津波で家族全員を失った少年と子育て未経験の伯母、壮絶経験から“本当の家族”に…15年追い続けた取材Dが驚かされた「自然体の姿」
●2023年配信のショート版は1,075万再生
日本テレビ系ドキュメンタリー番組『NNNドキュメント‘26』(毎週日曜24:55〜)で、10日に放送される「ひとりじゃない ボクとおばちゃんの15年」(ミヤギテレビ制作)。東日本大震災の津波で家族全員を失い、7歳で一人になってしまった辺見佳祐さんと、子育て未経験ながら彼を引き取った伯母・日野玲子さんが過ごした15年の記録だ。
『NNNドキュメント』でこれまで3本放送され、YouTubeで配信する『Nドキュポケット』で2023年に配信したショート版は1,076万再生(※26年5月6日現在)と大きな反響になっているこのシリーズ。巡る季節を一緒に過ごし、学校行事、進学、就職と節目を重ねながら、少しずつ“家族”になっていった2人を追い続けてきたミヤギテレビの佐々木博正ディレクターに、取材秘話を聞いた――。

宿題をする佳祐さんと玲子さん=2011年12月(上段)、佳祐さんの入社式の朝=2024年4月(下段)
○「暗い感じを本当に見たことがないんです」
2011年3月の震災後、佐々木Dが2人と出会ったのは、同年秋。震災で家族を亡くした人たちに取材を申し込んでも、「本当に壮絶な体験をされていますし、周囲の目というのもあると思うので、なかなかカメラの前でお話ししてくださる方は少ないです」という中で、玲子さんは受け入れてくれた。
その背景には、「佳祐さんと一緒に生活する中で、いろんな人に支えられて助けてもらったことを記録に残したい」という思いがあった。このため、玲子さんの心の傷に配慮もしながら多くの質問を重ねることができたという。
一方で、家族全員を失った小学2年生の佳祐さんにはどう接すればいいのか、最初は戸惑いが大きかった。そこでいきなりカメラを回すのではなく、「たまに遊びに来る知り合いのおじさんみたいな感じ」という雰囲気で訪問。一緒に遊び、テレビを見て、同じ時間を過ごすという関係づくりから始めた。
カメラなしで2カ月ほど通ってから本格的に取材がスタートしても、幼かった佳祐さんに家族のことを直接的に聞くことはしなかった。玲子さんが外出し、佐々木Dと2人で夜を過ごしていた時に、佳祐さんがふと「(亡くなった)おばあちゃんは大切な人だったんだよ」と語りだすこともあったが、それ以上深く聞くことはせず、小学校を卒業する頃に初めて「家族と暮らしていた時はどうだったの?」と尋ねてみたという。
一緒に過ごす中で、佳祐さんからは「暗い感じを本当に見たことがないんです」という。佐々木Dと共に隠れて買い食いし、「(玲子さんに)絶対言わないでね!」と茶目っ気たっぷりに話しかけてくる普通の少年だ。彼が唯一涙する姿を見たのは、近所の年上の子とゲームをして負けた時で、「本当に強い子だと思いました」と驚かされた。
もちろん、実際に一人でいる時の思いや、心の奥にあるものは分からない。それでも、取材陣と一緒にいる時は、弱いところを見せることなく、いつも自然体だったという。
佳祐さんは中学2年の時、不登校になった。ただでさえ思春期である上、カメラを向けられたくないタイミングではないかと想像するが、佐々木Dは折を見て石巻に顔を出し、一緒に出かけることもあったという。こうしたエピソードからも、関係を重ねてきた信頼がうかがえる。

佳祐さんにゲームを教わる佐々木D=2012年3月
○震災前に離婚…玲子さんも「一人になった」
佳祐さんだけでなく、玲子さんもまた震災で深く傷ついた一人だった。離婚した玲子さんにとって、妹である佳祐さんの母と、自身の母という家族2人を同時に失い、玲子さんも「一人になった」と話していたという。
それでも、「佳祐さんもいるので、“お互い一人じゃないんだ”ということを、よくおっしゃっていました」と、前を向こうとしていた玲子さん。そんな彼女にも、精神的な“強さ”を随所で感じた。
佳祐さんと一緒に生活を始めた時、玲子さんは51歳。子育ての経験はなかったが、子どもが好きで世話好きな性格だったこともあり、学校行事にも欠かさず参加した。佳祐さんの学校生活の中で、周囲に“普通の親子”がいる場面は少なくなかったはずだが、玲子さんはその時間を一つひとつ埋めるように寄り添っていた。
佳祐さんと暮らすにあたり、妹夫婦が経営していた自動車整備工場を引き継いだ。ここは、玲子さんの親の代からの家業だったが、高校卒業後は仙台に出て仕事をしており、全く関わってこなかった。それでも、佳祐さんとの生活を守るため、そして家業を残すため、一から学んだ。
玲子さんも涙を見せることは多くなかった。だからこそ、涙を流した場面は強く印象に残っている。小学校の卒業式、入社式の朝――見送った後の玲子さんに共通していたのは、「妹さんや亡くなった家族にも見せてあげたいという思い」だった。

