「あなたの奥さんが好きです」。初対面の男から、妻を奪うと宣言された夫の悲し過ぎる夜
騙されたのは女か、それとも男か?
「恋」に落ちたのか、それとも「罠」にはまったのか?
資産200億の“恋を知らない資産家の令嬢”と、それまでに10億を奪いながらも“一度も訴えられたことがない、詐欺師の男”。
そんな二人が出会い、動き出した運命の歯車。
◆これまでのあらすじ
詐欺師の罠をかわしたかに見えた智だったが、仕事の大舞台でのトラブルを詐欺師に救われ、ついに男に心を許してしまう。そして夫との関係が悪化する中で、ついに詐欺師に投資の話を持ちかけられ、検討し始める。さらに、詐欺師は夫に接触。その心を揺さぶり始め…その間に智の投資への意志は固まっていき…。

夫:大輝「あなたは、妻が最も苦手とするタイプの人間だ」
「奥様と2人で飲んだのは、採石場のパーティの後です。もう遅かったこともあって、神崎家の宿泊施設にご招待いただいて」
小川さんの言葉に、俺はあの夜、バーテンダーの村松さんにまで着信を残した、あの時の自分の焦りを思い出してしまった。
やっと電話が通じた時、智は言った。
「ちょっと打ち上げ…というか、お礼をしていて」
「珍しいね?智が誰かと打ち上げなんて…誰?」
俺がそう聞くと智は、大輝が知らない人、と答えたのだけど、まさかその知らない人が自ら名乗り出てくるとは。
智だって、仕事相手と2人で飲む事くらいあるだろう。そう自分に言い聞かせてみても、胸のざわつきは消えず、この美しい男の事が、どうにも気に入らない。
田川弁護士事務所と契約したのは義父で、それは相続にまつわる案件のためだったはず。しかも義父からは、智にはまだ内緒に、と言われていた。なのになぜ、その事務所の一弁護士が智の弱さを見る程の近しい関係になっているのか?
「小川さんは随分、妻に信頼されているんですね。あそこは、家族の別荘同然の非常にプライベートな場所で、智が家族以外の人を連れて行ったのは初めてだと思います。妻とは、いつから、どんなお仕事を?」
苛立ちを感じ取られぬよう、嫌味に聞こえぬよう気をつけながら、ゆっくりと質問した。
すると小川さんは、グラスの中の丸氷を転がしていた指を止め、クスっと笑ってから顔をあげた。
「回りくどい聞き方はやめてもらえませんか?ご主人が気になるのは、僕の仕事の内容じゃなくて、僕と奥さんの間に、男女の関係があるかどうか、でしょう?あの夜、僕と奥さんの間に何があったか、知りたいんでしょう?」
親太郎が、夫を翻弄するために用意していた、予想外の言葉とは?
あっさりと聞かれ、呆気にとられる。
まるで、好きな食べ物は何ですか、という質問のような軽いノリ。俺の反応を楽しんでいるような、からかっているような、場に不似合いな屈託の無い笑顔に苛立ちが増す。
―無神経すぎるだろ。
そんな相手に、これ以上取り繕うことがバカらしく思えて、俺はため息で呼吸を整えてから言った。
「あなたは随分不躾だし…単刀直入がお好きなようなので、僕もそうさせてもらいますね」
嫌味を含ませた言葉にも、ただニコニコと頷くだけの小川さんに、質問を吐き出す。
「小川さんと妻が、何の、どんな仕事をしているのか、知りたいのは本当です。元々あなたの事務所は義父に雇われたはずだし、今の智に弁護士が必要な案件があるとは思えない。いつから、どのような仕事で妻と一緒にいるのか教えてください。
それから…さっきあなたは、僕が妻とあなたの男女関係を疑っている、とおっしゃいましたが、僕は妻があなたになびくとは思っていません。そもそも智は…私の妻は、不毛な関係を選ぶ人ではないし、あなたは妻が最も苦手とするタイプの男性だ。
ただ、あなたはとても妻に肩入れして…いや、肩入れしたフリなのかな。僕を挑発してる。その気持ちは何ですか?人のものが欲しくなる性癖?火遊びの相手を探したいなら、別で探してください」
興奮を抑えながら一気に言い切った。するとそれまで黙って聞いてた小川さんが、フゥ、と小さなため息をついて言った。
「…期待はずれで、つまらないな」
呟かれた言葉に耳を疑う。
「今、何と?」
「もっと面白くて、賢い人だと思ってたんですけどね…ご主人のこと。がっかりです。それでよく奥様のこと、何年も騙してこれましたね」
「…騙したって…」
―なぜ、それを?
