大久保清・元死刑囚の死刑執行を伝える1976年1月23日本紙朝刊

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 群馬県高崎市などで41日間に16〜21歳の女性8人を相次いで乱暴し、殺害した大久保清・元死刑囚の刑が1976年に執行されてからちょうど50年がたつ。

 元死刑囚はベレー帽をかぶり、白のスポーツカーを乗り回して「画家」「美術教師」と名乗って「絵のモデルにならないか」などと、言葉巧みに若い女性を誘った。当時の本紙記事などから改めて事件の概要や元死刑囚の人物像をたどり、性犯罪加害者の処遇に詳しい専門家から現代にも通じる教訓を聞いた。(デジタル編集部 斎藤健二)

■溺愛されたボクちゃん 婦女暴行事件重ねる

 「知らない人の車には乗ってはいけないよ」。子どもなら誰もが注意を受けることの一つだが、同市出身の記者にはその続きがあった。「『大久保清』のような人もいるから」。初めて聞いた名前が、そのときから強く記憶に残っていた。

 1935年に同市で8人兄弟の末男として生まれ、成人後も母親から「ボクちゃん」と呼ばれ、溺愛された元死刑囚。「無職同様でぶらぶら、犯行に使った車も親のスネをかじって買ってもらったものだ。近所の評判も『口がうまく平気でウソをいう』『女ぐせの悪い男』」(1971年5月22日朝刊)

 1954年、19歳の時に高崎市内で万引きをしたのが初犯。「小学六年生ごろから、たびたび女生徒にいたずらするなど異常性格が現れ、さる三十年(1955年)、前橋市内で初めて婦女暴行未遂事件を起こした」(1976年1月23日朝刊)。その後も婦女暴行事件を重ね、少年刑務所や府中刑務所に服役した。

■「悪魔のよう」41日間で8人殺害 徹底したウソの供述

 1971年3月、36歳の時に仮釈放で出所したのもつかの間、月末には最初の殺人に至った。「ベレー帽にルバシカ姿、新型乗用車を乗り回して、偽名で若い女性に近づき、にこやかに話しかける。いざ計画が失敗しそうになると一転して悪魔のような行動に出る。こうしてわずか41日の間に8人を殺し、とても人間とは思えない異常ぶりだった」(同日朝刊)。「犠牲になった若い女性への同情とか、良心の苦悩など全くみられなかった大久保は、連日の調べに対してケロリとした態度を続けてきた。獣性を示すように、食欲は最後まで落ちなかった。終始平然とした顔つきで黙秘権を行使、その供述は徹底したウソで固められていた」(1971年5月27日朝刊)

■反社会性パーソナリティー障害 現代でも凶行の可能性

 仮に大久保元死刑囚が現代に生まれたらどうなっていたのだろうか? 性犯罪加害者の治療に取り組む「性障害専門医療センター(SOMEC)」代表理事で精神科医の福井裕輝さん(56)は「性犯罪者の要素に加え、他人に対する共感性が欠け、衝動的、攻撃的な行動を繰り返し、エスカレートすると殺人にまで至る『反社会性パーソナリティー障害』の症状がある」と指摘する。その上で、「性犯罪のリスクがどうというレベルではなく、サイコパス、シリアルキラー(連続殺人犯)と言える。彼らは自殺率も高いが、大久保元死刑囚が現代に生まれ、犯行時の年齢まで生きていたとしたら、同じような事件を起こす」と推測する。

 こうした気質の人たちには世界各国も対応に苦慮しており、現状では不定期の入院措置や刑罰とは別に行われる保安処分、GPSなどを用いての隔離や監視でしか再犯を防ぐ手立てがないという。

■異常者は排除、服役繰り返し凶暴化「権力へ反感」

 「犯行は認めながらも反省の色はみじんも見せず、『被害者は自分の方だ』と主張する場面もあったほどだった」(1976年1月23日朝刊)。死刑判決が下される前日の本紙インタビューでは、なぜ8人もの女性を殺害したのかとの問いに対し、「自分のような卑屈な人間をつくったのは、今度の事件の前に2回警察に捕まり、取り調べ中、人間性を抹殺されるような処分を受けたからだ。そのときから権力に対する反感がつのった」(1973年2月22日朝刊)と答えている。

 福井さんは「大久保元死刑囚は怪物と言っていいと思うが、排除された人間は凶暴になって刑務所から戻ってくることは確実で、実際そうなった。異常者は排除しておけばいいという考えではなく、圧倒的に難易度は高いものの、人とのつながりを持たせ、治療を施して再犯を防ぐ『強い社会』をどうやって作るのかという方向で考える必要がある」と話す。

■若年期に手厚い医療 被害者を生まない社会のカギ

 「中学時代の成績表には『口先がうまく、下級生をだます能力にすぐれ、友だちの信用がない』と記入されている。成績表にこれだけの記述があるのは異例」(1971年5月27日朝刊)。さらに、「女性への興味については、小学校6年生のころ、近所の幼女にいたずらして騒がれている。中学時代には自転車で『友だちになってくれ』と女の子を追い回したという友人の証言もあった」(同28日朝刊)

 福井さんは、「反社会性パーソナリティー障害の中核的な特性として、幼少期から様々な問題行動が必ず出る。若年期に認知行動療法や共感を育むカウンセリング的な手法など、手厚い医療を施す仕組みを作ることが、被害者を生まない社会のカギになる」とする。

■地元住民が線香や清掃「元死刑囚に遭遇しなければ…」

 4月中旬、犯行の舞台となった高崎市内のいくつかの場所を訪ねた。大久保元死刑囚がちょうど55年前に凶行を重ねていた時期だ。1人目の犠牲者となる高校生が声をかけられたのはJR高崎線新町駅前。記者の実家の最寄りでもあり、何度となく利用している駅だが、その事実は初めて知った。電車の到着時以外は、人の往来は多くない。そこから直線距離で30キロ以上離れた榛名湖畔まで連れて行かれ、襲われた。当時の本紙写真と照合し、遺棄現場はほぼ特定できたが、事件を示す痕跡は見当たらなかった。

 大久保元死刑囚の自宅はJR信越本線群馬八幡駅近くにあった。今は別の建物が立っている。地元の男性は「元死刑囚の親戚が近くに住んでいることもあり、事件の話はタブーのようになっている」と話す。元死刑囚は自宅から約1キロ圏内の工業団地造成地に8人の被害者のうち、4人の遺体を遺棄した。今は工場が立ち並び、事件当時の面影はない。

 事件現場での風化は進む一方、被害者の遺族や関係者が負った悲しみは消えることがない。工業団地から近い霊園には、その4人の被害者を慰霊する地蔵が立っており、多くの花が供えられていた。地元の有志が線香をあげたり、清掃したりしているという。先祖の墓参りの際、必ずこの地蔵を訪れる男性(74)は「被害者とは同世代だし、一生忘れられない事件。おおらかな時代だったけど、逆に言えば悪人はやりたい放題できた。大久保元死刑囚に遭遇しなければ、今頃孫に囲まれ、穏やかに生きていただろうに。生まれ変わったら絶対幸せになってほしい」と手を合わせていた。