育児・仕事・介護…忙しさの濁流に飲み込まれそうになる日々のなかで、50歳にして難関の司法試験に合格を果たした女性がいます。愛知県美浜町で「ゆたか寿し」を営む女将・畠伸子さん。その原動力となったのは、経営者としての「無知」と家業の「苦境」でした。「1分も自分を諦めない」、その積み重ねで掴んだ結末とは。

【写真】「よくこの環境で…」寿司屋の女将業や4児の子育てに奮闘する畠さんの日常(6枚目/全11枚)

「知らない」という怖さが、私を机に向かわせた

夫の大将と並んで女将の仕事に励む畠さん

── 寿司屋の女将として働きながら、昨年11月、50歳で司法試験に合格された畠さん。弁護士になるのが夢だったのでしょうか?

畠さん:小さい頃に憧れた時期もありましたが、大学卒業後はすぐに結婚して、寿司屋の若女将になりました。きっかけは、先代の寿司屋を夫が継いで社長になったことです。

経営者の妻なのに、自分は世の中のことを何も知らない。金融機関や保険の話をされても、それが会社のためになるのか判断できない状況がすごく怖くなって「誰かが耳元で教えてくれたら」と思いましたが、そんな人はいません。だったら「自分がその人になろう」と決めたんです。

── 2011年からFP、行政書士と資格を重ね、2017年には行政書士事務所を開業されます。その間、育児・義父の介護・寿司屋の仕事と勉強を両立していたそうですね。その苦労は想像を絶します。

畠さん:もちろん大変でした。でも、勉強できない理由は探さなくてもいくらでも挙げることができる。だから私は「どうやったら勉強ができるか」しか考えませんでした。

たとえば、キッチンの壁に暗記項目を貼り、お風呂には防水の単語帳、レジの待ち時間にもポケットに忍ばせたメモを見て勉強。本当に「1分も無駄にしない」気持ちでした。

── 畠さんはそうした時間の捻出で家業に役立つ資格を取得され、そこから士業の需要を感じてさらに司法試験を目指すことになります。さすがに、隙間時間の使い方の工夫だけで突破するのは難しくなったのではないでしょうか?

畠さん:司法試験を目指すようになってからは、「隙間時間に勉強する」のをやめました。「1日のベースが勉強」で、残りの時間で家事や仕事をこなす感覚に変えたんです。朝5時に起きたら、顔も洗わずに机に向かう。顔を洗えば「お母さん」や「女将」の1日が始まってしまうので、その前に「自分の時間」を取る。そうすることで、勉強が最優先の他の受験生と同じマインドで勉強できました。

おばさんは機嫌よくてなんぼだから(笑)

勉強していたときの机の様子

── ただでさえ家事、育児、介護は大変ですから、精一杯になって、どうしても心が荒んでしまう人も多いと思います。

畠さん:大事にしていたのは、「自分の機嫌を取ること」です。介護も育児も家事も、やらないわけにはいかないことですよね。だから「なんで私だけ」と思ったら、結局損するだけです。だから、家事や介護にも楽しみや喜びを入れるようにしました。

たとえば義父とお取り寄せを楽しんだり、子どもたちとおいしいお菓子を食べたり。機嫌が悪い中年なんて、周りも自分も嫌じゃないですか(笑)。おばさんは機嫌がよくてなんぼなんです。

家業の苦境に選んだ「弁護士」の道

地元の方々が開いてくれた祝賀会

── コロナ禍で本業の寿司屋が厳しい状況に陥った際、さらに宅建を取得されたそうですね。

畠さん:2020年の秋頃は、夜の営業でも客足が途絶え、「このままで大丈夫かな」と、正直、心が病みそうなほど不安でした。でも、悩む時間はもったいない。お客様のいない宴会場で勉強し、46日間で宅建を取りました。

さらに当時、行政書士として持続化給付金の申請を手伝う仕事が増え、「知識は人を助ける武器になる」と確信したんです。外食産業が苦しいとき、士業というもうひとつの柱と2馬力で頑張れば、お店を支えられるかもしれないと。

── そこから弁護士になるべく、司法試験の勉強を?

畠さん:ちょうどその頃「弁護士になったら人生が変わる」と言われて。最初は「無理だ」と思いましたが、話を聞くうちにその気になってしまったんですよね(笑)。気づいたら、次の日には司法試験の資料を取り寄せていました。

── すごい行動力です。不安や躊躇はありませんでしたか?

畠さん:まったく。無知ゆえにできたことかもしれませんが(笑)。まず、司法試験を受けるために法科大学院に入るか、予備試験に合格する必要があることを知るわけですが、独学で予備試験には2度トライしましたが良い結果が出ず。あのまま頑張れば突破できたと確信していますが、当時私を取り巻いていた環境を考えると、時間をかけるよりかは2年間法科大学院に行くほうが効率的だと思い、「入試も司法試験も1発で合格してみせるので行かせてください」と家族にお願いし、名古屋大学法科大学院に入りました。快く送り出してくれたので、あとはやるしかないと奮い立たせ猛勉強しました。

ただ介護をしていた義父が入学4か月ほど前に亡くなってしまい、入学報告ができなかったことが今でも心残りです。

違う役割を「無心」でできる環境がよかった

── 入学から1年半後、宣言通り司法試験に合格されます。多くの方が何年もかかる難関試験です。振り返って思うことはありますか?

畠さん:最後は倒れるくらい勉強しました。その過程では勉強に行き詰まったことも、もちろんありました。そんなとき、寿司屋の仕事など、違う役割を無心でできる環境があったからこそ、私の場合は続けられたところがあります。

── 今、何かに挑戦しようとしている女性たちに伝えたいことは?

畠さん:私は特別じゃないんです。今この瞬間が一番若いわけですから、誰だって何歳になっても挑戦はできます。目標があるなら、1分でもいいから、自分を諦めないでほしい。時間がないなかでも、その1分を積み重ねていけば、必ず変わっていきます。年齢に縛られず、私のような人間もいるんだと思って「今さら無理」じゃなくて、「今からでもやれることはある」って思ってもらえたら嬉しいです。

時間がある人だけが、夢を叶えるわけじゃない。むしろ、育児・仕事・介護という濁流の中にいる人ほど、「1分の価値」を知っている。だからこそ、その1分は、未来を変える力になる。あなたは、今日の1分をどう使いますか?

取材・文:加藤文惠 写真:畠伸子