佳祐さん(前列中央)と家族
●ナレーションを入れず、2人の会話をそのまま生かす場面

小学校の卒業式で涙する玲子さん=2016年4月
15年に及ぶ膨大な取材映像から今回の番組をまとめるにあたって決めたのは、「15年の間にあったことを全部伝える」ということ。これまでのシリーズ放送で伝えきれていなかった部分を中心に据えることもできたが、佳祐さんがどのような人生をたどってきたのかを、15年の流れとして見せることを意識した。
過去の映像を見返す中で、「この時、玲子さんはこんなことを言っていたんだ」と改めて気づくことも。特に印象的だったのは、「2分の1成人式」を迎える佳祐さんに向けて手紙を書く場面。「最初は両親のことを書こうとしたけど、妙に刺激するかもしれないと思って、玲子さんとのそれまでの3年間の話を書いたと言っていたんです」と、この時期はまだ佳祐さんにセンシティブな話題を振れないでおこうと配慮していたことを再確認した。
あえてナレーションを入れず、2人の会話をそのまま生かした場面も。「いろいろナレーション原稿を書いてみるんですけど、もうそのまま見たほうがいいなとなってしまうのは、あの2人ならではなのかもしれません」と、掛け合いの面白さも魅力だ。
「震災でご家族亡くされた方が笑ったりしているようなシーンをお伝えするのは、なかなか難しい面もあったりするのですが、この2人は本当に自然体で、しかもその姿を撮らせていただけるので、本当にありがたいです」

登校する2人=2014年2月
○報道から他部署に異動しても「取材行ってきていいよ」
取材開始当初から、2人はカメラをあまり意識しなかったのだそう。何度も通い、撮らない時間も重ねたことで、取材陣は「そこに一緒にいる人」のようになっていったのだ。
長期取材の中で、できるだけ同じスタッフで訪ねることも意識。カメラマンや音声担当も同じメンバーで通い、いつしか名前で呼ばれるようになった。こうして佐々木Dだけでなく、スタッフチームが2人と打ち解けていたことで、自然な姿を映し出すことができた。
当初は報道担当だった佐々木Dだが、この15年の間、スポーツ、本社営業、東京営業、制作など、会社員の宿命で様々な部署に異動していた。それでもこの2人に寄り添い続けられたのは、「報道から離れていた時にも“取材行ってきていいよ”と言ってくれたので、本当にありがたいです」と語るように、会社の理解も大きい。
震災前年にミヤギテレビへ入社した佐々木Dにとって、この2人の取材は、自身のテレビマン人生における柱のような存在になっている。
被災県の地元局である同局では、ほかにも震災をテーマに取材を続ける社員がいる。彼らも佐々木Dと同様に、部署を異動しても取材先の人たちと関係が途切れず交流が続いているケースがあるそうだ。

2012年11月
●「途中からでも本当の家族になれる」

桜を見る2人=2026年4月
15年という時間を経て、佐々木ディレクターが伝えたいのは、「家族の形はいろいろある」「途中からでも本当の家族になれる」ということ。
震災でつらい経験をし、一緒に生活することになった2人。最初から“親子”だったわけではないが、2人が様々な経験を重ねてきたことで、「今は本当に家族にしか見えないです」と捉えている。最近は「2人が似てきている」と感じることもあるそうだ。
15年は数字上の節目ではあるが、2人にとって何かが劇的に変わるタイミングではない。それでも、年々深まってきた絆の軌跡を、このタイミングで一人でも多くの人に見てもらいたいと考えている。
社会人となった佳祐さんの人生は、これからも続いていく。結婚や新たな家族の誕生など、今後あるかもしれないライフステージにも、「“もう来ないで”と言われない限りは、できるだけ見ていきたいです」と寄り添い続けていく考えだ。

