【駒田徳広 我が道27】父の日に家族の前で屈辱的な交代 怒りの職場放棄も3人からの電話で謝罪
13年間在籍した巨人で1027安打。横浜(現DeNA)に移籍して6年、毎年コンスタントに150本前後の安打を積み重ね、通算2000安打まであと73本として2000年(平12)を迎えた。
開幕から調子が上がらず、打率は2割3分台に低迷。6月18日の広島戦(横浜)だった。1―1で迎えた6回2死一、二塁。打席に向かおうとしたら、背中越しに「代打・中根(仁)」を告げられた。
人生の中でこんな怒れるのかというほどの怒りがこみ上げてきた。ベンチ前でヘルメットとバットを叩きつけ、ロッカーでユニホームを脱いでゴミ箱に捨てた。
父の日。スタンドには妻の美佳子と長男・遊大、長女・真子が来ていて、フジテレビのアナウンサー、大橋マキさんの密着取材を受けていた。そこまで2打席連続三振とはいえ、家族の前で屈辱的な交代。激しい怒りには伏線があった。
チームは7連敗中。めったにミーティングをやらない監督の権藤博さんが試合前、珍しく選手を集めた。
「いろんなこと言ってるやつがいるけどさあ。“みんなで力を合わせてやろう”とか。野球なんていうのは、打つヤツが打って、抑えるヤツが抑えたら勝てるんだ。くだらんことを言ってるヤツがいるんだよ」
明らかに私のことを指していた。日本一に輝いた98年から一転、V2が難しくなった前年9月のミーティング。選手会長の石井琢朗(現巨人2軍監督)に振られて「チームがバラバラになってきている。同じ釜の飯を食うという雰囲気を持ってやっていきましょう」と話した。それ以来、権藤さんとは口を利いていなかった。
そんな流れの中での交代。試合中に球場を離れようとして、ヘッドコーチの山下大輔さんに「お前、2000本があるだろ」と言われた。あと30本に迫った2000安打達成のために何を言われても黙ってやるということはできない。辞めてもいいと思った。
山下さんに「今日は頭にきてるし、帰っていいから。火曜日(20日)は来いよ」と言われて家族と帰宅。その夜、3人の方から電話をいただいた。
「それだけ元気があるということはまだやれるってことだ。ただしな。謝っとけ」(藤田元司さん)
「元気だな。まだまだやれるわ。多少罰金取られても、謝ってるヤツには何も言えないからな」(近藤昭仁さん)
「謝っとけよ。俺たちの仲間で2000本打ったヤツ誰もいないんだから。謝って、どれだけ屈辱でも2000本打て」(岡崎郁さん)
この3人にこんなふうに言われたら、謝るしかない。翌19日、球団事務所に出向いて謝罪。「首脳陣批判に準ずる職場放棄」で2軍降格と罰金30万円の処分を受け、横浜スタジアムに行って権藤さんに頭を下げた。
◇駒田 徳広(こまだ・のりひろ)1962年(昭37)9月14日生まれ、奈良県三宅村(現三宅町)出身の63歳。桜井商から80年ドラフト2位で巨人入団。3年目の83年にプロ野球史上初となる初打席満塁本塁打の衝撃デビューを飾る。93年オフにFAで横浜(現DeNA)へ移籍。通算2006安打。満塁機は打率.332、200打点とよく打ち、満塁弾13本は歴代5位タイ。一塁手としてゴールデングラブ賞10回。