動揺が口に出てしまった俺を気にする様子もなく、小川さんは続けた。
「自分の思いこみだけで世界を構築して、自分の理想の妻像を作り上げているあなたには、奥様が…智さんが、本当に何を望んでいるかなんて想像もできないんでしょうね。智さんが可愛そうだ」
―智が本当に何を望んでいるか…だと?
なんでそんなことを、初対面の男に言われなければならないのか。怒りのおかげで動揺が落ち着き、俺は小川さんを睨みつけ、唸るように言った。
「…智のことは俺が、誰よりも一番わかってますよ。それに人の妻を、気安く名前で呼ばないでもらえますか」
俺のその指摘には答えることなく、小川さんは、そういえば、と話題を変えた。
「さっき、智さんは僕みたいなタイプが最も苦手、っておっしゃいましたけど、僕はどんなタイプに見えているんでしょうか」
軽さが戻ったその声に、いちいち苛立ってしまう。苛立ちのまま、俺は言葉を選ばず言った。
「その、嫌味な程のルックスの良さに弁護士という肩書きがつけば、女性は放っておかないでしょう。よりどりみどりの遊び人。まあいかにも、モテるタイプですよね。チャラさを見せず、常にスマートに振る舞おうとするのがまた嫌味だ」
わかりやすく棘を込めたのに、小川さんは、まあ確かに、と平然と頷いた。

「女性に囲まれて生きてきたことは否定しません…でも」
「あなたの奥さんが好きです」親太郎のまさかの宣言に、夫は?

でも…、の先を待つ俺を焦らすように、小川さんは言葉を切ると、グッと一気にグラスの中の茶色い液体を飲み干し、少し乱れた前髪を何気なくかきあげた。
もったいぶったような仕草が勘に触り、彼から視線を外すように店内を見渡すと数組の女性客が、小川さんに声をかけたそうな素振りでそわそわと彼を見ていることに気がついた。それらの視線に一瞬気をとられた俺を、二度目の「でも」という声が引き戻した。
「人の事は言えないでしょう?ご主人も、結婚前は、随分と女性関係は華やかだったと聞きました」
「…は?」
思わず口からこぼれてしまった俺の声を、小川さんが笑った。その笑みが、さっきまでとは違う、艶のようなものをまとい、不覚にもゾクッとしてしまう。
―…この男、どこまで…何を、知ってるんだ。
―まさか…智から、聞いたのか?
そういえば。
『2人で飲んでる時に見せてくれる弱さ的なものとのギャップが…』
さっきこの男は、そんなことを言っていた。
誰にも相談できない俺とのことを、智がこの男に喋り、慰められたりしたのだろうか?
弱ったあの細い肩を、支えられたりしたのかもしれない…なら、智とこの男の関係は…?
