TeNYテレビ新潟

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母と娘で二人三脚……十日町市で病院を営む親子がいます。取り上げてきた赤ちゃんの数は、あわせて2万2000人以上。しかし、少子化などの影響でことし3月に“分べん”取り扱いを終了しました。

最後の分べんに臨む医師の思い。そして長年、地域を支え続ける医院の未来について取材しました。

◆ベテラン産婦人科医(81)と娘の産婦人科医(50)が診療

豪雪地・十日町市にある、たかき医院。

産婦人科医として50年以上働くベテラン高木成子医師(81)と、娘の仲栄美子医師(50)が産婦人科・小児科の診療をしています。

たかき医院の始まりは28年前。

診療所を営んでいた高木医師の母から建物を受け継ぎ内科医の夫と一緒に始めました。

高木成子医師
「ある時からその診療所をやらなくなって建物だけが残ってたんですね。母は自分の郷里だからそこに医療機関がなくなるということをすごく悔しがってたっていうか残念がってたっていう感じが私に見えたので」

「なんでも屋の医師」だったという母の意思を受け継ぎ、母のふるさとに開院した高木医師。

その後、診療所のそばに移転し、十日町地域の医療を支えています。

◆キラキラして見えた産婦人科医の母… 娘も背中を追って産婦人科医に

娘も母の背中を追って産婦人科の医師になりました。

高木成子医師
「この入学式の時がね、すごいエピソードがあるんですけど。2人で小学校行きました、式が始まりました、お産で私呼ばれちゃったんです」

仲栄美子医師
「自分はずっと校長先生のほう向いてるから、ずっと母がいるもんだと思って」

キラキラして見えた、忙しく働く母の姿……

産婦人科医になったら母を支えると決めていました。

仲栄美子医師
「うれしかったのは自分が夢に描いていた自分の母と仕事をするということで。このたかき医院で昔から知ってる助産師さんとお産を取り上げたその第一号に会ったときってすごくうれしかったです」

18年前、仲医師がたかき医院で働き始め母と娘で二人三脚。

命の誕生を、家族の幸せそうな表情を見届けてきました。

仲栄美子医師
「やっぱり分べん室に立つと、いろんな人のことを思い出すよね」

◆分娩を終えることを決意

たかき医院がある十日町市は年々、少子化が進んでいます。

十日町市では10年前には年間371人の命が誕生していましたが年々減少。

10年前と去年を比較すると半分以下になっています。

こうした中、2年前には県立十日町病院が分娩を休止。

たかき医院は十日町市で唯一の分べんが可能な病院となりました。

それでも……

高木成子医師
「10床になっても5床になっても分べんは続けていきたいというのはまだ自分の気持ちの中にあるんですけど、それをするには人的な縛りっていうのがすごくあるので。分べんは減るのに、抱えなきゃいけない職員はたくさん。どうしたって赤字ですよね。分べん数も考えて本当に残念なんですけど閉じることにしました」

24時間体制で対応が求められるお産。

少子化が進む中での経営や、職員を確保する難しさから、ことし3月で分べんを終了することを決めました。

◆たかき医院は「不安のない温かい場所」

たかき医院から、車で15分。

元気に踊る姉妹を見守る女性がいました。

15年前、十日町に移住してきた佐藤可奈子さんです。

いまから11年前……

仲栄美子医師
「これへその緒ですからね。女の子で間違いないでしょう」

佐藤さんは、たかき医院で長女・あさちゃんを出産しました。

佐藤可奈子さん
「ちょっと笑ったねいま!夢を見ているんだろうか」

あさちゃんは6歳の妹と4歳の弟に囲まれ、いまではすっかりお姉さんに。

あさちゃん
「10歳です」

佐藤可奈子さん
「10年でね……お姉さんになってしまった」

十日町で子育てして10年。

その第一歩となった「たかき医院」は、佐藤さんにとって「不安のない温かい場所」だったといいます。

佐藤可奈子さん
「もともと産める場所の数が、十日町市はここかあそこかあるいはここしかないという状態だったけれども、その"ここ"というものがとてもとても良い場所だったから不安もなかったし。すごくお二人には良くしていただいたし、出産だけじゃなくて産後の不安定なときだとか。それ(分べん終了)は切ないと思って」

◆最後の分べんは「母と娘の二人三脚」

ことし3月、たかき医院最後の分べんの日。

出産に臨むのは里帰り出産の中村恵子さん。

3年ほど前に、たかき医院で長男を出産し、2人目も信頼のおける場所で出産しようと決めていました。

高木成子医師
「緊張しますね。やっぱり赤ちゃんの産声を聞くまでは」

最後の出産は帝王切開。

通常の分娩ではひとりの医師で対応しますが、帝王切開は複数の医師で行われます。

最後の分娩は母と娘の二人三脚で……

「頑張れー!頑張れー!」
「きたきたきた!」
「上見てて赤ちゃん生まれるよ」
「おめでとうございます!見える?」
「おぎゃって言ってる!おぎゃって!」
「泣いてる泣いてる、おめでとうございます!」

この医院で聞く“最後の産声”が響きました。

中村恵子さん
「ありがとね。生まれてきてくれたね」

元気な女の子。

優しく美しい心をもってほしい……

「心美」と名付けました。

中村恵子さん
「無事に生まれてきてくれたことが本当にうれしくて、もう何よりですね。ここで産めてよかったなって思います」

◆"2万2千人以上" ノートに記された57年の記録

産婦人科医になって57年……

高木医師が欠かさずにつけている記録があります。

高木成子医師
「中村恵子さん3342グラム、女児」

母親の名前と赤ちゃんの体重などを残しているのです。

その数、2万2千人以上。

高木成子医師
「頑張ってきたというより、懐かしく思い出というか。こんなにたくさんありがとうございましたという感じ。私の財産ですので大事にどこかに片づけておこうと思います」

◆「分べんを終える」一つの区切り

最後の出産から9日後……

心美ちゃんを連れ、中村さんが退院の日を迎えました。

中村恵子さん
「安心して過ごせました。ありがとうございました」

看護師
「お大事にしてください、また疲れたら休みにきてください」

出産をめぐる入院患者がいなくなり、夜のナースステーションに看護師や助産師が常駐しないことになりました。

川田由有子看護師長
「26年、(ナースステーションの)電気が消えることはなかったんですよ、365日24時間。本当に消えることはなかったので、自分たちもすごく違和感がある寂しくてちょっとまだ慣れない感じですね」

ひとつの区切りを迎えたたかき医院。

♦「ゆりかごから墓場まで」たかき医院はこれからも

でも産婦人科が請け負うのは「出産」だけではありません。

妊婦検診や産後ケアに加え、婦人科や小児科としても「女性の味方」であり続けます。

仲栄美子医師
「まだまだやらなきゃいけないこと、産婦人科医としてやらなきゃいけないことはたくさんあって、いくらでもこの地域の人新潟県の人貢献していけるんじゃないかなって思ってるので、また頑張ります」

高木成子医師
「ちょっとあの先生のところ行って話してくるなんて、そんなフレンドリーなね、医者でいいんじゃないかなって、一緒に考えて行こうねという」

仲栄美子医師
「これまでもこれからもゆりかごから墓場まで……女性に寄り添って」

これまでも、これからも、ゆりかごから墓場まで。

母と娘が手を取り合って“ひだまりのような医療”を届けていきます。