田舎のネズミは、「東京に生まれていたら、もっと華やかな人生になったはずだ」とボヤく。街のネズミは、「こんなゴミゴミした所じゃなくて、大自然の中でのんびり暮らしたかった」と愚痴る。

東京に生まれることは、いいことなのか、悪いことなのか。東京ネイティブたちが、生まれ育った東京を振り返る。

第二回は、葛飾区生まれの武井 壮さんが東京を語る。


葛飾区亀有で、都会の獣の進化が始まる

小学3年生だった武井少年は、毎日、葛飾の通学路を全速力でダッシュしていた。手にはストップウォッチを握り、家から学校までの約500mのタイムを測って、少しでも速く走ることを目指していた。もっと確かな力が欲しかったからだ。



信号がない下町の路地は全速力で走るのにちょうどよく、街の人たちも“今日も武井さんちの子が”と、当たり前のように見守っていた。

武井 壮さんは、子供の頃からずっと全力で走り続けている。

東京・葛飾生まれの葛飾育ち。両親の離婚やその後家庭の事情で小4の頃からは2歳年上の兄とふたり暮らし。自分たちでごはんを作り家事をこなし、中高一貫の修徳学園では学年トップの成績をキープ。特待生になって学費の全額免除を受けていた。

「その頃はやりたいことをやるというより、やらなきゃいけないことをやっていました。勉強をしないと学校に行けなかったし、自分に力がないと毎日暮らしていけなかったから、必死に道を探していました」

そう話す様子に悲壮感はない。両親がいなくても、葛飾という下町が若い日の武井さんを支えてくれたからだ。



「街全体に親戚がいるようで、孤独を感じずにいられた。街に育てられている感覚でした。学校の先生が家に泊めてくれたり、ごはんを食べさせてくれたりもしました。

僕がどういう環境かみんな知っていたから、街でもいろんな大人が“壮くん元気? これ持っていきな”と声をかけてくれて。見守られているという安心感があったから、道を間違えることがなかったです」

いまはひとり暮らしをする父に会うため、現在も葛飾区に足を運ぶ。慣れ親しんだ葛飾のことを、武井さんはよく茶化す。愛情がこもっているから、それがまた面白い。

「スラム感ハンパじゃない!」、「葛飾はWi-Fiとんでないし」、「リーズナブルに『いきなりステーキ』の店ができても、葛飾の人には高くてビビっちゃうから」。

そう随所で言いつつも、過ごしやすさも強調する。


武井さんの思い出、おもしろ下町話はさらに続きます!


実際に武井さんと商店街を歩く。売られている焼きそばなどの惣菜は、都心の半額ほど。それでいて見た目にも美味しそうで、いろんないい匂いが歩くごとに漂ってくる。

インコ屋の前を通ったあとは、こんなエピソードも教えてくれた。

「ここのインコはね、すごい粘ったらくれますから(笑)。昔、“インコかわいいな〜”って30分眺めていたら、店のおっちゃんが“いいよ、一羽もってきな!”ってくれたんですよ」



そんな思い出話も下町的だ。

葛飾区亀有は、武井さんにとって人生を走り出した街と語る。

「環境がよくなくて、スネていてもなんにもプラスにならない。よくないからこそ“よっしゃ、やってやろう!”と思っていました。それで、どの生徒よりも知識を手に入れて、身体能力も手に入れました。大学も陸上の成績で奨学金がもらえたり、ふたつ目の大学もタダで行って教員免許も2つとらせてもらいました。この街で育てた力が役立った、ここ亀有には最高に感謝しています」

街の人たちはスターとなった武井さんに、応援の声をかける。

「いつもテレビ見てるよ、よく頑張っているね」(腰の曲がったおばあさん)

「ありがとう。また見てください」(武井さん)

「僕、修徳の後輩なんすよ、今度髪切りに来てください!」(美容室の若者)

「この髪、難しいんだよ。シャンプーしにくるわ」(武井さん)

と、亀有のコミュニケーションはじつに気さく。大好物という鰻屋『川亀』では、昔からよく知る店主に挨拶をした。



夜中の浅草寺を、全速力でダッシュしたころ

武井さんが通ると道行く人が振り返るけれど、誰もが知る有名人となったのはここ数年のこと。

武井さんは現在43歳。それまでの30代は何をしていたかというと……、やはり全力ダッシュをしていた。



芸能界で成功することを目指し、月に5日働き、残りの25日は自分の欲しい能力を手に入れるため、いろいろな人と会ってトークを磨いたり、陸上トレーニングをする日々。それらがいつか実を結ぶと思い続けた。

トレーニング場所は陸上競技場などではなく、浅草・浅草寺の仲見世通りや西麻布の坂。


浅草寺でトレーニング!? さらに武井さんが仰天エピソードを暴露!