ネガティブな想像がぐるぐると頭の中を周り始めた時、ちょっと失礼、と長い指先が俺の眼鏡に触れた。抵抗する間もなく、そのまま眼鏡を外され驚きで固まる俺に、男は淡々と言った。
「やっぱり、整った顔ですよね。一部の女子社員たちは気がついているみたいですよ、あなたのこと。隠れイケメン、だそうです。身長は175cmくらいですか?背中や肩のラインも整ってるし、体も密かに鍛えてますよね。細すぎず、鍛えすぎず。いいバランスだ」
「返してください」
男の手で弄ばれていた眼鏡を、乱暴に奪い返す。だが、男はそれを気にする様子もなく、ねえ神崎さん、と続けた。
「野暮ったい眼鏡をかけて、野暮ったい服を着て、野暮ったい男のふりをして。偽物の自分で、智さんを傷つけて。嘘をつくなら絶対にバレてはいけないし、騙すなら最後まで騙し切らないとダメなんですよ。ダサいな、と自分でも思いませんか?」
混乱する。なぜ、初対面の男が妻を語り、妻をかばい、俺を責めるのか。
「…何が目的なんですか?」
俺が何とか言葉を絞り出すと、男はじっとこちらを見たまま、はっきりと言った。
「僕は、智さんが好きなんです」
「…好きって…」
「1人の男として、彼女が好きです」
予想外の宣言をした男の瞳には熱がこもり、にこりともしない。
怒り狂う夫に、親太郎が畳み掛ける、さらなる罠

―ふざけるな。
俺は、怒りの感情のままに言葉を吐く。
「智は俺の妻で、俺のものだ。誰にも渡さない。彼女を手放すつもりはない」
すると、男はため息をついて言った。
「彼女を傷つけたのだから、その代償を受け入れなければならないとは思いませんか?」
「俺たち夫婦の問題だ。あなたには関係ない」
「関係ないかどうかは、智さんに決めてもらいましょう」
「智が決める?どういう意味だ」
俺のその質問には答えず、男は立ち上がり、椅子にかけていたジャケットを羽織った。突然会話が断たれて苛立つ俺を、微笑みながら見下ろしている。
「そろそろ失礼します。これ以上ここにいて、殴り合いの喧嘩とかに発展したら嫌でしょう、お互いに」
笑いながらそう言うと、支払いは僕がしておきます、と俺に背中を向け歩き出したが、数歩進んだところで立ち止まり、戻ってきた。
「ああ、そういえば。さっきの質問に答えてませんでしたね。神崎さんからの2つの質問。まず、智さんと僕が何の仕事で一緒にいるのか、でしたよね。
機密事項も多いので、詳細は申し上げられませんが、海外への寄付を考えられている智さんのお手伝いを始めたんです。でも意外だな。智さんのお父さん…社長と通じ合ってる神崎さんなら、とっくにご存知の案件だと思っていました」
―社長と通じ合っている…。
俺と義父の密約を知っているかのような言い回しに胸がざわついたが、素知らぬふりをして聞く。
「どういう意味ですか?」
「例のパーティで社長と同じテーブルでご一緒させて頂いたんですが、話が弾んで。それ以来、智さんの手助けをするように頼まれて動いているんです。娘は難しいところもあるけど、よろしく頼む、支えてやってくれ、と頭を下げられたので」
―義父が、この男に頭を下げた、だと。
義父が、智のことをこの男に頼むということは、この男の能力を認めたということだ。自分には、智の寄付の動きすら知らされていないというのに。
―あの義父までが…この男に。
悔しいのか、虚しいのか、焦りなのか分からない感情が渦巻く。
「あと、2つ目の質問は、僕の智さんへの感情が何なのか、でしたね。それはもう、さっき答えちゃいましたけど、僕は火遊びとかじゃなく、智さんが好きです。そして僕なら、彼女の本当の望みを叶えてあげられる。あなたと違ってね」
―智の、本当の望み?
