武氏を励ましていた。

■議員辞職しなければならないのか?

政治家の不倫に話を戻すと、こういう疑問がわく。不倫が発覚した政治家は議員辞職しなければならないのだろうか。先の東京新聞の社説は「個人的な問題と政治活動は別だとの声がないわけではない」と書いていた。新聞社説が「声がないわけではない」という婉曲な言い回しを選ぶほど、不倫に対する世間の目は厳しいということだろう。だが、そろそろ落ち着いて考えてもいいのではないだろうか。

よく知られているように、田中角栄元首相には何人もの女性がいた。しかも彼女たちとの間には子供もいた。時代が違うといえばそれまでだが、政治家としての能力に欠けているとは言い切れないはずだ。

沙鴎一歩は「不倫」を奨励しているわけではない。不倫を一辺倒に否定する風潮について違和感を覚えるのである。人間社会には白黒をはっきりさせないファジーさも必要だ。産経社説は「何とも緊張感に欠ける」と書いたが、緊張しっぱなしのほうが、暴発する危険があるように思う。どうだろうか。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩)