最後の夏へ。PL学園が球界に遺した81人のプロ選手と功績
PL学園の強さを伝える術はいくつもある。たとえば、1961年の初出場から50年あまりで37回の甲子園出場を果たし、歴代3位となる通算96勝(30敗)。その間、中村順司氏が監督を務めた1976年から98年は58勝10敗、勝率.853という驚異的な記録を残した。さらに、桑田真澄、清原和博のKKコンビ在籍時は、5季連続出場を果たし、優勝2回、準優勝2回という、高校野球史に残る成績をおさめた。なにより、プロに輩出した選手の数がPL学園のすごさを物語っている。
かつて、大阪で"打倒・PL"に燃えたライバル校の選手からこんな話を聞いたことがある。
「強豪校ではよく"黄金期"という言い方をしますけど、PLにはそう言われる時代が何度もあった。僕らのときも、PL学園の歴史の中ではそこまで目立っていませんが、のちにプロになる選手が3人もいました」
この選手が言う時代には、エースが宇高伸次で、ショートに2年生の福留孝介がおり、センターにサブローがいた。このように、のちにプロに進む選手が何人もいることは決して珍しいことではなく、KKコンビの時代には5人もの選手がプロ入りを果たしている。
「野球界に貢献する人物を育てる。これが教祖の思いでした」
1983年に亡くなったPL教団2代目教祖・御木徳近(みき・とくちか)の理念を、傍らで仕えていた者から聞いたことがある。70年代から80年代にかけて、PL学園にはこんな標語が校内のいたるところに貼られていたという。
「勉強は東大、野球は甲子園」
文武両道を掲げ、力強く繁栄の道を歩み始めた時代。先述したように、甲子園の先には「野球界に貢献する人物を育てる」という期待があった。
80年代の黄金期を知るあるOBは、「現役でプレーしている選手に"PL"を感じることがあります」と語る。
「全盛期を過ぎて、『もうここまでかな』というところから、もうひと粘りする。その姿に、『ああ、やっぱりPLの選手や。根性が違う』と思うんです」
現在も松井稼頭央や福留が大ベテランになってもチームの柱としてプレーを続けている。現役最後にメジャー挑戦した桑田や、晩年は代打の切り札として活躍した立浪和義や片岡篤史......。OBが言うように、グラウンドに立ち続けるその生き様に"PLの精神"が伝わってくることがあった。
そしてPLの球界に対する貢献は、プロ野球の世界に限ったことではない。高校野球の世界にも多大な影響を与えてきた。たとえば、"野球留学"という今の流れを加速させたのは、PLという声は多い。
野球留学は80年前後に甲子園で活躍した倉吉北(鳥取)や尽誠学園(香川)、明徳義塾(高知)らの活躍とともに社会問題として取りざたされた時期もあった。大阪で30年以上、中学生の硬式野球チームに関わるある指導者は、「この背景には、PLの強さがあった」と語る。
「野球留学が広まっていったときは、まさにPLの黄金期。それでなくても当時の大阪は参加が200校ほどある激戦区で、甲子園にたどり着くのは至難の業。そこに、強すぎるPLが現れ、子どもたちの中にも、送り出す僕らの中にも、PLから声が掛かる力のある選手はPL、それ以外なら地方という選択をしていたのは事実です」
また、強さを支えた強固なスカウティング活動も、近年の強豪私学の手本となった。1960年代中盤、強豪校の階段を上り始めたPL野球部は、教団関係者のネットワークを生かし、特にPL教団発祥の地でもある九州から多くの有能な中学生が集まった。
その後、地方出身者の数は減っていったが、「甲子園に近い学校」と認知されてからは、人材の宝庫である関西地区で徹底したスカウティング活動を展開。入学後は技術面で基礎・基本を徹底し、精神面は厳しい上下関係で磨かれていった。
PL野球の真髄は「当たり前のことを当たり前にやる」ところにあった。グラウンド内外での様々なプレッシャーのなかで、基本プレーの精度を極限まで上げる。要するに、基礎練習を徹底的に繰り返し、ひとつひとつの動きを体に覚えこませていった。
戦い方についてもそうだ。
「ランナーが出たら送って、センター前」
かつてPLとしのぎを削ったライバル校の監督に「PLの戦い方」について聞くと、真っ先に返ってきた言葉がこれだった。まさに、基本を徹底するPLの野球を象徴するフレーズだ。
基本を大切にする一方で、試合では緻密な戦いを実践していた。かつてPLで監督を務めていた山本(旧姓・鶴岡)泰氏は、「サインは144通り」と言う。
「この打者、この場面、このカウントで出す可能性のあるサインは、3つか4つ。そこがわかるようになるのかどうかが大事なんです」
野球脳を鍛えられることで実戦力が身につき、試合で使える選手になる。だから、PL出身の選手たちは、上のステージに行っても戸惑うことがなかった。新しい環境にいち早く対応し、周りからは「さすがPL」と言われていた。
いまのプロ野球を見ると、"打倒PL"で力を磨いた大阪桐蔭出身の選手の活躍が目立つ。だが、かつてPLの選手たちが備えていた"勝てる選手としての存在感"という意味では、まだ及んでいない印象だ。
そんな数々の伝統を野球界に残したPLが、この夏を最後に休部に入る。活動再開の見通しは立っておらず、このまま戦いの舞台から姿を消す可能性も否定できない。はたして最後の夏、PLはどんな戦いを見せてくれるのだろうか。
谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
