関西や中京圏のJR線ではおなじみの種別「新快速」。早くて快適ですが、東京圏にはありません。なぜでしょうか。実は「新快速に該当する種別」が存在し、私鉄との競争を繰り広げています。

「特別快速」ではイヤだった?

「新快速」はJR西日本JR東海が運行する列車種別です。快速より停車駅が少なく、特急と同等の所要時間で主要駅を結びます。
 
 JR西日本の新快速は、琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線を中心として日中に約15分間隔、朝ラッシュ時は約8分間隔で運行しています。JR東海は東海道本線の豊橋〜名古屋〜岐阜間を中心として日中に約30分間隔、朝ラッシュ時は約15分間隔です。
 
 とても便利な列車ですが、大都市圏を抱えるJR東日本にはありません。なぜでしょうか。ちなみに大手私鉄にもありません。


JR東日本に「新快速」なる種別はない。なぜ?(画像:写真AC)。

 答えは「快速より速い列車として東京には特別快速があった。一方で関西・中京では、新しい列車のイメージとするために新快速を設定したからではないか」です。ちょっと歯切れが悪いですが、実は「新快速」は運行開始直前まで「特別快速」になる予定でした。

『関西新快速物語』(寺本光照・福原俊一 共著 2011年 JTBパブリッシング刊)によると、「鉄道雑誌や(市販の)時刻表昭和45年10月号にも『特別快速』または『特快』と掲載されている」とのこと。しかし著者の寺本氏が通学するときは、「10月1日から新快速登場」というポスターが電車内や駅に掲示されていたそうです。ただし京都発12時00分の「特快」が掲載された紙面も添えられています。

 寺本氏はこの経験から、「時刻表の原稿締切りの9月10日以降に新快速になった」と推測。大阪鉄道管理局が「特別快速では東京の中央本線の二番煎じに過ぎず、“新しい快速”のイメージを狙ったと思われる」と所感を記しています。

 当時の国鉄は全国組織ですから、列車種別も全国共通にするほうが自然です。しかし、大阪鉄道管理局はイメージを一新する必要がありました。それは「平行する私鉄との競争に勝つため」です。

国鉄と私鉄の競争によって誕生した「新快速」

 新快速は国鉄分割民営化の前に誕生しました。その前進は「急電」と呼ばれる電車でした。少し歴史をさかのぼりましょう。

 戦前、東海道本線の京都〜大阪〜神戸間は蒸気機関車の列車が主で、電化が遅れていました。並行する私鉄の阪急線、京阪線、阪神線は電車を運行し、国鉄より停車駅を増やしつつ、急行電車で乗客を獲得していきました。国鉄は長距離列車の運行が中心で、競争には積極的ではなかったようです。


関西エリアの新快速に使われる225系電車(画像:JR西日本)。

 しかし、東海道本線の電化をきっかけに、国鉄は大阪〜三宮〜神戸間に急電(急行電車)を30分間隔で走らせました。急行料金は不要。乗車券だけで乗れました。阪急、阪神はスピードでは敵わず、座席の座り心地などサービスで対抗します。

 国鉄の列車が増えると、貨物列車と旅客列車を分離するために、東海道本線の京都〜大阪〜神戸間は複々線化されます。さらに電化区間が京都に到達すると急電区間も拡大し、阪急京都線や京阪電車もライバルになりました。

 戦後も「スピードの国鉄」と「サービスの私鉄」の構図は変わらず。京阪電鉄のテレビカーもこの流れで誕生しています。一方、国鉄では関東で「準急」が誕生し、西へ運転区間を拡大していきます。準急料金が必要な列車に対して関西の急電は料金不要。このねじれを解消するために、急電は「快速」になりました。

 その後も国鉄と私鉄の競争が続きます。国鉄は利用者の要望を受けて快速の停車駅を増やしていきましたが、ついに私鉄の特急より遅くなってしまいました。そこで1970(昭和45)年10月1日、快速より速い列車として「新快速」が設定されました。もうひとつの背景として、同年の大阪万博輸送用に調達した電車が余っていたこともありました。

「私鉄と競合」がJR西日本JR東海の共通点

 ライバルの私鉄と競争するという状況は中京圏にもありました。前出の豊橋〜名古屋〜岐阜間です。国鉄と名古屋鉄道の競争は名鉄の圧勝だったようで、国鉄分割民営化後のJR東海は攻めの姿勢に転じます。

 1989(平成元)年3月、すでに走っていた快速の上位種別として「新快速」が設定されました。ただし、快速の停車駅より1駅少ないだけ。「新快速」となった理由も定かではありませんが、すでに快速として、京阪神で新快速として使われていた電車と同じ117系が充当されていたため、その上位版として新快速としたと思われます。

 そして1999(平成11)年12月、JR東海は新快速よりも停車駅が少ない種別として「特別快速」を導入します。JR東海は普通、快速、関西由来の新快速、関東由来の特別快速のすべてを揃えて現在に至ります。


JR東海の新快速として活躍した117系電車はリニア鉄道館で展示されていた。現在は撤去されている(杉山淳一撮影)。

 面白いのは、国鉄時代の大阪鉄道管理局が、東京鉄道管理局の特別快速より速いイメージを狙って新快速を考案したのに、JR東海によって「新快速は特別快速の下」という序列になってしまったこと。JR西日本としては悔しいかも知れませんね。

 東京圏では都心から放射状に私鉄が発達したため、国鉄と私鉄の直接的な競合区間は少なめです。並行区間としては新宿〜八王子間の京王電鉄、品川〜横浜間の京急電鉄があります。国鉄は京王電鉄に対抗して、1967(昭和42)年に中央線で特別快速を運行開始しました。

 京急電鉄に対しては、京浜東北線が京急電鉄の普通(各駅停車)の、東海道本線各駅停車が京急電鉄の特急のライバルとなっています。

 JR東日本は2004(平成16)年から、湘南新宿ラインで特別快速を運行しています。しかし京急電鉄と並行するというより、小田急電鉄の急行(新宿〜小田原)や東急電鉄の特急(渋谷〜横浜)に対抗する列車と考えられます。

 JR西日本は「新快速」、JR東日本は「特別快速」、JR東海は「新快速」と「特別快速」。この関係はしばらく続きそうです。