「妻にも言えない」60歳を前に500万円が元本割れ――企業型DCの“一発逆転”が裏目に出たワケ【専門家が助言】
「自分しだい」で受取額が変わる企業型DC(企業型確定拠出年金)。今回登場する隆志さん(58歳、仮名)はこの企業型DCの運用で、「安全第一」の方針から急ハンドルを切って全額を株式投信に移したものの、タイミングを誤って、損失を出してしまった。実は、「DCをほとんど放置している」「同僚が運用で利益を出していると聞いて焦っている」――そんな人ほど、隆志さんと同じ落とし穴にはまるリスクがあるのだ。老後資金はどう運用すればいいのか。金融教育家の上原千華子さんに聞いた。
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同僚の「200万円の利益」に衝撃、焦りから運用法を急転換
「多くの人が投資で儲けている中、私は売買のタイミングを間違って損をしてしまいました。このことは、妻には言えないでいます」

まもなく60歳を迎える都内在住の会社員、隆志さんは苦笑しながら打ち明ける。老後のための企業型DCで、約500万円を一気に株式投信に移したところ、コロナ・ショックで元本割れを起こしてしまった。慌てて売却したものの、その後に株価は急回復し、二重の後悔を抱えている。
企業型DCとは、会社が掛金を出し、運用方法は社員本人が選べる企業年金の一種だ。かつては「日本版401k」とも呼ばれた。選択肢には、元本が保証される定期預金のほか、値動きのある各種投資信託がある。将来受け取る年金額は運用商品に何を選んだかで大きく変わる。つまり「自分しだい」だ。
隆志さんの会社が企業型DCを導入したのは2005年頃のことだ。老舗企業勤務ということもあり、掛金はかなり手厚い3万円。開始時は投資に興味がなく、運用商品を初期設定の「定期預金」にしたまま、15年間ほとんど放置していた。
転機は50代のある日、同僚との会話だった。「DCの運用で200万円以上の利益が出ている」。その言葉に驚愕した。自分の口座を確認してみると、長く続いた低金利のせいで利益はほぼゼロ。企業型DCの導入時に説明を聞いたときは、運用商品の選択の違いでこんなに差が出るなんて思いもしなかった……。
「60歳になったら積立てが終了する。急いで挽回しなくては」
隆志さんは大きな決断をする。企業型DCの資産の100%、約500万円を一気に定期預金から日経平均連動型の投資信託へと移動(=スイッチング。運用商品の乗り換えのこと)させたのだ。60歳というゴールを前に、「一発逆転」を狙った。
コロナ・ショックで含み損50万円超、売却後に株価は回復
ところが間もなく、世界を「コロナ・ショック」が襲う。株価は急落し、運用資産は元本割れを起こした。株式投資に慣れていなかった隆志さんは、含み損(※売却していない状態での損失)が50万円を超えたところで、耐えきれなくなってすべての投資信託を売却。定期預金に戻してしまった。
その後の展開は皮肉だった。株式市場はほどなくして回復。売却時に2万円を下回っていた日経平均株価はその後上昇を続け、2025年末には5万円台に達した。「あのとき株式投信を手放さなければ」という後悔が今も隆志さんの頭から離れない。
そして2026年3月、中東地域の紛争を背景に株価が再び値を下げる中、「老後資金を増やすには、結局どうすればいいのか……」と、投資の難しさをかみしめている。
専門家からのアドバイス/敗因は「急ハンドル」と「狼狽売り」
隆志さんはどこで間違えたのか。金融教育家の上原千華子さんはこう分析する。
「20年近く企業型DCをやって損失が出ているというのは、正直、少数派だと思います。失敗の原因は二つ。一つは、60歳を前にして資金をすべてリスク資産に移すという急ハンドルを切ったこと。もう一つは、一時的な下落にうろたえて損失を確定させてしまったことです」
投資でお金を増やすために広く推奨されている方法は、投資先や投資のタイミングを「分散」し、10年以上の「長期」にわたって利益が利益を雪だるま式に生む複利効果を得ながら運用することだ。隆志さんのやり方はこれらをことごとく外してしまっていた。
