インタビュー:中山功太「幼い頃に誘拐されて」
 「R−1ぐらんぷり2009」王者の中山功太が、初のネタDVD「オオサカファンタスティックベストコンサート」をリリースした。R−1優勝を決めたネタなど、バラエティ豊かな10本のネタを収録。中山が「名刺代わり」というように、中山の笑いを知るための“入門編”になっている。このほど、本作品のプロモーションで吉本興業東京本社に現れた“ピン芸人日本一”の中山に、昨今のモテる条件の一つ、「面白い人」になるための方法を聞いてみた。

――今回のDVDのセールスポイントは?

中山功太(以降、中山):「R−1ぐらんぷり」で優勝したネタや、「対義語」「DJモンブラン」など、幅広く受け入れられるだろうネタが入ってまして。一発目に出すDVDとしては、これがベストかなという感じでネタを選びました。10本なので、選ぶのは難しかったですけど、「バラエティ豊かに」というのは意識しました。名刺代わりに見ていただけたらと思います。

――そもそも、中山さんがお笑いを志したキッカケは?

中山:小学2年生の時に、テレビで吉本新喜劇を見まして、虜になりました。この世にこんなものがあるのかと思いました。お笑いを初めて見たのが新喜劇でした。それから、ですね。

――小学2年生で、お笑いの道に進もうと決めていた?

中山:早いとは言われますね。その前に、幼い頃に誘拐されて…。

――え?

中山:実家がお金持ちやったんで、誘拐をされかけたんですよ。玄関で、チャイムを鳴らした瞬間に、マスクとサングラスの男に抱えられて。それからは、過保護に育てられました。外に出させてもらえなかったので、テレビっ子になりました。それから、運動神経がすごく悪いです。

――お金持ちということですが、どんな家に住んでいたんですか?

中山:間取りが、「27LDKKK」っていうんですけど。

――KKKですか!?

中山:もう、無くなってしまったんですけどね。父親の会社が倒産してしまいまして。で、中国に行ってまた社長になったんですけど。

――中国で家を取り戻そうと頑張っていらっしゃる。

中山:いや、どうなんですかね。中国で、新しい家族でも作ろうかなという感じだと思うんですけど。ただ、母親が一人暮らしなので、かわいそうですけどね。

――ご兄弟は?

中山:兄がいます。父親のソファーベットの製造販売の会社に入っていたんですけど、倒産して職を失いまして、いまインターネットでソファーベットの販売をしています。自分の親と兄ながら思うんですけど、「どっちかにしたらいいのにな」って思うんですよね。ソファーベットって、それを作ったおじいちゃんやおやじのおかげで、今の僕があるんですけど、あんなに使い勝手の悪いものは無いと思うんです。「帯に短し、たすきに長し」だと思うんですよ。ベッドにしたときに、ソファーのゴリゴリが当たりますし、ソファーにしたときは、背もたれが短いんですよね。ほんとにアカンと思います。

――その話を、お父さんにしたことはありますか?

中山:あります。

――なんて言ってました?

中山:最初、笑っていたんですけど、途中から怒り出しましたね。

――では、家業を継ぎたいとは思わなかったんですね。

中山:親父は、「お前の方が好きや」ってよく言っていたので、継いで欲しかったみたいなんですけど、僕はあんまりでしたね。お笑いをやるって言ったときに、親父がお笑い嫌いやったので、反対されるかなと思ったんですけど、ほったらかしにされましたね。好きにしろっていう。