1988年、広告撮影をする中山美穂さん(左)。1986年「FNS歌謡祭」で共演した中森明菜

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 2024年12月、入浴中の不慮の事故によって中山美穂さんが亡くなって1年半──。NEWSポストセブンの取材で、歌手デビューした6月21日を前に、彼女がデビュー前に収録した13歳のときの「幻のデモテープ」が見つかっていたことがわかった。

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 NEWSポストセブン取材班が40年以上前の古いカセットテープを再生すると、流れてきたのは、あどけなさが残る少女の歌声。1分35秒に収められていたのは、中森明菜(60)の名曲『スローモーション』を歌う美穂さんの貴重な歌声だった。

 1985年、ドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)で一躍、スターとなった美穂さん。飛ぶ鳥を落とす勢いで同年6月21日には『「C」』で念願の歌手デビューを果たした。14歳とは思えない大人っぽさで、第27回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。その後『ツイてるねノッてるね』『WAKU WAKUさせて』『世界中の誰よりきっと』など、数多くのヒット曲をリリースした美穂さんが憧れを抱いていたのは、5つ年上で1982年にデビューした明菜だった。

 美穂さんをスカウトした「ビッグアップル」創業社長の山中則男氏が当時を振り返る。

「このデモテープは、1984年の2月頃に録ったものだと思います。そのときはまだ『毎度おさわがせします』に出演する前、まだ彼女が無名だったころで、オーディションも落ちてばかりでした。美穂は歌手になることが夢だったので、レコード会社の宣伝担当だった寺林晁さん(享年77)に相談したんです。

 寺林さんは"中森明菜の育ての親"として知られる方で、スタジオで美穂の音源を録ってくれたんです。このデモテープの音声はこのときのものです。最近になり、関係者の方が大切に保管してくれていたカセットが見つかったんです」

 美穂さんがデモテープ用に選んだのは明菜のデビュー曲『スローモーション』のワンコーラスだった。美穂さんと明菜の関係を山中氏が明かす。

「彼女が住んでいた部屋には、明菜さんのポスターだらけでした。大ファンだったのです。美穂は小金井出身で明菜さんは清瀬市出身。実家が近く、清純派ではない"ツッパリ"のイメージに親近感を持っていたようです。

 当時『ワーナー』は明菜さんがいたレコード会社で、挨拶に行ったときにアルバムをたくさんもらってとても喜んでいました。番組で共演して握手した際は、子どもに戻ったかのように笑顔でしたね」

 しかし、憧れの先輩と同じレコード会社からデビューすることは叶わなかった。

「一番の壁は『ワーナー』には"中森明菜"という偉大な存在がいたことでした。寺林さんからも『明菜と同じ路線では難しい』と、ハッキリ言われました。

『(美穂のことを思ったら)別のレコード会社を選んだほうがいい』と、親切にアドバイスをいただきました。そのデモテープを持ち込んだ別のレコード会社でのデビューが決まり、彼女はのちに数々のヒット曲をリリースすることになったのです」(山中氏)

 美穂さんのデモテープは長らく関係者が大切に保管していて、美穂さんの死後、山中氏のもとに戻って来たという。改めて、40年以上ぶりに美穂さんの歌声を聞いた思いを涙ながらに振り返った。

「やっぱり美穂の声には可愛さがあります。とくにデビュー前の洗練されていないところにも魅力を感じます。歌をやらせてみようと思ったのは、美穂たちとカラオケに行ったときに、各段に上手というわけではないんですけど、人を惹きつける声をしているなと、感じたことからです。

 レッスンも受ける前、まだまだこの子の歌は伸びると思いました。デビューからもう41年経ちましたか……、私には昨日のことのように感じます」

 1本のデモテープは、美穂さんのその後の人生を大きく変えることとなっていった。