代表チームを取り巻く人事に異変があった。日本サッカー協会は今月10日、関塚隆ナショナルチームダイレクターが退任すると発表した。

 約3年という期間でしたが、A代表をはじめとする代表チームの強化、世界への挑戦。そして日本のサッカーを育てていく指導者の育成に携わることができたことを誇りに思います。これからも日本サッカーがより発展していくために、微力ながら違う形で貢献していきたいと思いますーーとは、プレスリリースに記載されていた関塚氏のコメントだ。

 本来なら、記者会見を開いて説明されるべき案件だ。コロナ禍なので仕方がないと言えばそれまでだが、この人事には、ここまでに至る経緯も絡んでいる。簡単にハイそうですかと納得するわけにはいかない。

 関塚氏がナショナルチームダイレクターに就任したのは2020年3月。それまでは技術委員長だった。2018年4月、サッカー協会はハリルホジッチを解任。関塚氏は、それまで技術委員長を務めていた西野朗氏が日本代表監督に就いたタイミングで、その後任の座に就任した。

 問題は、今年3月、技術委員長からナショナルチームダイレクターとなった経緯だ。関塚氏に代わって技術委員長の座に就いたのは、松本山雅の監督を退任したばかりの反町康治氏。だがその時、ナショナルチームダイレクターなる役職は存在していなかった。

「全体感を見るのが反町新技術委員長で、関塚技術委員長は代表チームに専念するダイレクター的な存在」とは、その時、会見に臨んだ須原清貴理事の説明だ。つまり、協会はそこで関塚氏が、技術委員長からナショナルチームダイレクターに移動したとも、技術委員長を退任したとも発表したわけではなかった。技術委員長は2人存在する状態だった。

 分かりにくい話とはこのことだとは、4月14日に発行したこの欄で述べた感想(「船頭多くして船、山に上る」。今改めて思う日本サッカー協会の強化体制)だが、ナショナルチームダイレクターなる役職がいつ正式に誕生したのか、関塚氏が正式にいつ技術委員長を退任し、ナショナルチームダイレクターに就任したのか、明快な説明はないままだった。

 反町技術委員長は協会のホームページで、関塚ナショナルチームダイレクターとの棲み分けについて、次のように語っている。

「代表関係でいえば、U(アンダーエージ)の文字のつくチームから年齢制限のないチームまで全体の組織図をつくり、それぞれをどう並べ、スタッフをどう編成するかを練るのが僕(技術委員長)の役目になる。

 全スタッフとの契約交渉も担当。全代表チームの年間スケジュールをJリーグ、Jクラブ、大学、高校、中学校の関係者らと話し合い、策定するのも大事な仕事だ。日本代表の国際試合のマッチメークも受け持ちだ」

「関塚ND(ナショナルチームダイレクター)は日本代表と五輪代表の強化に特化した存在といえる。森保一監督のメンバー選考をサポートし、時に助言もする。トレーニング会場の選定、宿泊移動などのスケジューリングなど現場の統括管理は関塚NDの領域。選考対象の選手には所属クラブに招集のレターを送付する。FIFA主催の公式大会やインターナショウナルウィンドウの期間なら選手を自由に呼べる日本代表と違って、五輪代表の場合はJFAに拘束力がない。そんな選手を支障なく五輪代表に加えるためには、その難しい作業を可能にするネットワークをクラブ、代理人らと普段から構築しておかなければならない」

 その関塚ナショナルチームダイレクターが、このほど退任した。プレスリリースに掲載されている田嶋幸三会長のコメントによれば「本人から退任のお申し出があり、反町技術委員長も含めてご本人ともお話をし、最終的に退任されることを認めることになりました」となる。