小林亜星さん

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「直前までお元気だったそうで。亡くなる前日の夜も、家でお酒を飲みながら、焼き鳥と枝豆、トウモロコシなんかをつまんでいたって……」(古くからの知人)

【写真】亜星さんとマネージャー妻の英子さん、自宅で撮った貴重な1枚

 5月30日に亡くなっていたと公表された作曲家・小林亜星さん。1961年にデビューして以降、レナウン「ワンサカ娘」やサントリー「夜がくる」、日立「この木なんの木」に明治「チェルシー」……数々の名CMソングを送り出した希代のヒットメーカーだった。かつて亜星さんと仕事をした音楽ライターの中村俊夫氏は、その死を惜しむ。

「亜星さんのすごいところは、子どもから大人まで“どこかで一度は彼の曲を耳にしたり口ずさんだりしたことがある”ということ。童謡『あわてんぼうのサンタクロース』も彼の作品だし、アニメソングもたくさん書いた。都はるみさんの『北の宿から』でレコード大賞もとった。大御所作曲家は何人もいますが、これだけバラエティーに富んだ作品をこなしたのは亜星さんだけです。本物の天才でした」

 活躍は音楽だけにとどまらない。1974年からスタートしたドラマ『寺内貫太郎一家』では、“体重110キロ”という風貌を買われ俳優に。頑固親父を熱演した同作は平均視聴率30%を超えた“怪物ドラマ”として今も語り草だ。

「亜星さんは寺内貫太郎と同じように頑固なところもあってね。天下のJASRACに反旗を翻して脱退したり。酒を飲みに行けば2、3軒はしご。朝まで飲んで、明け方に寿司をつまんで帰るんです。80歳近くになってもそうやって元気に飲み歩いていましたから」(音楽関係者)

参列を許されなかった次男

 誰からも愛された亜星さん。いちばん驚き悲しんでいるのは、マネージャーとしても亜星さんを支えてきた妻だ。

「30日の朝、起きてトイレに入ったところでドーンと倒れちゃったんだって。奥さんが亜星さんを起こそうとしたんだけれど、あの身体でしょう? 奥さん1人ではどうにも動かせなくて、ご近所の友人夫婦に助けを求めて、どうにか救急隊を呼んで搬送してもらったんだけれど、そのまま……」(前出・知人)

 葬儀は近親者のみで執り行われ、亜星さんが亡くなったことは長年付き合いのあった近所の人々にも伏せられた。

「病院への搬送を手伝ったご夫婦だけは参列して、あとはご家族だけで“静かに送り出してあげたいから”と。“俺の葬式はやらなくていい”という亜星さんの生前の意向もあったそう」(同・知人)

 だが、その葬儀にひとりだけ参列を許されなかった家族がいた。亜星さんの次男・小林朝夫氏である。

 朝夫氏は1982年に離婚した前妻との間にできた子どもで、特撮ヒーローものに出演経験もある元俳優。芸能界引退後は塾講師に転身し数冊の著書も出版……していたまではよかったが、いつからか、自称“特別な力を持った地震研究家”としてブログを開設。2011年には“東日本大震災を予言した”と話題になった。私生活では結婚、事実婚を何度も繰り返し、DV騒動まで起こしているといういわくつき……なんとも波瀾万丈な人物。

「亜星さん、朝夫さんとは絶縁状態だったんです。そうなる前から、朝夫さんは亜星さんの頭痛の種だったんですが、例の“事件”の後、亜星さんが勘当したんです。今回も朝夫さんには“亜星さんが亡くなった”という連絡だけで、葬儀には呼ばなかったそうです」(同・知人)

 “例の事件”とは朝夫氏が2013年に起こした淫行事件。青森県内のアパートの一室で女子高生にみだらな行為をした罪で逮捕、起訴されている。

「その弁護士費用や60万円の罰金、被害者への賠償金を立て替えたのが亜星さんだったって。“手切れ金”代わりにね」(同・知人)

「人生の終止符です」

 雪解けも叶わぬまま父を失った息子は何を思うのか─。朝夫氏のブログをのぞくと、今も“地震予知”や“人類選別”といった物騒な投稿が続く中、5月31日だけ《ボクの中の昭和が終わりました》と題する意味深な文章が。

《長かった、昭和の時代がおわりました。人生の終止符です。今日から再スタートを切ります》

 そこで週刊女性は、朝夫氏が暮らしているという長野県の八ヶ岳の麓へ向かった。彼は2006年ごろに東京から妻と2人の娘、家族4人でこの地に移り住んでブロガー活動の傍ら塗装業を営んでいる、ということなのだが……。

「朝夫さんはもういないよ。もうずいぶん前に一家離散です。朝夫さんのことは思い出すだけでも嫌だねぇ」

 そう近隣住民が苦笑する。

「仕事もロクにせず、いつもブラブラしていました。代わりに奥さんが駅の売店でアルバイトをして生活を支えていたんだ。でも、こっちに来てから3、4年もたつと奥さんがストレスで下血したり円形脱毛症になったりね」

 原因は朝夫氏の女性問題。当時、一家の隣に住んでいた別の住民も声をひそめる。

「沖縄と隣町に愛人をつくっちゃってね。隣町の愛人との間には子どもまでできちゃったのよ。それで奥さんは上の子の大学進学のタイミングで家を出ていったんだけれど、下の子はまだ中学生だったからこっちに残ったんだ」

 朝夫氏は愛人だったその女性と籍を入れ、下の娘、そして新たに生まれた幼子と4人で生活を始めた。

「だけど、朝夫さんは下の子を同じ敷地の“離れ”にたった1人、ほったらかしにしちゃったの。朝夫さんはたまに箱買いしたカップラーメンを差し入れするだけ。あまりに不憫でウチで食事を食べさせたことも何度かあったよ」(同・近隣住民)

「遺産が4億円はある」

 朝夫氏はそのころ、周囲にこう吹聴していたという。

「“親父は金持ちだから遺産が4億円はある”って。でも前の奥さんと一緒のときには、亜星さんもちょくちょく遊びに来ていたけれど、その愛人が来てからはピタッと姿を見なくなった。例の事件が起きたのはそれからしばらくしてですよ」(同・近隣住民)

 朝夫氏がどうやって4億円という金額をはじき出したのかは判然としないが、亜星さんの6000曲にも及ぶ作品の印税収入を考えれば、ありえない話ではない。そして確かに、絶縁されていたとしても法律上、朝夫氏の遺産相続の権利は保証されている。

 冒頭の知人は嘆息する。

「亜星さんも“家族の争いになるくらいなら何も遺さないほうがいいんだ”とよく言っていた。天国の亜星さんが悲しむようなことにならないといいけれど……」

 骨肉の争いは世の常か─。