浜崎美保
○ナレーション・浜崎美保「年月を丁寧に紡いでいきたい」
ナレーションを担当するのは、『Skyrocket Company』(TOKYO FM)のパーソナリティとして知られる浜崎美保。同番組を聴いていた日本テレビの斉藤真也ディレクターが「落ち着いて響くいい声なので、この作品のナレーションを依頼したいと強く思ったんです」とオファーした。
浜崎は「時の積み重ねの中で育まれた、血縁にとどまらない深い愛情と絆。震災の前にも確かにあった日々に思いを馳せながら、『ボクとおばちゃん』という家族の体温を声にのせ、その年月を丁寧に紡いでいきたいです。お二人の15年に寄り添い、誠実にナレーションを務めたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします」と、今作に声を吹き込む思いを語っている。

ミヤギテレビの佐々木博正ディレクター
日本テレビ系ドキュメンタリー番組『NNNドキュメント‘26』(毎週日曜24:55〜)で、10日に放送される「ひとりじゃない ボクとおばちゃんの15年」(ミヤギテレビ制作)。東日本大震災の津波で家族全員を失い、7歳で一人になってしまった辺見佳祐さんと、子育て未経験ながら彼を引き取った伯母・日野玲子さんが過ごした15年の記録だ。

○「暗い感じを本当に見たことがないんです」
2011年3月の震災後、佐々木Dが2人と出会ったのは、同年秋。震災で家族を亡くした人たちに取材を申し込んでも、「本当に壮絶な体験をされていますし、周囲の目というのもあると思うので、なかなかカメラの前でお話ししてくださる方は少ないです」という中で、玲子さんは受け入れてくれた。
その背景には、「佳祐さんと一緒に生活する中で、いろんな人に支えられて助けてもらったことを記録に残したい」という思いがあった。このため、玲子さんの心の傷に配慮もしながら多くの質問を重ねることができたという。
一方で、家族全員を失った小学2年生の佳祐さんにはどう接すればいいのか、最初は戸惑いが大きかった。そこでいきなりカメラを回すのではなく、「たまに遊びに来る知り合いのおじさんみたいな感じ」という雰囲気で訪問。一緒に遊び、テレビを見て、同じ時間を過ごすという関係づくりから始めた。
カメラなしで2カ月ほど通ってから本格的に取材がスタートしても、幼かった佳祐さんに家族のことを直接的に聞くことはしなかった。玲子さんが外出し、佐々木Dと2人で夜を過ごしていた時に、佳祐さんがふと「(亡くなった)おばあちゃんは大切な人だったんだよ」と語りだすこともあったが、それ以上深く聞くことはせず、小学校を卒業する頃に初めて「家族と暮らしていた時はどうだったの?」と尋ねてみたという。
一緒に過ごす中で、佳祐さんからは「暗い感じを本当に見たことがないんです」という。佐々木Dと共に隠れて買い食いし、「(玲子さんに)絶対言わないでね!」と茶目っ気たっぷりに話しかけてくる普通の少年だ。彼が唯一涙する姿を見たのは、近所の年上の子とゲームをして負けた時で、「本当に強い子だと思いました」と驚かされた。
もちろん、実際に一人でいる時の思いや、心の奥にあるものは分からない。それでも、取材陣と一緒にいる時は、弱いところを見せることなく、いつも自然体だったという。
佳祐さんは中学2年の時、不登校になった。ただでさえ思春期である上、カメラを向けられたくないタイミングではないかと想像するが、佐々木Dは折を見て石巻に顔を出し、一緒に出かけることもあったという。こうしたエピソードからも、関係を重ねてきた信頼がうかがえる。

○震災前に離婚…玲子さんも「一人になった」
佳祐さんだけでなく、玲子さんもまた震災で深く傷ついた一人だった。離婚した玲子さんにとって、妹である佳祐さんの母と、自身の母という家族2人を同時に失い、玲子さんも「一人になった」と話していたという。
それでも、「佳祐さんもいるので、“お互い一人じゃないんだ”ということを、よくおっしゃっていました」と、前を向こうとしていた玲子さん。そんな彼女にも、精神的な“強さ”を随所で感じた。
佳祐さんと一緒に生活を始めた時、玲子さんは51歳。子育ての経験はなかったが、子どもが好きで世話好きな性格だったこともあり、学校行事にも欠かさず参加した。佳祐さんの学校生活の中で、周囲に“普通の親子”がいる場面は少なくなかったはずだが、玲子さんはその時間を一つひとつ埋めるように寄り添っていた。
佳祐さんと暮らすにあたり、妹夫婦が経営していた自動車整備工場を引き継いだ。ここは、玲子さんの親の代からの家業だったが、高校卒業後は仙台に出て仕事をしており、全く関わってこなかった。それでも、佳祐さんとの生活を守るため、そして家業を残すため、一から学んだ。
玲子さんも涙を見せることは多くなかった。だからこそ、涙を流した場面は強く印象に残っている。小学校の卒業式、入社式の朝――見送った後の玲子さんに共通していたのは、「妹さんや亡くなった家族にも見せてあげたいという思い」だった。

