「世界一幸せな国」フィンランドの教育の秘密…体験してわかった日本との違い
イギリス人の父と日本人の母のもとに生まれ、多文化の中で育った静華ジャズミンさん。現在は、モデルとして活躍しながら上智大学で「サステナビリティ」と「教育」を研究しています。また、ファッションやカルチャー、教育について二カ国語で発信する一方、中学生向けの自然ワークショップの企画や絵本制作など、次世代へ経験をつなぐ活動にも取り組んでいます。
そんな彼女が「世界一幸せな場所」と言われるフィンランドで出会ったのは、「教育」の本質を問い直すような体験でした。ジャズミンさん自身による寄稿の前編【イギリス人の父、日本人の母を持つモデルが「世界一幸せな国」フィンランドを目指した理由】では、なぜフィンランドで「教育」を学びたいと思ったのかをお伝えしました。後編では、マイナス20度のフィンランドで何を感じ、日本との違いをどう捉えたのか。その体験を綴ります。
マイナス20度のフィンランドで学ぶ意味
大学で、フィンランドで開催される国連関連のカンファレンス「Baltic Sea Project COLD MATTERS(寒さは大事)」の話を聞いたときは、絶対に逃したくないチャンスだと思いました。毎年さまざまな国で開催されるこのプログラムですが、今年は「世界一幸せな国」とされるフィンランドで、教育について学べるという内容です。授業で「未来の教育」について考えていた私は、現地で実際に教育の現場を見て、自分の目で暮らしを確かめたいと強く思いました。教授の推薦をいただき、参加することになりました。
フィンランドの北部、ラップランドに到着した瞬間、私はマイナス20度の凍てつく空気に圧倒されました。しかし、4日間のプログラムが進むうちに、その寒さは「敵」ではなく、大切な「学びの友」になっていきました。プログラムは単なる環境問題の学習ではなく、気候変動が社会や文化、教育にどのような影響を与えるのかを、国籍を超えた多様な学生とともに深く考える場でもありました。私一人でアジアから参加したのですが、バルト海周辺9カ国の学生たちと一緒に学び、意見を交わすことができました。
1日目、フィンランドに到着してすぐ向かったのは、マイナス20度の森。眉毛に氷がつき、リップを塗ったら凍ってしまうほどの寒さです。最初のアクティビティは、「目を閉じて10分間、ただ立つこと」。教育について学ぶプログラムだと聞いていた私は、いきなりこのアクティビティに驚きました。これは、これからたくさんの情報を受け取る中で、良い土台を作るためのメディテーションだと教えられました。教科書に書かれていないことも大切にしてほしい、という意図があったそうです。
立っているうちに、寒さがただの「敵」ではなく、体感として学ぶものだと気づきました。数分経つと、体は寒さに慣れ、冷たさを「感覚」として受け止められるようになりました。その感覚は、日本の冬の寒さとは全く違い、「この寒さで死ぬかもしれない」と思うほどの強烈なものでした。しかし同時に、日本の冬の温泉やお鍋の贅沢さも、厳しい寒さがあってこそ楽しめるものだと実感しました。地球温暖化によって寒さがなくなるということは、単に暖かくなるだけではなく、私たちが季節を通して積み重ねてきた感覚や文化、教育までも、静かに失われてしまうのだと感じました。
先住民族サーミに教わった「教育」の本質
2日目、私はサーミ学校を訪れました。小学生から高校生まで、30人ほどしか通わない小さな学校です。サーミ族とは、ラップランドでトナカイとともに暮らす先住民族。現在EU諸国では唯一存在する先住民族でもあります。そこで目にしたのは、教室を飛び出し、雪の上でトナカイと共に過ごす子どもたちの姿でした。日本の学校との大きな違いを感じたのは、彼らの暮らしに自然との境界線がないことです。都会に住む私たちは「自然へ行く」と言いますが、彼らは自然の流れの中で当たり前のように共に生きています。朝、子どもたちがまずやるのはトナカイに餌をあげること。その後、できるだけ早く学校へ向かいます。トナカイが優先されるため、何時に学校に着くかは問題ではありません。日本で授業よりも自然での活動や動物を優先することはほとんどないと思います。
また、フィンランドでは教育の平等が最優先され、大学までの学費は無料です。現地の先生は「学力とはテストの点数ではなく、自分の力で生きていく力のことだ」と話します。実際にはテストはありますが、それだけがすべての評価ではないということも教えてくれました。日本では三者面談でまずテストの点数の話をすることが多いと思いますが、その学校では子ども自身の話に重点が置かれます。「最近どう?」といった日常の様子や、点数が上がった理由など、その子自身の状況や成長を中心に話し合うのです。結果だけではなく、その人自身を見ている。そんな教育の姿勢に私はとても興味を持ちました。
