「ポスト安倍」人気1位 “石破茂総理”誕生への条件は? そして自民党最大の対抗馬は誰か? から続く

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「ポスト安倍」アンケートで4位に入った河野太郎防衛相。現職国会議員では、石破茂氏、安倍晋三首相(4選)に次ぐポジションだ。Twitterを巧みに使い、柔軟に支持層を広げる河野氏は現役閣僚のなかでも国民の期待が高い。

 ではその河野氏は「次の首相」にふさわしいのか。約15年前に河野氏を初めて取材したというフリーランスライターの畠山理仁氏が綴る。(全4回の4回目/#1、#2、#3より続く)

「ポスト安倍」にはいいポジションだが……

 河野太郎の魅力は「挑戦する姿勢」だ。彼が今でも高く評価されているのは、長年培ってきた「攻める政治家」のイメージが広く世間に定着しているからだと私は思っている。つまり、河野太郎は今、「過去の遺産」で評価されているのではないだろうか。

 第2次安倍政権で、河野太郎は行革等担当相(国家公安委員長)、外相、防衛相と要職に就いてきた。たしかにポジションとしては「ポスト安倍」を狙える位置にいる。しかし、彼が要職についてからの「めぼしい成果」を挙げられる人が何人いるだろうか。


2017年8月から外相を務め、昨年9月防衛相に就任した河野太郎 ©文藝春秋

 外相在任中、河野は外国訪問回数59回、のべ123の国・地域を訪問し、歴代最多記録を更新した。ハイペースで外遊を重ねる一方、「スタンプラリー外交」との批判もあった。

 外相時代の記者会見で日露の条約交渉の質問が出たときには、記者の質問を無視し続けて「次の質問どうぞ」を何度も繰り返した。これを評価する人はあまりいないだろう。

 Twitterのユニークな活用方法が注目を集め、政治家としては、橋下徹、安倍晋三首相に次いで第3位のフォロワー数を誇っている。しかし、批判的な意見を次々ブロックすることで、「#河野太郎ブロック祭り」というハッシュタグが生まれた。一部では、河野にブロックされることが「ネタ」と化している。

 しかし、私はこうしたイベント的な人気が「次の首相」につながるとは考えたくない。人々が首相という仕事を軽く考えているとも思いたくない。

私が河野太郎にブロックされて感じた「満足感」

 私はこれまで何度も「河野太郎防衛相は記者会見を1年半近くフリーランスの記者にオープンにしていない」と批判し続けてきた。それでもブロックされなかった。正当な批判だから、当然、河野防衛相が受け止めるべき問題だと思ってきた。

 ところが、ブルーインパルスの東京上空飛行をめぐり、河野防衛相が記者会見で「プロセスはどうでもいいだろうと思う」と発言したことを私は問題視した。防衛相として、絶対に言ってはいけないことだと思ったからだ。

 そこで私は河野太郎に向けて次のようにツイートした。

<河野太郎防衛大臣 @konotarogomame は自衛隊員を軽視しているのだろうか。自衛隊員を出動させる「プロセス」はとても重要で、決して「どうでもいい」ことではない。自衛隊員が胸を張って仕事をできなくなるようなことを大臣がしてどうするのか。自衛隊員に対する敬意が感じられない。私兵じゃないぞ。>

 

 そして私はブロックされた。いまだに私の指摘が間違っていたとは思わない。

 しかし、不思議なことに、私は河野太郎にブロックされたことで、「ようやく私も1人前になれた」などと妙な満足感を抱いていた。それほど私の周りには、「河野太郎にブロックされた」という人が多かったのだ。「ブロックされない方が異常なのではないか」と錯覚するほどに。

 私は河野太郎が繰り出す容赦ないブロックに、かつての彼の魅力であった「攻めの姿勢」を感じていたのかもしれない。これは明らかに異常な状態である。

なぜ“ブロック太郎”を人々は評価するのか

 ブロックはTwitterの機能だから、一概に否定はしない。面倒な絡み方をしてくる人も確かにいる。しかし、公的な立場にある者がブロックを連発するのはいただけない。

 現役の防衛相である河野は、特別職の国家公務員=全体の奉仕者だ。防衛相しか知り得ない情報や写真もTwitterで発信しているのだから、ブロックなどせず、すべての国民に情報を届ける努力をすべきだろう。