「当時はまだ百獣の王とは公言してなかったけれど、僕は地球に住んでいる一匹の動物なんだというイメージがありました。自分の武器はこのカラダで、そこに人がいようが何時だろうが、どこでも自分の身体能力を鍛えるための舞台にしていました。

すると次第に“武井くんて凄いよね、浅草寺でダッシュしてるし、このまえは西麻布でもダッシュしていた。なんで?”とまわりから興味をもってもらえる。要は僕というキャラクターを認知してもらえる活動でもあったんです」

その頃の8年間は家を持たず、友達の家やサウナで寝泊まりしていた。子供の頃から馴染みのあった浅草寺は、長い直線の石畳で深夜もライトアップされていて、走るには絶好の場所だった。

「浅草寺ではよく深夜から朝にかけて走っていました。そのゴールの先にはみんなが願いごとを祈る浅草寺があって、願いを叶えたいというエネルギーを感じられた。

後に世界マスターズ陸上で金メダルを獲る下地ともなりました。ここで走っていた頃は、周りに“バカだな”と言われながらも、自分の武器はこれだと思って、毎日一日も諦めずに磨いていたんです。原点に帰れる、思い出の場所です」


『明治神宮外苑 軟式球場』で、笑いのトレーニングを積む!

前出の武井さんの兄は、中学卒業後は俳優を目指しカバン持ちをしていた。しかし、志半ばで癌に侵され24歳という若さで亡くなってしまった。

その兄の影響もあり、30歳まではスポーツを頑張って、30歳を過ぎたら芸能に関われるようになれたらいいなと思っていた。ちょうどその頃、あるお笑い芸人と知り合い、その彼が所属する芸能人の野球チームに入る。



武井さんは、『明治神宮外苑 軟式球場』にかなりの思い入れがあるという。

すでに超人的な身体能力を身につけていて、かつ中学の時は野球部。ホームランは山ほど打つし、とにかくスイングスピードが速すぎて素振りをするだけでまわりが盛り上がった。

さらに家はなくて、毎晩、西麻布や浅草寺でトレーニングをしている。芸人たちから「なんだ、あの新人は!?」と怪物扱いされた。

しかし武井さんからしてみれば、『明治神宮外苑 軟式球場』で真剣にプレーするお笑い芸人たちがとびきり刺激的だった。

「みんなバッターボックスに入ったときの芸をもっていて、そこで試合中に相手チームを笑わせるんです。例えば“ウェ〜イ!行くぞ〜!”って10回くらい大きく素振りをするんだけど、いざ球がくると全部見逃し(笑)。みんなが“ふらねえのかよ!”と大爆笑するわけです。



しかも、笑いをとれるだけじゃなくて強くて、スポーツとエンターテイメントが融合しているチームでした。

今まで自分はスポーツに打ち込み、ただ誰にも負けたくないと思っていました。でも、人を楽しませたいとか人を笑顔にすることは考えたこともなかった。

そのときはお喋りも上手じゃない。でも芸人さんたちのような話術があったら、もっと僕は進化すると思い始めました。そこから、人を楽しませる人たちと一緒に時間を過ごすようになったんです」


人を笑顔にする魔法使いに溢れていた、夜の西麻布

野球チームのメンバーのひとりが西麻布の飲食店で働いていて、深夜はその店に行くのが定番となっていた。西麻布は、武井さんにとって謂わばトークのトレーニング場だった。

「いつか僕も魔法使いのひとりになりたい、とお喋りを学んでいました。芸人さんのお喋りをレコーダーに録音して聞き返したりして。話の間(ま)から言葉のチョイスまですべてが勉強になりましたね。

自分だけが欲しい欲しいと騒いでいるうちは何も手に入らないけれど、人が笑顔で楽しんでくれたらいいなと考えるようになったころから、どんどん欲しいものが手に入るようになると実感しました」