3日目は、森でのフィールドワーク。気候変動が北極圏の生態系にどれほど深刻な影響を与えているかを、科学的な視点で学びました。また、星の博士から星の見方も教わりました。日本では星を見ることは娯楽ですが、北フィンランドでは「生きるための知恵」です。もし森で一人になったら、どの星を探すべきか、どの季節にどんな星が出るのか、どの方向に進むかを知る必要があります。自然の変化を感じることは、日常の生活にもつながっているのです。「携帯も何もないときに星を見なさい」と学校で言われたとしても、実際に体験してみなければ、その意味やどう活かせるかは理解できません。現地の人々は日ごろから星を観察して暮らしていると聞き、学びは日常の中にこそあるのだと改めて感じました。
夜には、プログラムに参加した同世代の仲間たちと語り合いました。全員、「未来のために何かアクションをしたい」「今日感じたことを多くの人に伝えたい」という思いを抱いており、フィンランドでの経験を通してその気持ちはさらに切実になったように感じます。教育について深く考えるほど、自然から学ぶサバイバル的な教育の価値を実感しました。今はインターネットで情報をすぐに得られますが、このプログラムでの学びは、検索や教科書では得られない体験から生まれるものでした。学びとは、テストに出るものだけではなく、感じること、考えること。それこそが本当の教育なのではないかと思います。
私たちができるのは「自分の感覚を取り戻すこと」
日本で学んでいるAIを駆使した教育と、今回フィンランドで体感した自然からの学び。一見、真逆のように思えますが、どちらもこれからの教育に欠かせない要素だと感じました。AIと自然の共存が、これからの教育のテーマになっていくのだと思います。
フィンランドのサーミの人々には、「Take only what you need, and not anymore.(必要な分だけ取り、それ以上は取らない)」という教えがあります。トナカイの博士が教えてくれたもので、これを守らなければ生きていけなかった背景があるのだと思いました。日本でも同じようなことを絵本や教科書で学ぶ機会はありますが、生活の中に根付かないのは、「そうしなくては生きていけない」という切迫感がないからだと思います。また、都会では比べる対象が多く、「もっと欲しい」「もっとこうしたい」という気持ちが出やすい。一方で自然の中では、比べるものが少なく、「もっと」を求める気持ちも自然と少なくなるように感じます。それでも、一人でもできることはあるはずです。
帰国後、私は自分の暮らしを見つめ直しました。以前は便利さから食べ物も通販を利用していましたが、結局食べきれず、大切に育てられた命を台無しにしてしまうことがありました。今は、数日間で本当に食べきれる分だけを、自分の目で見て買うようにしています。「必要な分だけ」を意識することは、都会でもできるサステナブルな実践のひとつだと感じています。
フィンランドから帰国した私を待っていたのは、相変わらず忙しい東京の日常でした。それでも、私の中の「時計」は少しだけ変わっていました。学んだ五感で感じることを意識するようになり、どんなに忙しい朝でもまず窓を開けて空気を吸い、空を見上げるようになったのです。長野の森で感じた光や空気の移ろいは、東京のビルの隙間にも形を変えて存在していることに気づきました。
この記事を読んでくださっている皆さんに、何か特別な、難しいことを始めてほしいわけではありません。 環境問題やサステナビリティと聞くと、どこか遠い世界の大きな話に聞こえるかもしれません。でも、本当に大切なのは「自分の感覚を取り戻すこと」だと私は思います。
「今、外の空気はどんな匂いがしますか?」
「今日の空は、昨日とどう違いますか?」
まずはそんな小さな問いかけから始めてみてください。鳥の鳴き声で明日の天気を予想したり、窓を開けたときの匂いで春の訪れを感じたり。便利な世の中だからこそ、あえて少しだけ「手間」をかけてみる。自分の目で見て選び、季節の移ろいに足を止める。日本の文化には、「空気を読む」「場を感じ取る」という世界に誇れる繊細な力があります。その力を、ほんの少しだけ「自然のリズム」に向けてみてください。そういう経験としての「学び」こそが、未来の教育に大切なのだと思います。
私が長野の自然に触れるとき、肩の力がスッと抜けていくように、自然とつながる時間は、きっと皆さん自身を癒し、豊かにしてくれるはずです。一人ひとりの「感じる力」が、地球の未来を守るための、最も強く、優しい第一歩になると私は信じています。
