購買のソーシャル化
ルールが設定されたゲームとは異なって、「購買」という行動は、好きなように序列を作れる。
新潮文庫が好きな人と、太宰治が好きな人と、あるいは無頼派の文学が好きな人とはそれぞれ異なるけれど、すべての人が同じ本を買う可能性は高い。同じ本を買ったところで、それぞれの読者が興味をもつランキングは異なるだろうし、「太宰治ランキング」で上位を狙う誰かが、たとえば「新潮文庫ランキング」の序列で下位に甘んじても、それを悔しいとは思わないだろうし、そもそもそんなランキングに興味を持たたい。
「勝つ」のは案外面倒で、負ければそれだけ悔しい思いをすることになる。それを楽しめる人も多いのだろうけれど、お金を支払うだけでランキングから称号を手に入れることができ、抜かれたら買い返せばいいのなら、それを「つまらない」と思う人がいる一方で、案外多くの人が「それはいいね! 」と評価するのではないかと思う。
●称号の授与権を獲得した会社が購買を総取りする
「グイン・サーガ制覇者」や「ペリー・ローダン制覇者」、お金の掛かりそうなところで「国書刊行会全制覇」みたいな称号があってもいいけれど、称号は権威からもらわないと喜びが減じてしまう。
作家本人や出版社には、そうした権威になれる可能性があるけれど、流通業者はたぶん、そうした権威の獲得に失敗した会社は、そのうち淘汰されてしまうのではないかと思う。
恐らくはあらゆるものがソーシャル化する。それを下らないと思う人と、購買を通じて得られる品物よりも、むしろそれを通じて手に入る称号に価値を見出す人とに、ユーザーは大別されることになる。お互いが分かり合うことはないだろうけれど、後者はこれから伸びる余地が無限にあって、一方で前者の総数は、今がピークでこれからむしろ減っていく。「便利」で購買を伸ばせるのは前者の側だけれど、後者に品物を届けるためには、単なる便利ではまだ足りない。
課金世界と会話世界との橋渡しに成功した会社が覇権を握れる。Amazonは一番近い場所にいるけれど、国内の流通はどうなんだろう?
執筆: この記事はmedtoolzさんのブログ『レジデント初期研修用資料』からご寄稿いただきました。
