※この記事は2022年03月30日にBLOGOSで公開されたものです

「罰」「無理ゲー」と表現されるほど、ハードな日本の子育て環境。今そこで、改善のためのダイナミックな変化が起きている。それを牽引するのは30~40代、まさに子育て世代の人々だ。過酷な状況に異議を申し立て、地道に確実に、社会と制度を動かしている。

この3月、東京都内の交通機関で大きな変化があった。都内すべてのバス路線で、二人乗り用ベビーカーの乗車が可能になったのだ。

……と読んだところで、不思議に思う読者もいるだろう。え、今まで乗れなかったの?ベビーカーで公共交通機関のバスを利用する、それは当たり前では?と。

「2020年の9月までは都内のどのバスでも、二人乗り用のベビーカーは乗車お断りでした。幅をとったり、安全性が確保できない、という理由で。双子は出産や誕生後の乳幼児健診のできる施設が少なく、都内でもいくつかの大病院しかないのですが、そこに通うのも、徒歩かタクシーを使うしかなかったんです」

そう語るのは認定NPO法人フローレンスで多胎児育児支援事業を担当する市倉加寿代さんだ。市倉さんは2019年に『多胎育児のサポートを考える会』を立ち上げ、二人用ベビーカーでのバス乗車を可能にするための活動をしてきた。全国の多胎児家庭にアンケートを取り、コネもツテもない状態から区議会や都議会に陳情し、メディアに訴え、3年で理不尽なルールを動かした。

市倉さんには子どもがいるが、自分の育児では二人用ベビーカーを使った経験はない。2019年にはすでに、我が子はベビーカーの必要ない年齢に成長していた。その市倉さんがこの活動に取り組んだ理由は、都内で双子を育てる幼馴染の存在だった。

「家族ぐるみで付き合ううちに、二人用ベビーカーではバスに乗れないと知ったんです。それで彼女はとても困っていたのに、変えるために動くことができなかった。なら私が代わりにできることをやろう、と」

当事者の困難を知った支援者が代わりに動き、困りごとを一つ、社会から無くしたのだ。現代の日本で起こっている、その力強い事例を紹介しよう。

声を上げるパワーも意識も削られていく過酷な多胎児育児

双子、三つ子のように複数の子を同時に妊娠・出産する多胎出産。現在では100人に1人の女性が多胎児を産んでいる。複数の子の育児作業が絶え間なく続く毎日は過酷を極め、睡眠リズムや哺乳量・回数が安定しない乳幼児期には、親たちの間で数日の徹夜が常態化しているほどだ。

加えて前述のバスのように、1人の子どもの育児であれば使えるのに、多胎児育児では使えなくなるインフラやサービス、制度がある。たとえば子どもが生まれる前に開かれる「両親学級」では、多胎で生まれた子たちを同時に育てるケースは想定されないことが多い。

また生まれた後でも、一般のベビーカーのスペースは一人用が主流で、保育園ですら、「双子はおんぶと抱っこで登園してほしい」と求められることがある。

無理ゲーと言われる日本社会の育児の中でも、多胎児育児はさらに困難なのだ。

制度やインフラの不足・不備は、当事者たちが声を集めて行政に届け、改善されていく。近年は育児の分野でも、液体ミルクの普及や父親の育児休業制度など、当事者の声からいくつもの変化が起こった。

育児支援のNPO法人で働き、それらの変化を間近に見てきた市倉さんは、幼馴染に「変えるために、声を上げてみたら?」と言ったことがあった。

「幼馴染からは『できないよ!』と即答されました。双子の育児はとにかく忙しすぎて時間がない。精神的にも肉体的にも、理論だった陳情をするような余裕とパワーがないんです」

加えて市倉さんの目には、多胎児育児の親たちは「自分達には声を上げる資格がない」と感じているようにも見えた。

「親たちは外に出てもとにかく周りに迷惑をかけないように、ごめんなさいごめんなさいと言ってばかりになります。私なんて社会の隅っこで生かさせてもらっているんだから……と、気持ちが折れているんです。双子を産んだ私が悪い、と。そんなことは、絶対に思わなくていいのに!」

悪いのは、そこまで親を追い詰める社会の方なのにーー冷静に状況を見られずに自分を責めてしまうほど、日常生活の多くの場面で多胎世帯は困難を感じている。口をつぐまされる属性の人たちの課題は、こうしてずっと埋もれ続けていくのだ。誰かが代わりに声を上げない限り。

それを目の当たりにし、市倉さんは支援活動を決意した。これは、当事者以外の人間が動かなければいけない。ならば体力も気力も時間もある私が動く、と。

見過ごされてきた1600人分の声

代わりに動くために市倉さんがまず行ったのは、「当事者の声を聴くこと」だった。多胎児育児の困りごとは何か、どんな思いと経験をして、どのように変わってほしいと願っているのか。幼馴染のこぼした愚痴を大項目に分類し、そこから質問を立て、Googleでアンケートフォームを作成した。2019年9月のことだ。