 権力者は耳をふさいではいけない。批判を無視し続けるリーダーは「裸の王様」になる。そのうち、「責任を取ればいいというものではない」という糠釘答弁をするようになる。

 ちょっと心配になって、『文春オンライン』に掲載された沖縄タイムスの阿部岳記者による記事を読んでみた。そうしたら、もっと心配になった。

 阿部記者が河野にブロックされている人をTwitter上で募ったところ、「1日だけでおよそ700人が手を挙げてくれた」という記述を見つけたからだ。

 なんという激しい外交だ。直接絡んでいない人までブロックされているという。エゴサーチによる先制攻撃なのかもしれないが、圧倒的多数は一般市民である。河野がかつて立ち向かってきた「強者」ではない。河野は完全に戦う相手を間違っている。

 そんな状態なのに、河野は「次期首相になってほしいのは誰?」というアンケートで4位につけた。なぜだ。

 私なりに人気の理由を考えてみたが、正直なところ、最近の実績が評価されたからだとは思えなかった。人々が河野に期待しているのは、「安倍晋三首相のコピー」ではないはずだ。安倍路線を引き継ぐだけであれば、岸田文雄の人気がもっと上がってもいいはずだ。

 やはり、河野は「自身の過去の遺産」になりつつある「攻めの姿勢」を評価されているのだと私は考える。これは攻撃的な言動で注目を集めた吉村洋文大阪府知事がいきなり2位にランクインしたことからもうかがえる。人々は「ポスト安倍」に「激しく戦う姿勢」を求めているのではないだろうか。

「文科省なんかやめちゃって……」魅力的だった“過去の太郎”

 私が初めてナマで政治家・河野太郎を見たのは2006年8月のことだ。当時の彼は43歳。同年9月に予定されていた自民党総裁選に、誰よりも早く出馬表明をしていた。

 正確に言う。河野が「派閥調整ではなく、国民、党員に政策を訴えるのが先だ」と声高らかに出馬表明をしたのは、同年5月11日。9月20日に行われる自民党総裁選の4カ月以上も前のことだった。

 あまりにも早い出馬表明に、マスコミの注目は「総裁選出馬に必要な推薦人20人を集められるのか」という点に集中した。彼が所属する「河野グループ」からは、リーダー格の麻生太郎が出馬することが確実視されていたからだ。当時の空気は「本当に集められるのか(笑)」だったと記憶している。

 総裁選が近づいても、20人の推薦人は集まっていなかった。私が『週刊プレイボーイ』の取材に同席し、河野が語る熱い政策の数々に耳を傾けたのは、そんな時だ。

「政策を聞きに来たのは週プレが初めてです」

 取材班を嬉しそうに迎え入れると、彼は次々と思い切った政策を語り始めた。党の中で重要な地位を占めていれば、おそらくこんなに歯切れのいいことは言えなかっただろう。

「年金を消費税で賄って保険料を納めなくすれば社会保険庁はいらない」
「消費税を8%にすれば、保険料を納めなくても今の国民年金と同じ額を支給できる」
「文部科学省なんかやめちゃって、それぞれの市町村と教育委員会に権限とお金を渡して『自分でカリキュラムは考えてくれ』とやればいい」

 元気な人がいるなあ、と思った。こういう人が自由に声を挙げられる自民党は、捨てたもんじゃないなあ、とも思った。

 しかし、推薦人は最後まで集まらず、河野太郎は2006年の総裁選に立候補できなかった。彼は間違いなく自民党の中では異端児であり、そうした役割こそが存在意義だった。

長いものに巻かれなかった太郎

 若き日の河野太郎はとにかくチャレンジャーだった。強者に対する攻めの姿勢があった。

 2009年9月の総裁選に手を挙げた時は、派閥のボスを「腐ったリンゴ」と評した。総裁選前の両院議員総会で「推薦人を10人に下げよう!」と動議も出した。この動議はあっさり否決されたが、河野は「推薦人集めを邪魔した」として、町村信孝を名指しで批判した。

