朱易

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「いよっ、この幸せ者めが〜!」―。日本でなら、そんな声が掛かりそうなのが、中国の男子スノーボードの蘇翊鳴(スー・イーミン)選手だ。ミラノ・コルティナ冬季五輪では、7日にスノーボード・ビッグエア種目で銅メダルを獲得。今大会の中国代表として初のメダル獲得だった。18日にはスノーボード・スロープスタイルで優勝。中国代表として初の金メダルだった。この日はおりしも蘇選手の22歳の誕生日だった。蘇選手は恋人であるフィギュアスケートの朱易(ジュウ・イー)選手と「仲睦まじく」過ごす画像をネット投稿した。そしてこの朱選手が才色「超兼備」の女性であり、しかも父親がAI開発の「超大物研究者」なのだ。新華社や新浪新聞など多くの中国メディアが、蘇翊鳴選手と朱易選手の話題を追っている

彼氏は吉林出身、彼女は米国生まれのウィンタースポーツ選手

蘇翊鳴選手は2004年に吉林省吉林市で生まれた。スノーボードを始めたのは4歳の時で、初めての冬季五輪出場だった22年の北京大会では金メダル1個、銀メダル1個、銅メダル1個を獲得した。そして恋人の朱易選手は02年に米国のカリフォルニア州で生まれた。米国では国籍が「出生地主義」なので、朱易選手はその時点で「米国人」だった。一方で、中国の国籍は「血統主義」だが、二重国籍は認めていないので、朱易選手は「中国人ではなかった」ことになる。蘇翊鳴との2ショット

朱易選手は18年に米国国籍を放棄して中国国籍を獲得し、20年までに活動の拠点を北京市内に移した。朱易選手がカリフォルニア生まれであることと、中国に「戻って」来たことには、父親の朱松純(ジュウ・ソンチュン)氏が深く関わっている。

彼女の父親は超一流のAI研究者

朱松純氏は湖北省鄂州市の生まれで、1991年に中国科学技術大学のコンピューターサイエンス学科を卒業した。その後は米国のハーバード大学に留学し、96年にはコンピューターサイエンスで博士号を取得した。2002年にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校の教授になり、研究をさらに進めた。朱松純氏は人工知能(AI)分野で特に、米国を代表する研究者の一人と見なされるようになった。朱松純氏

しかし、朱松純氏は20年9月には中国に戻り、北京汎用人工知能研究所(BIGAI)の初代院長や清華大学と北京大学の教授、北京大学人工知能研究所の所長を務めることになった。このため中国では朱松純氏を「愛国者」と讃える声が上がったが、事実はそう単純ではない。

米国で中国系研究者の立場が極端に悪化

米国司法省は18年、主に中国系研究者を対象に、中国への情報漏洩を防止する名目で「チャイナ・イニシアチブ(中国行動計画)」を始めた。米国側は、機密情報を故意に中国に漏らしただけでなく、内容としては問題がないはずの中国への協力も、申請していなかった、あるいは申請に記載漏れがあったとの理由で有罪と見なす姿勢で臨んだ。朱松純氏に対する直接の「取り調べ」は記録されていないが、知人の中国系研究者が次々に捜査対象になったり事情聴取を受けたことで、朱松純氏が米国での研究継続に不安を感じたことは想像に難くない。

一方で中国側は朱松純氏に、北京大学と清華大学での教授職や複数の研究組織でのトップの座を用意するなど、破格の待遇を提示した。また中国はAIの開発と応用を「国運を賭けている」と言ってよいほど重視しており、朱松純氏ほどの実力があれば国の後押しもあって、安定して成果を出していくことが期待できる。

天才少女と見なされたが、その後は努力して努力して努力して

さて、娘の朱易選手に戻ろう。朱易選手はまだ米国籍だった18年に、米フィギュアスケート選手権の女子シングルのノービスクラス(ジュニアよりさらに年少の部門)で圧倒的な実力を見せつけて優勝し、米国フィギュア界の新星になった。朱易選手はその後、中国人選手として活動することを決めた。しかし22年の北京冬季五輪では、出場したもののミスを連発して不調だった。

その際には批判も多く出たが、25年2月に黒竜江省ハルビンで開催された「第9回アジア冬季競技大会(ハルビンアジア冬季大会)」では自己ベストを更新するなどの活躍で、改めて評価されることになった。

朱易選手は端正な容姿と華麗な演技が評価されている。恋人の蘇翊鳴選手の誕生日に際して投稿した写真は「シンプルな白い服を身にまとい、目元は清らかで気品は穏やかであり、表情にはクールさと優しさが同居する雰囲気が漂っていた。神がかった美貌だ」などと評された。朱易

しかし朱易選手にはそれ以外の「評価ポイント」もある。超難関大学として知られる北京大学の学生なのだ。一般入試で合格したのではなく、中国では「保送(バオソン)」と呼ばれる、特別推薦枠を設ける制度を利用しての入学ではあるが、大学での課程に対応できるかどうかの学力や知性が試された上での合格許可だ。また、入学後は他の学生と同等に扱われる。日本では「大学に入るのは難しいが卒業は楽」などとも言われるが、中国の大学は学生としての学力を身につけなければ、卒業は困難だ。

実は朱易選手の北京大学入学が決まった22年には、北京冬季五輪で失敗したこともあり「選手として実力が伴っていない。父親のコネだ」といった悪口も沸き起こった。しかし朱易選手がその後、SNSを通じて早朝にフィギュアスケートのトレーニングに励み、日中は講義に出席し、夜は再び練習する状況を紹介したことで彼女に対する評価は好転した。

やはりここは、声をかけるしかない

現在では「科学者の父と、不屈の努力を続ける娘」という、中国を代表するエリート親子の象徴的な例としてメディアに取り上げられる機会が増えている。

さて、そんな素晴らしい恋人を手に入れ、自らの専門でも五輪での金メダルという世界最高峰の座を射止めた蘇翊鳴選手だ。ここはやはり「中国一のこの幸せ者めが〜!」と声を掛けるしかなさそうだ。(翻訳・編集/如月隼人)