「この分類と整理も、当事者ではないからできたと思います。双子育児をする母親は睡眠不足と疲労で余裕がありません。文章を書く時間もなく、活字を読むのすら辛いという人もいます」

アンケートの回答募集はSNS経由で拡散しようとしたが、最初はなかなか声が集まらなかった。当時の市倉さんのTwitterアカウントはフォロワー30人ほどで、周囲に直接会って話せる双子世帯は片手にも足りない程度。どうしようかと思いあぐねていたところで、爆発的に広がる端緒があった。

「幼馴染が、地域の双子家庭と繋がっているLINEグループに知らせてくれたんです。そのグループの代表の方が、今度は双子育児の別のサークルの代表の方に繋げてくれた。そうして数珠繋ぎに広がっていきました。双子ママの繋がりは、ただのママサークルではない。もっと切実な、戦友のように支えあっている関係なんだと知りました」

双子育児で困っている人々の手から手へとアンケートが託され、続々と回答が積み上がる。その数は夜が来るたびに増え、ある日には、一晩で200件にも及んだ。

ずっと抑えられ、上げられなかった声が、市倉さんのもとに波のように寄せて届く。中には、深夜の2時、3時に送ってくれる人もいた。「泣きながら書いています」と書かれたものもあった。

2、30件あればいい方か、と見積もっていた回答数は、最終的には1591になった。ひとりの友人のために始めたアクションは、全国的な、社会的な課題だったのだ。

「私自身も最初は、彼女や彼女の家庭の、個人的な問題と考えていた節がありました。でもそうではない。彼女の困難は、全国の多胎児家庭が直面する、構造的な問題だと気づくことができたんです」

集めた声を「変えられる人と場所」に届ける

これは本気で取り組まなければならない。アンケート結果を受けた市倉さんは改めて腹を決め、勤務先である認定NPO法人フローレンスの駒崎弘樹代表と広報部に協力を願い出た。次の動きは、公共交通機関を管轄する都議会への陳情と、大規模な世論喚起だ。

「アンケートを取る前に私個人で、近隣の区議会の方にアプローチをしていました。ウェブサイトを見て、子育て環境の問題意識が高そうな議員さんに、ドキドキしながらも直接メールして。そこで出会った区議に、『都が運営するバスなら、都議会に訴えるのがいいかもしれない。都議に相談してみたら?』と助言をもらったんです」

フットワーク軽く問い合わせに答え、陳情に親身を耳を傾ける区議の姿は、市倉さんにも驚きだったそうだ。「政治家というと、こっそり会うものと思ってましたから。その区議とは、街の喫茶店で会いました」と、当時を思い返す。

その後、区議の紹介で、公明党と都民ファーストの都議、国会議員にも陳情できた。同時進行でフローレンス広報チームとともに、厚労省での記者会見を開催。アンケート結果を周知するとともに、国・都道府県・市町村の全国の行政に、4つの要望を提示した。公共交通機関に限らず、多胎児育児の子育て環境全体の底上げを目指す内容だ。

①保育の必要性の認定基準に「多胎児を育てている家庭」の追加/多胎加点の全国化
②公的な居宅訪問型の一時預かりサービスの制度拡大/民間ベビーシッター利用への補助
③バス乗車ルールの改善、タクシー利用の補助
④行政が多胎妊婦情報を把握した時点で行政側から情報と具体的支援を届ける

記者会見を行ったのは、2019年11月7日。これがメディアでも大きく注目され、都バスは改善の方向で取り組むことが決まった。その後わずか1ヶ月後の12月3日には、参議院の厚生労働委員会でも多胎児育児の支援問題が取り上げられた。山本かなえ議員が加藤元厚労大臣に質疑をした様子は、以下リンクのフローレンスの公式ウェブサイトでも報告されている。

https://florence.or.jp/news/2019/12/post36748/

ルールを変えるだけでは社会は変わらない

その後都バスの二人乗りベビーカーは、まず2020年9月に都営バスの5路線が利用解禁。続いて2021年6月に都営バス全線での利用が可能になり、この2022年3月には民営バスも含めて都内を走るすべてのバスで乗車できるようになった。運動開始から3年足らずで、首都の移動環境が丸ごと変わったのだ。

「でも、ルールが変わるだけでは社会は動かない。それを周知しないと運用は変えられないので、他の利用者にルールの変更を知ってもらう工夫が必要でした」

その工夫の必要性を市倉さんは、5路線解禁の初日に痛感した。双子の乳児健診のためにバスを使ってみると決めた母親に同行し、実際に都営バスに乗った時だ。運転手は後部ドアからの乗車に便宜を図り、順調に乗車できた。が、ルール変更を知らない周囲の乗客からは、戸惑いの目が向けられた。

