なぜ、アメリカはイランが嫌いなのか……イランとイスラエルが友好国だった過去
米・トランプ大統領はイランの攻撃の終了時期についてイスラエルのネタニヤフ首相との「双方の合意」で決定するとの考えを発表。
米、イスラエルによるイランへの軍事攻撃、公式な理由の1つは、イランの核開発疑惑や地域の安全保障上の脅威だ。しかし、核開発を示す具体的な証拠は希薄であり、歴史を見ると“感情的なもつれ”にさえ見えてくる。
まず、大前提として、イランは中東のイスラム国家だが、「アラブ人」ではない。大多数が「ペルシャ人」である。ペルシャとアラブ(サウジアラビア、UAE、クウェート、カタールほか)は、民族も言語も歴史的背景も異なる。
意外かもしれないが、かつて米・イスラエルとイランは友好国の関係だった。第二次大戦後のイランはパフラヴィー国王による世俗的な親米政権で、イランはイスラエルを国家として承認し、石油を供給していた。中東戦争(1948~73年の4回)のときもイランは直接介入せず静観していた。
1979年に起きたイラン革命が、すべてを180度変えた。宗教指導者ホメイニ師が親米派の国王を追放し、イスラム教(シーア派)の教えに基づく国家を作った。11月、革命で荒れるイランの民衆が米国大使館を占拠し、職員を人質に取る事件「米国大使館人質事件」が発生し、国交が断絶した。
ちなみに、そのうち6人の職員はカナダ大使の私邸に逃げ込み、CIAは6人を救出する突飛な計画を実行した。そのときの模様を描いたのが、アカデミー作品賞を受賞した映画「アルゴ」である。
革命以降、イランはイスラエルを「パレスチナを占領する不当な存在」として敵視し、一気に宿敵となった。また、イスラエルに抵抗する武装組織、レバノンのヒズボラ、ガザのハマス、イエメンのフーシ派などを支援してきた。
イスラエルは1948年5月にパレスチナで建国宣言して以来、4度の中東戦争を経て、アラブ諸国と国交正常化が進むものの、基本的には緊張状態にある。
では、イランとアラブ諸国はどうかといえば、前述の通り、ペルシャ人とアラブ人という民族的な違いに加え、シーア派(イラン)とスンニ派(サウジ等)の宗派対立を背景とした地域覇権争いを長年展開してきた。つまり、中東は「イスラエル」VS「アラブ諸国」VS「イラン」という三つ巴の主導権争いの世界である。
1980年9月、イラン革命の混乱に乗じて、イラクのフセイン大統領(当時)が領土・油田支配やシーア派革命の波及阻止を狙ってイランに侵攻した。明らかにイラクに非があるにもかかわらず、米ソや多くの西欧、アラブ諸国はイラクを支援した。結果として、イラクは巨大化した軍事力を背景に、1990年にクウェートに侵攻した。このクウェート侵攻は湾岸戦争の発端となり、米軍中心に結成された多国籍軍とイラクの間で勃発した戦争である。
米国は常にイスラエルにとって最大の支援国だが、中東においてはその時々の思惑で動いている。