そういえば、この男は、さっき。
『あなたは…智さんが、本当に何を望んでいるかなんて想像もできないんでしょうね。智さんが可愛そうだ』
と言った。
「神崎さん。あなたは、自分でももう気がついているのでは?自分が智さんの隣を歩く男としては役不足だ、ということを。足掻くのをやめたら楽になりますよ」
ついに智が投資を決断!?そして親太郎の元カノ富田は不可解な行動を…。
神崎智:「富田の瞳に黒い影が見えた」
―やっぱりこの財団にしよう。
小川さんが持ってきてくれた資料は膨大で、私は会社の小さなミーテイングルームを資料室として抑え、そこで仕事の合間を見つけては資料を読んだ。
資料に目を通し、気になることがあれば自分で調べる、を繰り返して1週間。全ての資料を読み込んでみてやはり、最初にピンときた財団が良いと思った。
小川さんは、視察もできると言っていたが、そうなればアフリカまで行くことになる。
スケジュールの調整は大変だが、どんな事業にどれくらいのお金がかかるものなのか。現場を見た方が、寄付の金額を決めやすい。
―それに…。
資料に載っている写真、キラキラとした瞳の子供たちや、夢に向かう若い起業家たちの弾けるような笑顔を見ていると、清々しい気持ちになる。ここに行けば、いい気分転換になる気がした。
アフリカの広大な大地に立てば、夫とのこれからのことに前向きになれるかもしれない。浅はかかもしれないけれど、そんな考えも浮かんだ。
私は携帯を取り出し、小川さんに電話をかけた。2コールで、もしもし、という声が聞こえた。

「神崎です」というと、分かってますよ、登録してありますから、と小川さんが笑った。その軽口を私も笑ってかわして、本題に入る。
「資料全て、読ませていただきました。それで、やはり最初に良いと思った団体にしようと思うのですが、視察ができるとおっしゃってましたよね?金額を決める前に現場を見ておくのも良いかと思って」
すると小川さんは、僕も視察はされた方がいいと思います、と言って、財団の代表や現地スタッフに連絡して視察可能な日時を確認する、とも言ってくれた。
「先方の日時が出たら、こちらのスケジュールを調整しましょう。神崎さんの方がお忙しいと思いますから、僕が神崎さんのスケジュールに合わせますよ。何パターンか、候補の日程を出して頂けると助かります」
そう言った小川さんに、私はありがとうございます、と言って電話を切った。切った後にふと、当たり前のように小川さんに同行してもらう話になっている事に気がついた。
―1人でも行ける、と伝えておこう。
後でメールを入れておけばいいかと思い、資料をまとめて部屋を出た。紙袋4袋にぎっしりつまった資料を台車に積んで転がしていると、神崎さん!と声をかけられた。富田だった。
「私が運びますよ。神崎さんが台車押すなんて…」
クスクスと笑う富田に甘え、運んでもらうことにした。台車を押す富田と並んで歩く。
「これ、あの日小川さんが持ってきてた資料ですよね。何の資料なんですか?」
何気なくそう聞かれ返答に困っていると、あ、すみません、聞いちゃいけない感じですね、と富田が慌てた。ごめんね、ちょっとまだ機密のことなの、と返すと、いえいえ不躾に聞いた私が悪いんです、と富田がさらに恐縮してしまった。
なんとなく、お互いに気まずくなり、黙ったままエレベーターの前に到着する。
―そういえば、この前も…。
エレベーターの前で、富田と小川さんを見送った。そんなことを思い出していると、富田が、あの、と声を出した。私が彼女を見ると、おずおず、と言った感じで続けた。
「ちょっと変な、質問してもいいでしょうか?仕事のことじゃないんですけど」
「どうぞ。答えられることなら、答えるわ」
明るく言ったつもりだったけれど、富田の顔は冴えない。そして。
「神崎さんと小川さんが最初に会ったのは…本当は、どこだったんでしょう?私が自分の恋人だと彼を紹介した時、お2人は本当は、初対面じゃなかったんじゃないかなって」
思いもよらぬ質問に、私は富田から目が離せなくなった。
じっとこちらを見つめている富田の瞳に、暗い影のようなものが見えたのは、気のせいだっただろうか?
▶NEXT:10月6日 日曜更新予定
富田の質問の意味…そして夫に「智が好きだ」と宣言した親太郎の狙いとは?
▶明日9月30日(月)は、人気連載『立場逆転』
〜高校卒業後15年。再会した2人の人生は180度違うものとなっていた…。女のプライドをかけた因縁のバトル、続きは明日の連載をお楽しみに!

