日本人でクルマ好きな偉人、というとやっぱりこの人、白洲次郎ではないでしょうか。日本一の伊達男とも言われた彼は、ルイ・ヴィトンのスーツケースを愛用し、ヘンリープールのスーツを着、ジェームスロックの帽子をかぶるダンディズム。そんな白洲次郎が愛したクルマはなんだったのでしょうか。


あの「白洲次郎」が、愛車を手放した理由とは?



皆さんは「白洲次郎」と聞いたとき、どんなイメージがありますか?
白州商店の御曹司で、イギリス・ケンブリッジ大学を卒業し、180cmの長身。
日本人離れした甘いマスクで、あのマッカーサーを相手にしても一歩も引かない男気もある……。
「従順ならざる唯一の日本人」と言われ、今でも多くの男性の憧れの人物となっています。

そんな白洲次郎が愛したもののひとつが「クルマ」。
彼は生涯、いろいろなクルマに乗りました。
神戸にいた頃にはアメリカの高級車「ペイジ・グレンブルック」。
イギリス留学時には「ベントレー」や「ブガッティ」。
こうしたクルマをサーキットに持ち込み、休日にはレース三昧。
友人たちには「オイリー・ボーイ」と呼ばれるほど、クルマを愛していました。

そんな彼が晩年に選んだクルマが「ポルシェ911」。
70歳を過ぎてからもポルシェを乗りまわし、ゴルフ場などに現れては注目を集めていました。
まさに愛車だったこの911ですが、白洲次郎は途中で、このクルマをある会社に寄贈してしまっているのです。
その寄贈先は、トヨタ。

トヨタは当時、日本車で初めて時速200kmの壁を越えたといわれる「初代ソアラ」を発売。
白洲次郎はこれを購入、その出来に関して直接社長に手紙を書いたそうです。
「ハンドルの握りが太すぎる」「回転半径が大きすぎる」「パワーステアリングはもっと強力に」……。自分で改造もする彼だからこそのアドバイス。

当時の担当者に「かけがえのないクルマを目指せ」と伝えたそうです。
そしてなんと、白洲次郎は自分の愛車であるポルシェ911をトヨタに寄贈。
クルマづくりの参考にせよと、あげてしまったのでした。

そうした彼のアドバイスを受けて完成したのが「二代目ソアラ」。
ですが、その完成を待たず、白洲次郎は83歳で他界してしまいます。
開発担当者は間に合わなかった無念で涙を流したとか。
当時のトヨタ社長と息子である現社長、そして白洲次郎の奥さんである正子夫人は、2代目ソアラに乗りお墓参りに行ったそうです。

日本一の伊達男、と言われたこともある白洲次郎。
クルマへの愛情ひとつをみても、彼のクールな生き様を感じることができます。

文/岡本清香

TOKYO FM「シンクロのシティ」にて毎日お送りしているコーナー「トウキョウハナコマチ」。江戸から現代まで、東京の土地の歴史にまつわる数々のエピソードをご紹介しています。今回の読み物は「白洲次郎が愛車を手放した理由は?」として、7月13日に放送しました。

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