「同僚の話を聞いて、株式投資のハイリターンな面だけに目が向いてしまい、ハイリスクな面を十分に理解していなかったのでしょう。焦りは冷静な判断力を鈍らせます。本来なら『半分だけ株式、半分は定期預金』という段階的な移行もできたはずですが、焦燥感がその選択肢を消し去ってしまったのです」
あきらめないで。60歳以降も「運用」は続けられる
では、同じような失敗をしてしまった人は、もう手遅れなのだろうか。上原さんは「そんなことはない」と断言する。
「企業型DCは、会社の規約にもよりますが、退職して掛金の拠出が止まった後も、資産の運用は継続できることが多いのです。受け取りも、原則として60歳から最大75歳まではいつでもできるので、一時的に暴落しても市場の回復を待つという選択肢があります」
例えば、数年間そのまま運用を継続したり、あるいはいったん引き出した後にNISA(少額投資非課税制度)などを活用して長期投資に切り替えたりすることで、複利の効果を得ながら損失を取り戻せる可能性は十分にあるという。
「隆志さんも少額でいいのでまた株式投信で積立てを始めてみることをおすすめします」
60代の資産配分、貯蓄状況別の目安はこれだ
では60代の人は、どのような配分で投資を続けたらいいのだろうか。上原さんは、「個々の貯蓄額や年金額、働き方や健康状態に合わせることが大前提」としながらも、三つのパターンを示してくれた。共通していえるのは、「まず、60代前半は年金がなく収入が激減する時期なので、生活費5年分以上の貯蓄を確保しておくこと」だという。なお、以下から説明する資産配分は、すべての金融資産から5年分の生活費を差し引いた「余剰資金」をどう振り分けるかというめやすである。「余剰資金でも、一括投資せず、毎月の積立てなどでタイミングを分散して」と上原さん。あくまでもめやすなので、自身の状況に応じて、最終的な判断は自身の責任で行う必要がある。
【パターン1】生活費5年分超の貯蓄がある
最も余裕のあるパターン。積極的な運用で資産寿命をさらに延ばすことを考えたい。60代前半は株式投資に余剰資金の40〜45%を、債券に35〜40%、現金に5%を配分し、残りをREIT(不動産投資信託)や金(ゴールド)にまわす。60代後半以降は、株式への割合を35〜40%に引き下げ、現金の割合を10%に引き上げて、少しずつ守りに移行していく。
【パターン2】生活費5年程度の貯蓄を確保している
65〜69歳の間に資産を取り崩す可能性が高いので、現金の配分を厚めにする。60代前半は、株式投資に余剰資金の30〜35%、債券に35〜40%、現金に15%を配分。60代後半以降は、株式は25〜30%に抑え、現金は25%まで引き上げる。
【パターン3】貯蓄が生活費5年分ない・年金額が少ない
取り崩しの必要性がさらに高いので、現金をより多く確保しておく。ただし、それでも「全額貯蓄」とはせず、少しは株式で「増やす」ことも意識したい。60代前半なら、株式に自分なりに設定した余剰資金の15〜20%、債券に30〜35%、現金に40%という配分。60代後半になると、株式は10〜15%に絞り、現金は45%に高めよう。
定年後も人生は20年、30年と続く。とくにインフレ期は、「預貯金一筋」では「守っているようで資産価値を目減りさせていく」ことにつながる。大切なのは、どこまでの値動きに耐えられるのかという自分の「リスク許容度」を見極め、焦らず、分散しながら「資産の寿命」を伸ばしていくことだ。この鉄則を守れば、大きな失敗は避けられるはずだ。
※紹介する事例は、プライバシー保護等のため、アレンジを加えている。
今回のアドバイザー/上原千華子さん
金融教育家/ファイナンシャル・セラピスト。欧米投資銀行勤務歴17年、個人投資家歴25年以上。AFP、証券外務員一種、NLP(実践心理学)マネークリニック(R)認定トレーナー。2018年、ウェルス・マインド・アプローチ創業。資産運用講座を実施し、2022年より「3ヶ月マネー実践講座」を提供開始。心理学を取り入れたライフプランと資産運用をアドバイスしている。現在は企業・大学でも登壇し、延べ5000名以上に金融教育を届けている。著書に『「お金の不安」をやわらげる科学的な方法 ファイナンシャル・セラピー』(日本能率協会マネジメントセンター)。
取材・文/鷺島鈴香
デイリー新潮編集部
