JRT四国放送

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県内でも多くの人が犠牲となった、昭和南海地震から12月21日で79年です。

徳島市南沖洲の小さな神社にある「百度石」に、地震の教訓を後世に伝える碑文が刻まれています。

当時の、そして今の人たちの思いを取材しました。

(記者)
「私は今、徳島市南沖洲にある、沖洲蛭子神社に来ています」
「こちらの神社、境内を上がると左手に『百度石』と書かれた碑石。そして右手にも『百度石』と書かれた碑石が出迎えてくれます」
「これはいったい何の碑石なのでしょうか?」

案内してくれたのは、近所に住む防災士、井川博之さんです。

(井川博之さん)
「これが百度石です。安政南海地震のとき大きな災害があった、そのことについての記録ですね」
「嘉永7年、1854年に安政南海地震が発生して、その7年後にこの百度石を建てた」

石には、今はかすれてほとんど読めないものの、裏と側面の3面に、先人の記憶を後世に伝えるため、災害時は心を落ち着かせ、火の元に注意するなどの教訓がびっしりと刻まれています。

そして、碑文の最後には。

(井川博之さん)
「100年のうちに、このような地震や津波があると聞くのでと書かれている、(先人たちの)教訓というか(地震や津波が)危ないこと感じ取ることができる」

先人たちが残した災害の記憶。

しかし、約170年前に建てられた百度石は長い間、雨風にさらされ、井川さんがその存在を知った時には、表面が剥がれ落ち、今にも倒れそうな状態でした。

(井川博之さん)
「先人が残してくれた災害の経験や体験が書いているが、私たちも後世に残してくれたものを、ずっと残さないといけない、これは消えてしまうと大変なことだと危機感を感じました」

貴重な文化財を後世に残したい。

しかし、保存修復には多額の費用が発生します。

井川さんはワラにもすがる思いで、地震・津波の専門家、徳島大学環境防災研究センターの上月康則教授に相談しました。

(徳島大学環境防災研究センター・上月康則 教授)
「井川さんの方から相談があって、碑文も見えなくなって今のままだと崩れそうだと、何とかしないといけないという(井川さんの)思いが強く伝わりました」

懸命の働きかけには、わけがありました。

(記者)
「気仙沼の漁港です、見て下さい陸に大きな船が打ち上げられています」

実は井川さんは、徳島市の元消防隊員。

2011年の東日本大震災では、緊急消防援助隊の隊長として被災地へ入り、現地で行方不明者の捜索などにあたりました。

(記者)
「 現場は悲惨でしたか?」

(井川博之さん)
「悲惨なものでした。今まで動画とかフィルムとか、あらゆる地震の資料を見て本も読んだが、しかし現場を直接見るのは初めてだった。本当に現場を見たら唖然としました」

目の前に横たわった人知を超えた現実。

悲劇を繰り返さないために。

思いを、伝えるために。

(井川博之さん)
「徳島県でこのような災害が起きることに不安や危機感を感じた」
「日頃からの対策も必要だし、私たちも準備しておく必要があると思いました」

井川さんの熱意に動かされ、徳島市教育委員会は「百度石」に剥離を防ぐ応急処置を施しました。

地域の人も動きます。

神社総代が費用を捻出し、これ以上劣化が進まないよう、木製の覆屋(おおいや)もつくられました。

そしてついに4年前、境内に設置された新しい「百度石」の裏と側面に、同じ内容の碑文が彫られたのです。

(徳島大学環境防災研究センター・上月康則 教授)
「昔の災害のことを伝える伝承させる石碑はたくさんあるが、(百度石のような)形で新しく作るというのは私の知る限りない」

(井川博之さん)
「これを見て、昔から同じような経験を踏んできているのだなと、本当に教訓としていろんな防災に対する備えをやっていただきたいなと」
「もちろん心構えも書いているので、それをよく読んでいただきたいと思う」

碑文を通して語り継がれる南海地震の記憶。

そこには近い将来必ず起きる次の災害に備え、私たちが学ぶべき教訓が刻まれています。