ジェット旅客機の草創期に「世界最速」のコンセプトで開発されたのが「コンベア880」。どう開発され、そのスピードを生み出す秘訣はどこだったのしょうか。ただ、この飛行機、速度だけではない、喜ばしくない速度記録もありました。

まさかの「戦闘機クオリティのエンジン」を載せた!

 ジェット旅客機草創期、ボーイング707やダグラスDC-8といった名旅客機たちの影で、「世界最速の旅客機」をうたったものの、別の、かつ残念な意味で「スピーディー」すぎた旅客機が実在します。1959年1月27日に初飛行したジェネラル・ダイナミクス社の「コンベア880」です。


コンベア880(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。

「世界最速」というコンセプトは、同モデルの初期発注を行った航空会社「ローンチカスタマー」であるTWA(トランスワールド航空)のオーナーでありながら、世界最速の飛行記録をいくつも塗り替えるなど、いわゆる「スピード狂」として知られた大富豪、ハワード・ヒューズ氏の意向を多分に反映したものとされています。

 コンベア880は外観こそ草創期のジェット旅客機と似通ったものでしたが、搭載エンジンに、ゼネラルエレクトリック(現GE・アビエーション)の戦闘機向けジェットエンジン「J79」を、民間機向けに改修したものを採用。この「J79」は、初めてマッハ2を超える高速飛行を達成したYF-104A「スターファイター」戦闘機や、F-4「ファントムII」戦闘機などに搭載されていたものです。

 そうしたことで、コンベア880のスペック上の巡航速度は、当時最速のマッハ0.89(約990km)。同モデルより先行して開発されたボーイング707(マッハ0.81)やダグラスDC-8(マッハ0.72)を上回るものでした。ただその一方で、「スピードに全振り」してしまったゆえに、コンベア880はさまざまな問題をかかえることになります。

いろんな意味で「爆速」だった残念機、何が問題だった?

「高速戦闘機クオリティのエンジン」を積んでしまったために、コンベア880は燃費がライバルと比べて悪く、騒音も増大。また、搭載エンジンは整備性もあまりよくなく、取り扱いが難しい点を有していたほか、戦闘機用から旅客機用へアレンジする段階で価格を下げるべく、耐熱金属を使う量を減らしたことなどから、トラブルが多発したといいます。

 加えてこの機は、エンジン後方から吐き出される黒煙が、環境に良くないというレッテルが貼られる結果に。また、操縦も「じゃじゃ馬」とも呼ばれてしまうような難しいものだったそうです。


JALのコンベア880(画像:JAL)。

 こうした結果も手伝ってかコンベア880は、初飛行からわずか3年後となる1962年をもって生産終了に。製造機数はわずか65機と記録されています。これは後継機であるコンベア990が登場し、それに生産が切り替えられた影響もありますが、上述の問題点があったことに加え、特長である巡航スピードも、ライバル機とくらべてそこまで圧倒的なものとはならなかったためでしょう。

 不運にも、コンベア880の「スピーディーさ」は、生産年数という面でも、ライバル機を上回ってしまったというわけです。

 なおこのコンベア880、JAL(日本航空)でも9機が導入されたものの、前述した難しい操縦特性から3機が訓練中に全損事故を起こしてしまったと記録されています。同機は、JAL初のジェット旅客機による国内線運航便として、1961年の羽田〜札幌線にデビューしたものの、1971年に全機退役。運航期間はわずか10年と、おおむね20年から30年使われる旅客機の世界では異例の「スピード退役」となっています。

【当時の映像】黒煙&「シヒィィン!」と爆裂サウンドを奏でるCV880の姿(45秒)