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<前編の内容>
幼少期に「脳性小児麻痺」とされてきた藤枝静香さん(63)は、56歳の時に医師から「胎児性水俣病の疑いが強い」と告げられました。実家が魚の行商をしていて、不知火海の魚を毎日食べて育ったため、現在も手足のしびれや味覚障害など、水俣病の典型的な症状に苦しんでいます。

【写真を見る】「これ以上、私の人権と尊厳を傷つけないで」(後編)水俣病の被害を訴え"国と闘うことになった"女性の叫び 【水俣病公式確認70年、続く苦しみ】 

2019年、藤枝さんは母とともに水俣病の認定申請をしましたが、国の厳しい基準に阻まれ棄却に終わりました。

水俣病の被害者の苦しみは終わっていません。藤枝さんは認定を求めて再申請を続けています。

<後編>私たちが歩んできた道のりが水俣病だったんだという「納得できる理由」が欲しい。

国の認定基準に阻まれた人は多くいます。熊本県内で申請されたのは延べ2万2624人。そのうち水俣病と認められたのは1791人です。

藤枝さんは今、亡くなった母の分も引き継ぎ、再申請を続けています。

藤枝静香さん「私たちが歩んできた、きつい道のりが水俣病だったんだというのがちゃんと欲しい。自分の中で納得できる理由が」

だんだん信じられなくなる。だから闘いに変わっていった

藤枝さんは2024年、被害を訴えていることを公表し、熊本県内外の人たちに水俣病や自身のことを伝える活動を始めました。

藤枝静香さん「認定申請は行政に相談しながら進めたいと思っていたけど、行政に信じられない部分が多々あって、聞いても返事も来ない。だんだん信じられなくなる。だから闘いに変わっていった」

ただ、名前を公表し人前で  活動することは、公式確認から70年経った今でも容易なことではありません。

藤枝さんに届く、心無いメッセージ

藤枝さんはこの日も熊本県水俣市に向かっていました。養護学校の同級生で、胎児性水俣病患者の松永幸一郎さんや、支援者と会うためです。

藤枝静香さん「差別的発言を受けたら、ずっとそのことが頭から離れない。そのモヤモヤが松永くんと話すことで、私の中でモヤモヤの糸が取れるかなと」

心無いメッセージが届いていました。ただ、どんな内容だったかは言いたくないと、藤枝さん。夜、飲食店で松永さんたちに重い口を開きます。

1人で抱えていた

藤枝静香さん「顔出して名前出して、表に出るようになってから、辛いことを言われた」

1人で抱えていた心の内を明かしました。

松永幸一郎さん「味方がいっぱいいるわけだから」

"仲間"がいる

きぼう・未来・水俣 加藤タケ子代表理事「あなたに向けられた“ねたみ”や“そねみ”。むしろその方たちを救いとるようなネットワークを私たちは持てる。"仲間"という言葉を今、藤枝さんに改めてお伝えしたい」

二人の言葉に藤枝さんの目には涙がにじみます。

松永幸一郎さん「結構すっきりした?」

4月27日、藤枝さんは自宅で机に向かっていました。

藤枝静香さん「石原環境大臣と面談の場があるから、訴えたいことを書いてます」

藤枝静香さん「私の字が読めるかどうか分からないけど、そこは心配ですけど、思いは十分入っている文章だと」

慰霊式の前日(4月30日)石原環境大臣と面会

藤枝さんが訴えたのは、環境省への不信感でした。認定申請の手続きの中で、環境省が同意なく藤枝さんのカルテを取り寄せていたことが分かったからです。

藤枝静香さん「私と母は『同意書』にサインしていないのに、環境省はカルテを取り寄せていました。私たちの人権と尊厳は、このことによってひどく傷つけられました」

藤枝さんが「同意」を重視する理由

藤枝さんは、旧優生保護法の下で「同意のない不妊手術」を受けさせられた被害者でもあります。

藤枝静香さん「もうこれ以上、私の人権と尊厳を傷つけることはやめてと叫びたいです。母と私の認定を勝ちとるまで頑張るつもりです」

水俣病の公式確認から70年。いまも被害を訴える人たちがいます。

<藤枝さんの生い立ちなどを伝えた前編>
▼「これ以上、私の人権と尊厳を傷つけないで」水俣病の被害を訴え"国と闘うことになった"女性の叫び 【水俣病公式確認70年、続く苦しみ(前編)】