長年の恋人を「おまえに譲る」と言って、兄は一週間後に亡くなった。通夜に現れた彼女が僕に告げたこと
【前後編の前編/後編を読む】25年ぶりに「忘れられない人」を探し出したら…52歳夫を待っていた“変わり果てた彼女”と隠され続けていた秘密
世の中、さまざまな調査やアンケートがおこなわれている。既婚者に対して「忘れられない恋人がいるか」と問いかけた調査は多くないし、「今すぐ会いたい」ほど忘れられないのか、いい思い出として忘れられないのか、その状況もわからない。それでも女性の4割、男性の5割が「いる」と答えている調査結果がある。割り引いて考えても、2、3割の人たちが「忘れられない人がいる」のではないだろうか。
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ただ、実際に探し出そうとしたり会おうとしたりする人はぐっと減るだろう。人は今の安全地帯を選ぶものだから。一方で、少数ではあっても探し出そうと行動する人もいるはずだ。

「はい、探し出しました。どうしても会いたかった。もう一度、何か関係をもちたかった」
小泉泰典さん(52歳・仮名=以下同)は白い歯を見せてニコッと笑った。仲間内の一部では「女たらし」と異名を持つ人らしいが、確かに人たらしの一面がすでに見える。
「50歳になったとき、人生を見直したいと思っちゃったんですよ。若いころはけっこうえげつないこともしたし、女性を傷つけてきたことにも思いが至って。特に忘れられない彼女には、なんとしてももう一度会いたかった」
「奇妙な人生」
泰典さん本人が言うには、「奇妙な人生を送ってきた」そうだ。東京近郊のサラリーマン家庭に次男として生まれたが、小学校に上がるとき、子どものいない父方の叔父夫婦の養子となった。ある日、「おじさんの家の子になる?」と母親に聞かれ、なにも考えずに「うん」と言った。父から嫌われているような気がしていたからだった。
「そのまま本当に叔父の養子となるとは思いませんでしたが、叔父夫婦は僕を大事にしてくれたので、なんとなくなじんでしまいました。もともと親戚同士、行き来していたのでそれほど不安はなかった。ただ、叔父夫婦にはその後、男の子と女の子の双子が生まれ、僕はさらに別の親戚の家に預けられました」
籍は叔父夫婦の養子のままだったが、実際にはもう少し遠い親戚の家で生活していた。どうして親元に戻れなかったのかはその後もわからないままだ。
「本当の両親にとって、僕は邪魔な存在だったんでしょうかね。あるいは母と叔父の子なのかもしれない。いつか真相をと思っていましたが、うちの親は僕の高校時代に、叔父夫婦もかなり早くに亡くなってしまったので、もうわかりようがありません。ただ、子どものころから理不尽なものをそのまま受け入れるという性格はできあがっていたような気がします」
薄かった家族の縁
誰がどうやってお金を出したのかわからないが、彼は中学から私立の名門校に通っていた。それ以降、受験はしないまま大学を卒業することになる。彼が預けられた遠い親戚は、それなりに資産があったようだ。
「あんまり褒められた商売はしていなかったらしいけど、戦後すぐからいろいろ儲けていたらしいんです。高校時代から僕はひとりで暮らせと言われてそうしていたので、実はその親戚のこともよくわからない。大学を卒業するころには、その親戚も行方不明になっていました」
家族との縁が薄かったわけだが、それを嘆いたこともないと彼は言う。家族に期待しないだけよかったのではないかとすら考えているそうだ。
「親にかわいがられて、その一方で期待されて育った兄は、結局、30歳で亡くなりました。自死みたいなものだと僕は思ってる。小学校から私立に入って、親にはもっともっと上へ行けと尻を叩かれてがんばった。たぶん、そんなに才能はないのに無理に走らされた馬みたいなもので、国立大学を出て有名大企業に入社して、それでもさらに走り続けてプツッと切れちゃったんでしょうね。生きる気力をなくしたんだと思う」
5歳違いの泰典さんは、生き生きと動き回っていた当時の兄を覚えている。泰典さんが就職したばかりのころ、たまには一緒に飲もうと誘われた。指定された店は、いかにも高そうなしゃれた小料理屋だった。若くしてこんな店を知っていて、おそらく仕事で利用もしているのだろう、兄は出世するタイプなんだろうなとぼんやり思った記憶がある。