●ナレーションを入れず、2人の会話をそのまま生かす場面

15年に及ぶ膨大な取材映像から今回の番組をまとめるにあたって決めたのは、「15年の間にあったことを全部伝える」ということ。これまでのシリーズ放送で伝えきれていなかった部分を中心に据えることもできたが、佳祐さんがどのような人生をたどってきたのかを、15年の流れとして見せることを意識した。
過去の映像を見返す中で、「この時、玲子さんはこんなことを言っていたんだ」と改めて気づくことも。特に印象的だったのは、「2分の1成人式」を迎える佳祐さんに向けて手紙を書く場面。「最初は両親のことを書こうとしたけど、妙に刺激するかもしれないと思って、玲子さんとのそれまでの3年間の話を書いたと言っていたんです」と、この時期はまだ佳祐さんにセンシティブな話題を振れないでおこうと配慮していたことを再確認した。
あえてナレーションを入れず、2人の会話をそのまま生かした場面も。「いろいろナレーション原稿を書いてみるんですけど、もうそのまま見たほうがいいなとなってしまうのは、あの2人ならではなのかもしれません」と、掛け合いの面白さも魅力だ。
「震災でご家族亡くされた方が笑ったりしているようなシーンをお伝えするのは、なかなか難しい面もあったりするのですが、この2人は本当に自然体で、しかもその姿を撮らせていただけるので、本当にありがたいです」

○報道から他部署に異動しても「取材行ってきていいよ」
取材開始当初から、2人はカメラをあまり意識しなかったのだそう。何度も通い、撮らない時間も重ねたことで、取材陣は「そこに一緒にいる人」のようになっていったのだ。
長期取材の中で、できるだけ同じスタッフで訪ねることも意識。カメラマンや音声担当も同じメンバーで通い、いつしか名前で呼ばれるようになった。こうして佐々木Dだけでなく、スタッフチームが2人と打ち解けていたことで、自然な姿を映し出すことができた。
当初は報道担当だった佐々木Dだが、この15年の間、スポーツ、本社営業、東京営業、制作など、会社員の宿命で様々な部署に異動していた。それでもこの2人に寄り添い続けられたのは、「報道から離れていた時にも“取材行ってきていいよ”と言ってくれたので、本当にありがたいです」と語るように、会社の理解も大きい。
震災前年にミヤギテレビへ入社した佐々木Dにとって、この2人の取材は、自身のテレビマン人生における柱のような存在になっている。
被災県の地元局である同局では、ほかにも震災をテーマに取材を続ける社員がいる。彼らも佐々木Dと同様に、部署を異動しても取材先の人たちと関係が途切れず交流が続いているケースがあるそうだ。

●「途中からでも本当の家族になれる」

15年という時間を経て、佐々木ディレクターが伝えたいのは、「家族の形はいろいろある」「途中からでも本当の家族になれる」ということ。
震災でつらい経験をし、一緒に生活することになった2人。最初から“親子”だったわけではないが、2人が様々な経験を重ねてきたことで、「今は本当に家族にしか見えないです」と捉えている。最近は「2人が似てきている」と感じることもあるそうだ。
15年は数字上の節目ではあるが、2人にとって何かが劇的に変わるタイミングではない。それでも、年々深まってきた絆の軌跡を、このタイミングで一人でも多くの人に見てもらいたいと考えている。
社会人となった佳祐さんの人生は、これからも続いていく。結婚や新たな家族の誕生など、今後あるかもしれないライフステージにも、「“もう来ないで”と言われない限りは、できるだけ見ていきたいです」と寄り添い続けていく考えだ。

○ナレーション・浜崎美保「年月を丁寧に紡いでいきたい」
ナレーションを担当するのは、『Skyrocket Company』(TOKYO FM)のパーソナリティとして知られる浜崎美保。同番組を聴いていた日本テレビの斉藤真也ディレクターが「落ち着いて響くいい声なので、この作品のナレーションを依頼したいと強く思ったんです」とオファーした。
浜崎は「時の積み重ねの中で育まれた、血縁にとどまらない深い愛情と絆。震災の前にも確かにあった日々に思いを馳せながら、『ボクとおばちゃん』という家族の体温を声にのせ、その年月を丁寧に紡いでいきたいです。お二人の15年に寄り添い、誠実にナレーションを務めたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします」と、今作に声を吹き込む思いを語っている。