その頃、西麻布の店で牛乳を飲みながら顎を鍛えるため犬用のガムを噛んでいた武井さんを発掘したのが、ピエール瀧さんだ。

武井さんは犬用ガムを噛んでいたかと思いきや、西麻布の坂道を全力でダッシュしに行く。その様子は言葉で聞くだけでも、異質でユーモラスで、存在自体がエンターテインメント。

「君は面白いね、テレビ出なきゃだめだよ」と言われ、その直後にピエール瀧さんの番組からオファーがあり、すぐさま出演した。

西麻布は武井さん曰く“人を笑顔にできる魔法使いみたいな人がいっぱいいる場所”だという。


やっぱり百獣の王はスゴい!家族に縁がなく育った武井さんが僕たちに伝えたいこととは?


武井 壮にとって、東京とは?

亀有、浅草、外苑、西麻布。色んな街での時間を経て、いまのポジションを築き、本人は「東京じゃなきゃ、武井 壮は出来上がらなかった」という。

「東京生まれでよかったのは、どんなことでも仕事になって、いろんな人が自分を見てくれているということ。人口の少ない街だったら、こうなってはいなかったはず。多様な見方をされるからこそ、自分の存在が感じられる。バカなことやっていても“あいつ、面白いな”と言ってもらえたり。そんななかで自分のアイデンティティを確認して、人に見られることが常々僕を支えてくれた。

人はやっぱりモチベーションですよ。僕は家族に縁がなく育って、人に褒められたいという気持ちが本能的にありました。

いまではいろんな人に“武井壮すごい!”と言ってもらえる。その一番ほしいものを手に入れて、注目される環境も手に入れて、だからモチベーションも上がる。グルッと一周、自分の欲求が達成できる仕事なんです。

それも、すべてのエンターテインメントや、さまざまな文化が揃っていて、世界中の人が集る“東京”という街で育ったからこそ実現できたこと。世界中を見てもこんなにも素晴らしい街はないですよ」



武井さんは、若い人たちによく言うことがある。

「東京にいるということは、何でもあるということ。パカっと開けたら世界の宝石が入った宝箱みたいな場所です。しかもまだ誰のものでもない宝石だから、誰もが自由に手にしていい。

なのに、手に取らない人が多すぎる。それは、その宝石を手にいれるには1日のうちほんの少しの時間でも、いままでの自分を成長させる時間を過ごしなさいというひとつのルールがあるから。でも、それを1分でもしない人がほとんどで、すぐに面倒くさくて箱を閉じてしまう。宝石をポケットに入れずに。

なんでもいいんですよ。1日に楽しいと思う本を1冊読んでもいいし、知らないことをひとつ調べるだけでもいいし、いまの自分にない何かをプラスするだけ。お父さんお母さんに“ありがとう”と言って笑顔にするだけでもいい。

なりたい自分があるなら、24時間のうちで全力を出す時間を少しでも作ること。僕の場合は、それが走ることだった。そういう時間を増やしたら、絶対に手に入るものはありますよ」

多彩の顔ぶれの芸能界のなかでも、武井さんのようなキャラクターはいない。武井さんは「ライバルはふなっしーかな」と言い、それは的を得ている。

大手の芸能事務所には所属していない武井さんは、話を聞いているとベンチャー企業の社長のよう。マーケッターとして、競合のない武井 壮というキャラクターを全力で作りあげた。



最後に、高校生の頃にときどき行っていたという亀有にある弁当屋で「ご馳走しますよ、地元だからさ」とスタッフ全員分の弁当を購入してくれた。

弁当屋の通りには、本人が住んでいた頃にはなかったスカイツリーがそびえ立っている。



武井さんが注文したのは、昔から一番大好きなからあげ弁当。大盛すぎて弁当の蓋は閉まらずぱっくり開いている。それを「やっぱり美味しい、変わってないね」と言いながら、あっという間にひと粒残さずたいらげた。



■プロフィール
武井 壮(たけい・そう)
百獣の王、タレント、マルチアスリート。アスリートチーム「EARTHLETES」代表。東京都葛飾区亀有出身。野球、ゴルフ、ボクシング、柔道に取り組み、神戸学院大学時代から始めた陸上では、十種競技元日本チャンピオンとなる。十種競技の100mのベスト10秒54は今も同競技においての日本最高記録。持ちネタである“動物の倒し方”は、アメリカの森の中で野生の鹿に遭遇したことがきっかけで誕生したもの。