「兄はエネルギッシュに仕事の話をしていましたね。『大企業で自分の居場所を作ったら、仕事は楽しいぞ』と楽しそうでした。中小企業にいる僕の気持ちなど考えもしなかったんでしょう」
おまえがアプローチしてつきあえ
ただ、兄は自慢するために弟を呼び出したわけではなかった。兄は自分がつきあっている女性を弟に“譲る”と言いたかったのだ。
「その彼女は僕より2歳年上で、同じ中学だったんです。中学に入ったとき、僕は彼女に一目惚れして、同じバレーボール部に入ったくらい。先輩はすぐ卒業していきましたが、地元の公立高校に通っていたし、僕の実家と彼女の家も近かった。兄は僕が憧れているのを知って、高校時代に彼女にアプローチし、ふたりはつきあうようになったんです」
その後、兄と彼女はくっついたり離れたりを繰り返しながらも別れずにいた。言葉の端々から、兄にとって彼女は「都合のいい女」だということもわかった。このままずるずるつきあっていてもしかたがない、おまえがアプローチしてつきあえと兄は言った。
「なんだそれと思いました。彼女が邪魔になったんだろ、彼女の気持ちはどうなんだよと兄を責めました。兄は思い出してもゾッとするような暗い目をして、『バカだよ、あいつは』って」
兄の通夜で…
もちろん、泰典さんにそんなつもりはなかった。不快になってそのまま店を出た。兄が死んだと連絡がきたのは、それから1週間後だった。死因は急性心不全だったが、泰典さんは「急に生きる気力をなくして、自ら勝手に心臓が止まったのではないか」と理屈に合わないことを感じていた。
「兄が死んでから、いろいろなことがわかりました。確かに兄の勤務先は有名な大企業だったけど、兄は決して出世頭ではなかった。大風呂敷を広げてばかりいて、実際には仕事のできない人間だと思われていたようです。兄自身はそれをわかっていたんでしょう。僕の前でもやけに仕事の成果を吹聴していたけど、兄自身の業績ではなかった。しかも兄は次の人事で閑職に追いやられる可能性が高かったようです。エリート意識の強い兄には耐えられなかったでしょうね」
兄の通夜はさみしいものだった。親は亡くなっており、親戚もほとんどなく、職場の人も少なかった。学生時代の友人が数名来たが、すぐに帰っていった。誰も悼んでいない通夜に、兄自身の魂もさっさと天に昇っていって、未練ひとつないようにさえ思えた。ところがそろそろ弔問客も打ち止めだと思ったころ、あのとき話題になった兄の長年の恋人である美都里さんがやってきた。青ざめた肌がやけにきれいだったと泰典さんは言う。
「ふらふらしていましたね。彼女がいちばん悼んでくれているのだろうと思いました。焼香をすませると、彼女は僕に向かって『こういう結末か、という感じだわ』とつぶやきました。兄には、弟と一緒になってくれと言われていたと。『あなたとつきあえばよかった。私はあなたのほうが好きだったのに』とも。ただ、急に兄に死なれて、彼女も正しい判断ができない状態だったんだと思います。結局、僕はなにも言えなかった」
主のいない実家で…
その夜、兄がひとりで暮らしていた実家に、泰典さんは足を踏み入れてみようと思っていた。美都里さんが「私も行く」と言った。主のいない実家は冷え冷えとしていた。美都里さんが、「先週もここに来たのよ、私。夜中の2時に」とつぶやく。「でも、彼は自分の欲求だけ果たして、もういい、帰ってって。そういうのもときどきあることだから気にしてなかったけど」と涙声になった。
泰典さんが腕を支えると、美都里さんの体がぐらりと揺れてしなだれかかってきた。兄を悼みつつ、見返してやりたい気持ちもあって、彼は美都里さんの喪服を脱がせた。
翌日の葬儀に彼女は来なかった。そして泰典さんは、兄のことは深く考えないようにしながら仕事に精進した。兄が死んだ30歳になる前に、自分の人生の道筋をつけたいという思いにとらわれ、28歳のときに同じ会社の同期から紹介された女性と結婚した。
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記事後編では、50歳になった彼が再び美都里さんを探し始め、長く封じてきた思いと向き合う姿を紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部
