日本陸上倶楽部のトークショーで日本陸上界にエールを送った瀬古利彦氏(左)と君原健二氏【写真:編集部】

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メキシコ五輪銀メダル君原健二氏が講演

 マラソン界のレジェンド、君原健二氏と瀬古利彦氏が、爆笑トークで日本陸上界にエールを送った。陸上競技のOB会「日本陸上倶楽部」の総会が23日、都内で行われ、1968年メキシコ五輪銀メダルの君原氏が「円谷幸吉と君原健二」をテーマに講演。その後、昨年同倶楽部会長に就任した68歳の瀬古氏と対談し、9月に東京で行われる陸上世界選手権の日本代表選手たちに期待を寄せた。

 84歳の君原氏は自身の陸上人生を同学年で親友、ライバルでもあった故円谷氏との思い出とともに披露。1500メートルで予選落ちした59年のインターハイ、円谷氏と初めて一緒に走り表彰台に並んだ61年秋田国体5000メートル、64年4月の東京五輪マラソン日本代表選考レース…。

 東京五輪1年前のニュージーランド遠征では、帰国の時に円谷氏がダイヤモンドの指輪を購入。「あげたい人がいたんですね」。君原氏も衝動的に買ってしまったが「私にはそんな人もいなかったので、母親にあげました」と笑わせた。

 東京五輪は「日本が1つになって待ち望んだ大会。参加できたのは競技人生で一番の誇り」と話し、選手村は「ユートピアだった」と懐かしんだ。大会後半、競技後の選手で村が騒がしくなると、マラソン陣は最終日のレース1週間前から神奈川県の逗子で合宿入り。「私は寺沢(徹)先輩と途中で選手村に戻ったけれど、円谷君は冷静に合宿を続け銅メダル。私は8位に終わりました」と振り返った。

「一番うれしかった」と話したのが本番2か月前の札幌合宿。マラソンレース4日後の1万メートル記録会で揃って日本記録を破り「競技場の売店でビールを買って、乾杯しました」。今も欠かさない墓参りでは、必ずビールを持参するという。

 大会直前に自死した「円谷君の分も」と臨んだメキシコ五輪。競技場に入ってから後続に抜かれず2位になれたのも「円谷君のおかげ」と話した。2020年東京五輪の聖火リレーは故人の写真とともにその故郷の福島・須賀川を走った。「円谷君のおかげで、すてきな人生を送れた。円谷君、ありがとう」と言って話を締めた。

 続いて行われた瀬古氏とのトークショーでは、ビールの話で会場を沸かせた。瀬古氏が「君原さんは合宿に行くとコースも見ないで酒屋を探していたと聞きました」と言うと「合宿では必ずビールを飲むようにしていたから」と返答。ビール好きトークに花を咲かせた。

 瀬古氏は「一緒に走った77年の福岡国際マラソンでは、奥さんがゴール地点で500の缶ビールを手に待ち構えていた」と暴露。「フィニッシュ後、すぐに2本飲み干したのを見て、この人凄いなと思った」と衝撃の「出会い」を明かした。

 君原氏のビール好きは当時から知られていたようで「(師の)中村(清)先生からも、ビールは飲んでいい。君原も飲んで大丈夫だったからと言われていた」と瀬古氏。「最近は一生懸命汗を流さないから、おいしいビールが飲めなくなってきた」という先輩の言葉に「いや、走らなくてもおいしいですよ」と返していた。

9月の陸上世界選手権で「頑張って」 後輩へ熱いエール

 君原氏が駅伝強化を目指す早稲田大学から誘われた時には「大学生に(勉強で)ついていけないので」と断ったこと、最近のシューズの進化の話では、君原氏が親指に穴が空いたシューズを「走るのに支障はないので」と使い続けていたこと、かつて行われていた大阪東京間の駅伝で君原氏が根の山下りを走っていたことなども紹介された。

 世界選手権に向けて、君原氏は「やっぱり、マラソン頑張ってほしいですね」。瀬古氏も「もちろん全員期待しているけれど、特に暑さに強い男子の28歳吉田祐也(GM0インターネットグループ)や早大の後輩でもある女子の24歳小林香菜大塚製薬)は楽しみ」と話した。

 最後に瀬古氏は「今マラソン駅伝テレビで放送されるのは、日本人に感動や勇気、元気を与えられるから。そのもとを作ってくれたのは君原さんと円谷さんなんです」と大先輩たちが紡いできた走りのドラマに感謝していた。

「日本陸上倶楽部」は大正年代から昭和初期に活躍した陸上選手らの親睦の場、陸上競技を応援する団体として1973年に日本陸連の賛同を得て「明治大正陸上競技OB会」として発足した。元選手だけではなく、審判や指導者など陸上競技を愛する「OB」たちによる陸上競技を応援する集まり。五輪入賞者に報奨金を贈呈し、ジュニアの年間優秀競技者を表彰するなど活動をしている。昨年瀬古利彦氏が会長に就任。今年の総会で、60歳以上だった入会の年齢制限を55歳以上に引き下げることが決まった。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

荻島 弘一
1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。