42言語を瞬時に翻訳!松田憲幸・ポケトークCEO「本当に作りたかったものが、とうとうできた」
独自の方法で飛躍
カウンターの向こうの外国人が英語で話を始めると、目の前のディスプレイには、左側に英語、右側にリアルタイムで翻訳された日本語がすぐさま表示される。ディスプレイは両面になっており、日本語で返答すると相手は日本語から翻訳された英語を見ることができる。これが一台あれば、両面ディスプレイ上でお互いの言葉が瞬時に翻訳されたものが見られるのだ。
今年中にも発売になる予定という『ポケトークX』。相手の話す42言語を77言語の音声とテキストでリアルタイム通訳して理解できるソフトウェア『ポケトーク-Sentio(センティオ)』をベースに開発された据え置き型のAI同時通訳機だ。すでに空港のカウンターなどで実証実験が行われているが、日本人と日本語がまったくできない外国人が、問題なくコミュニケーションをとっているという。
「ほとんど聞き間違いはないですね。ご覧いただくと、皆さん″これは欲しい″と言われます。国連でプレゼンをしましたが、国連にも欲しいと言われました。ポケトークを始めて10年。本当に作りたかったものが、とうとうできたと思っているんです」
こう語るのは、ポケトーク社長の松田憲幸(60)。’17年に発売され、’18年には明石家さんまをイメージキャラクターに用いた通訳機『ポケトーク』は、初期生産分がわずか11日で売り切れとなるなど、爆発的なヒットを記録した。英語が喋れないことにコンプレックスを持つ日本人は少なくない。外国人観光客も増え、言葉の問題に頭を悩ませる小売店などの需要も大きかった。そんななか、その驚くべき翻訳性能に多くの人が飛びついたのだ。すでに累計出荷台数は130万台を突破しているが、ポケトークはとんでもない進化を遂げていた。
ポケトークは松田が創業した『ソースネクスト』から世に送り出された。『驚速』『特打』『いきなりPDF』といったPCソフトを送り出した会社だ。独立にあたり、日本IBMでシステムエンジニアを務めていた松田はコンピュータソフトという領域に狙いを定めたが、他の会社とは最初から考え方がまるで違っていた。
「自分でゼロからソフトを作るのではなく、アメリカで流行っている製品をローカライズして日本で売ったんですが、どうやって売ればいいのかが皆目わからなかった」
ここで松田は大胆な行動に出る。量販店に行き、直接、店頭に立てばいいと考えたのだ。
「ユーザーはみんな秋葉原で(自社の)ソフトを買っていたんですね。だったら、自分で売って、彼らの声を直接聞けばいいんじゃないか、と」
しかも、自社のソフトのみならず、PCまで売った。ここで松田は真のニーズに出会う。
試行錯誤と新しい視点
「やたらメモリを買いに来る人が多かったんです。聞けば、OSが変わったら重くなった、と。ただ、当時のPCの構造は複雑で、メモリを自分で差し込めるような人は少なかった」
もっと簡単に、ソフトを使って速く動くようにすればいい。ここから生まれた『驚速』は、実に累計600万本の大ヒットとなる。設立2年目で売り上げは年間30億円に。背景には、異例の人材登用もあった。ネーミングやデザインを手がけるクリエイターを役員待遇で迎えていたのだ。
「売り場で見えたのは、パッケージやネーミングがいかに重要か、でした。多くのソフト会社は開発を内製して、クリエイティブ面を外注していました。私はこれを逆にしたんです。だから、店頭で目立つことができた」
さらに業界の度肝を抜いたのは、従業員が30人に満たない時代に、タイプソフト『特打』のテレビCMを決めたことだ。
「10億円ほどかかりましたが、効果は絶大で、売り上げは大きく伸びました。採用にも好影響で、7000通も履歴書が送られてきました」
これが、量販店での展開にもプラスに働く。
「店頭で売れていくには、たくさん平積みしてもらうことが大事なんです。だから、(たくさん仕入れてもらう代わりに)返品もOKにしていました」
売上高は5年で50億円を超えたが、今度は業界の掟破りに挑む。当時1万円ほどで売られていたソフトを1980円均一にすると宣言したのだ。業界からは非難囂々だった。
「安くても500万個売れば100億円になる。そのために100タイトルを揃えました」
創業から9年で売上高は100億円を突破し、11年目に東証マザーズに上場。’08年には東証1部に鞍替えした。しかし、大きな潮流の変化を松田は見誤る。PCからスマートフォンの時代への転換だ。USBフラッシュメモリを使った製品で失敗、ここにリーマンショックが重なり、巨額の赤字を出して債務超過寸前の倒産危機に直面した。辛くも乗り切った松田が業界の変化を見逃すまいと決断したのは、ITの総本山、アメリカのシリコンバレーに移り住んでしまうことだった。’12年のことだ。
「これは大きかったと思います。移住がなかったら、ポケトークもなかったかもしれません。こういうことができるんだ、グローバルで打ち出せるんだ、という発想になれなかったと思います」
英語に対する関心、いや問題意識は学生時代から持っていた。
「英語の勉強に苦労したんです。しかも、勉強しても勉強しても、ネイティブのようにはとてもなれない。日本人には、そもそも難しすぎるのではないかと思っていました。もはや魔法のようなものが必要なのでは、と」
『FRIDAY』2026年5月15・22日合併号より
取材・文:上阪 徹