 私が総裁選直後のインタビューで名指しした理由を問うと、河野は胸を張って答えた。

「総裁選の最中に暗躍されても困るから、最初に一発ガツンと言う必要があったんです」

 この総裁選で河野は推薦人20人を集め、初めて「総裁候補」となった。しかし、結果は次のとおり。党員票では西村康稔に大きく差をつけたものの、国会議員票では西村に負けた。国会議員票、党員票ともにトップの得票を得た谷垣禎一にはダブルスコアで敗れた。

◎国会議員票
谷垣禎一120、河野太郎35、西村康稔43
◎党員票
谷垣180、河野109、西村11
◎合計
谷垣300、河野144、西村54

 総裁選では全国遊説が行われる。私も街頭での演説会を取材したが、聴衆の反応が一番良かったのはお世辞抜きに河野だった。彼自身も私の取材にこう答えている。

「街頭演説では『ここで投票箱を回したら勝つな』という感覚が常にあった」

「今まで河野太郎は『自民党の中の冥王星』と言われていて、突然なくなってもわからないような存在だった。今回の結果で自民党の太陽は谷垣さんになったけど、河野太郎は太陽の近くにいる大きな星になった」

 自民党の中ではメジャーになりつつも、外には大きな敵がいた。2009年8月30日の総選挙で政権交代を果たした民主党である。

 河野太郎は野党の立場ながら、民主党政権下で行われた事業仕分けを視察し、「正直うらやましい。もっと厳しくやって」とハッパをかけた。「民主党だけでできないなら、ぜひ私を入れてほしい。やる気は十分ある」とラブコールも送った。

 無駄な事業を絞ることは国民のためになる。まだまだ河野の軸足は弱い者の立場にあり、目は強い者に対して向いていた。

「#河野太郎ブロック解除祭り」の開催を期待する

 地位が人を作る、という言葉がある。河野を見ていると、どうしてもこの言葉が思い浮かぶ。

 河野は行革等担当相として初入閣した2015年10月7日を境に大きく変わった。それまでは超党派の議員連盟「原発ゼロの会」の共同代表として「脱原発」を主張してきたが、入閣した日に「脱原発」の主張が載ったホームページが「メンテナンス中」になった(河野は現在、「原発ゼロの会」を休会中)。

 就任会見で記者から脱原発の姿勢について問われると、苦しそうに答えた。

「言うべきところはしっかりと言うが、政府の一員である以上、決まったことについては誠実に実行する」

 私はこれを「河野太郎の『中の人』宣言」だと捉えている。中の人、とは権力の中の人。大臣というポストを得て権力に同化することで、河野は戦うべき相手を見失った。

 それでも人々は河野太郎に幻影を見ている。援軍もいないのに、たった1人で強者に立ち向かいつづけた姿は、負ければ負けるほど強烈な印象を残したのだ。

 河野には、人々の心の中に「戦う河野太郎の残像」が残っているうちに覚醒してほしい。もともと、政策を語ることは嫌いではないはずだ。人々の思いを背負う覚悟もあったはずだ。地べたから上を見上げていた時の思いもあるはずだ。

 いま、河野太郎が牙を剥くべきなのは一般の人たちではない。人々の声に耳を傾け、人々を味方につけ、もっと強く、大きい者に立ち向かうべきだ。多くの人が河野太郎に期待しているのは、そこではないか。大臣の椅子に座る「お飾り」なら他にいくらでもいる。

 すっかり忘れていたが、私は2010年にも河野太郎にインタビューしていた。その時、河野太郎はこう語っていた。

「内輪の議論じゃなくて国民の中に打って出なきゃダメ」

 河野太郎は国民をブロックしている場合ではない。私は一日も早い「#河野太郎ブロック解除祭り」の開催を期待している。「次の首相」が見えてくるのはその後だ。

(文中敬称略)

<#1 「ポスト安倍」レースに異変 安倍首相は3位転落、1位は石破茂、では2位は?>
<#2 安倍晋三内閣の支持率はまさかの「21.6%」――文春オンライン6月調査>
<#3「ポスト安倍」人気1位 “石破茂総理”誕生への条件は?>

(畠山 理仁)