「これまで行けないところに行けるようになった、今までタクシーで5000円かかっていたところに210円で行けるようになったと、喜んでもらえました。けれど、周囲のまなざしは課題で、なんとかしたいと思いましたね。双子を育てる方はこれまでのことがあるから、特に、そういった目で見られることに敏感なんです」

市倉さんは即座に、東京都の公共交通局に足を運ぶ。車内の画面で流す乗車マナー動画に、二人乗りベビーカーが乗車可能になった旨を加えてもらった。

先日市倉さんが都バスに乗った時、ちょうどその動画が流れた。2年前にはあり得なかった光景が、ただただ嬉しかったという。

代わりに動くことの難しさ

力強く明白に社会のルールを変えた市倉さんだが、非当事者が当事者の代わりに動くアクションには、難しさもあった。その一つが、活動の過程で当事者と歩調が合わなくなってくることだ。

「議員と会うときに同席して欲しくても、育児中の方々はそんな時間も余裕もないのですよね。資料の確認なども私と同じリズムではできない。ソーシャルアクションに関わる気力が持てないと、当事者に言われたこともあります。今やらなきゃ!というタイミングでも、当事者を置いていけぼりにしてしまわないよう、心がけました」

多胎児育児の困りごとを聞く中で、つらい場面について話させるのも難しかった。当事者に話をさせるのは、その分の負担をかけることでもあるからだ。

「負担の度合いは個人によっても違うので、たくさん話せる人もいます。関わる当事者を増やしていって、話せる人に話してもらうように気をつけました」

記者会見で活動が注目を集める中では、バッシングが寄せられることもあった。

「私に直接メッセージがくるのはまだいいのですが、オープンな場で書かれると、当事者の方達の目に入ってしまう。私が動いていることなのに、バッシングの言葉が当事者に届いてしまうのは、本当に申し訳なかったです。#助けて多胎育児というタグをSNSで展開したら、反対のタグを作って意見をいう人もいました。あの時は、とても辛かったです」

非当事者が動いたからこそ、社会が変わった

それでも地道に活動を続けた成果は、着実に形になっている。記者会見で伝えた4つの提言は、部分的であれど、まず東京都で改善が行われた。多胎児育児の当事者たちはこの変化をどう見て、感じているのだろう。

都内で双子を育てる松本彩乃さんは言う。

「大きなベビーカーでお邪魔してごめんなさいと、ずっと思ってきました。双子というだけで、子どもたちに経験という財産を蓄積してあげられないことにも、後ろめたさがありました。そんな私たちに市民権をくれたのが、市倉さんなんです」

松本さんが市倉さんに出会ったのはお子さんの生後10ヶ月の頃で、その頃は記憶が断片的なほど、「つらいと言う元気もないくらい、つらい」時を過ごしていた。

「市倉さんは私たち当事者に、つらいことはつらいって言っていい、と教えてくれた。当事者じゃない人が動いてくれたからこそ、社会は変わりました。『当事者としてどう感じているか』という問いへの答えは、『ただただ、心の底から感謝しています』です」

双子を含めて3人のお子さんを育てる郄濱沙紀さんは、市倉さんの活動に「一筋の光を感じた」と表現する。

「当事者ではない方にも、この双子育児の異常さに気づいて貰えたんだ、と。これまで多胎家庭の支援は当事者同士でやってきたので、歴史的な瞬間だとさえ思っています。今まで多胎家庭が『バスに乗れないのが当たり前』と諦めてきたことを、市倉さんが『それは違う』と断言してくださったのは、大きな希望でした」

それでも最中には、このアクションは叶わないのではないか、二人乗りベビーカーは解禁されず、さらに多胎世帯への風当たりが強くなるだけなのではないか……と考えたこともあった。子どもたちを1日1日生かし続けられるよう、限界を超えても泣きながら育児をする日々で、心無い言葉や対応に何度も絶望してきたからだ。

「そんな不安さえも、市倉さんは跳ね除けてくれた。彼女の活動は、多胎児家庭だけではなく多子世帯、年が近いきょうだいのご家庭をも救ったソーシャルアクションになりました。大袈裟ではなく、多胎家庭にとっては世界がひっくり返るような出来事です。私たち多胎家庭、そして多胎支援者の背中をぐっと押してくださった市倉さんには、感謝という言葉では足りません。心から、ありがとうの気持ちでいっぱいです」

都バスの運用を改善した後も、市倉さんは多胎世帯の支援を続けている。現在は勤務先のフローレンスで、新しい支援サービスを立ち上げたばかり。当日朝までにLINEで希望を送り、当選すると自宅への訪問サポートを依頼できる、抽選制の「ふたご助っ人くじ」だ。

「自己責任」の論調が蔓延る、現代社会。困難の中に声もなく沈んでいく人々に「助けを呼べ」と言う代わりに、無言の理由に思いを馳せることができる人々も、今の日本にはいる。声なき声を掬い取り、困難を減らすアクションが今日も、社会を少しずつ、生きやすい場所にしているのだ。