昭和の写真が呼び覚ます記憶の断片 写真のなかだけに残る、かつての鉄道沿線風景〔東急線編〕

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昭和が終わりを告げ、平成、令和と時代が移り変わり38年もの歳月が経過した。その間には、あたらしい街が形成され、同時に再開発によって大きく様変わりした街も数えきれないほどある。そうした日常風景の変化は、しばらくぶりに訪れるなどしない限り、気にも留めないのではないだろうか。何かのタイミングで数十年前の風景写真を目にすると、懐かしい想い出とともにその当時の情景がよみがえるというもの。そんな懐かしい写真のなかから、鉄道写真に見る東急沿線(東京都・神奈川県)の風景をふり返ってみることにしたい。

※トップ画像は、カマボコ屋根も懐かしい東横線渋谷駅。電車に貼られたステッカーは、田園都市線高津駅(当時)の高架下にオープンする「電車とバスの博物館」を告知したもので、春季だったこともあり“ストライキ”を知らせるステッカーと勘違いする人も多かった=1982年4月、撮影/山本泰史

情景が写り込む鉄道写真という記録

現代では「撮り鉄」とジャンルされる鉄道写真。そんなマニアックな写真にも、ノスタルジーを感じさせる一面がある。写真がポピュラーな存在ではなかった昭和時代のカメラ事情といえば、一家に1台というのが当たり前だった。昨今のように誰もが気軽に撮影を楽しめることなど、思いもしない時代であった。もちろん記録媒体は「フイルム」であり、市販のフイルムを都度購入し→現像→プリントと、それなりの費用がかかった。フイルムも高価で、12枚撮り、24枚撮り、36枚撮りという3種類のなかから選んで、残りの撮影枚数を気にしながらシャッターを押したものだ。今やデジカメの時代となり、財布のなかを気にせずに好きなだけ撮影ができる時代である。こうした話が理解できる人は、間違いなく昭和世代であろう。

子どもの頃、同級生のお兄さんが鉄道写真を撮っていて、時折、それらの写真を見せてもらうのが楽しみとなっていた。写り込む電車もさることながら、街並みとともに切り抜かれる情景写真には、いたく衝撃を受けたものだ。その影響もあって、写真の世界へとのめり込んだことは言うまでもない。それから半世紀近くが経過し、単なる鉄道写真というよりは、街並みや情景を撮り込んだ記録写真という価値観へと変化していった。

おしゃれな街「代官山(渋谷区代官山町)」。東横線渋谷駅のひとつとなりの駅でありながら、昭和の時代は目立たない地味な駅だった。いまの駅に建て替わったのは、1989(平成元)年のこと。駅舎が建て替わる前の駅周辺には、同潤会アパートやカルピス食品工業の本社があり、閑静な住宅街のなかにひっそりとあるような駅だった。プラットホームの一端はトンネルの中に取り込まれ、停車した電車のドアはトンネル内だけ開かなかった。今からは想像し難い情景がそこにはあった。

東横線を横浜方面に乗り進めると、多摩川園駅(現・多摩川駅/大田区田園調布)を過ぎて切通しを抜ければ視界がひらけ、ガタンガタンと多摩川を鉄橋で超えた。このアンティークな鉄橋も、多摩川の風景にとても馴染んでいた。この鉄橋(ワーレントラス橋)は、東横線が開通した1926(大正15)年からあったもので、東横線の複々線化により橋は架け替えられることになり、橋齢70年を迎える前に姿を消した。近代的な橋りょうとなった今、多摩川を望む風景も一変してしまった。

改装される前の東横線代官山駅。ミドリ色の電車は、“アオガエル”の愛称で親しまれた5000系で、東横線から引退する頃の姿をとらえたもの=1980年3月、渋谷区代官山町、撮影/山本泰史

多摩川園駅(現・多摩川)〜新丸子駅間を流れる多摩川に架設される東横線多摩川橋りょう。この鉄橋(ワーレントラス橋)は、1926(大正15)年の東横線開通以来、使われていきたもので、1994(平成6)年に現在の複々線橋梁に架け替えられた=1986年3月、大田区田園調布、撮影/山本泰史

時の流れとともに移りゆく沿線風景

五反田駅と蒲田駅を結ぶ東急池上線の洗足池駅(大田区東雪谷)〜石川台駅(同)の間には、かつて春先になると桜の樹々が咲き誇る人気のお花見スポットがあった。しかし、老木ゆえに大きく成長した樹々は、いつのころか伐採されてしまい、桜の下を電車が走り抜ける風景を楽しむことができなくなってしまった。昨今の桜の樹々の倒木騒ぎを思えば、賢明な選択だったのであろう。

こうした沿線で桜景色を楽しめる場所は、東急線には数多く存在したが、その多くは同様の理由から姿を消して久しい。車窓から眺める風光明媚な景色は、時の流れとともに姿かたちを変えながらも、乗客を楽しませてくれている。

東急田園都市線が山の中を走っていた!? そんなことを言っても信用してくれない世代もいることだろう。今年で開通から60年を迎えた田園都市線は、東急が開発した「多摩田園都市」という郊外ニュータウンの中枢をなす交通機関として建設された通勤路線だ。沿線は元々、田畑が広がる山間部だったこともあり、最後までその山あいの風景を残していた区間が、あざみ野駅(横浜市青葉区あざみ野)〜江田駅(横浜市青葉区荏田町)間にあった。

あざみ野駅〜江田駅間は、平成年間に入ると再開発によって山林は切り崩され、ここに山があったことなど想像もできないほど風景は一変した。再開発中には、山肌から飛鳥時代の遺構(赤田〔あかた〕古墳群)が発掘され、話題となった。現在は、そのような姿を想像することもできないほどの街に変貌しており、当時このあたりを「赤田地区」と呼んでいたことを知る人も少ないだろう。

東急池上線の洗足池駅〜石川台駅の間は、春になると沿線に桜が咲き誇っていた。老木により現在、桜の樹々は伐採されており、このような景色を見ることはできない=1991年4月、大田区東雪谷

山に囲まれていた東急田園都市線あざみ野駅〜江田駅間をゆく6000系と8090系電車。現在このエリアは再開発によって、住宅街へと生まれ変わっている=1982年2月、横浜市青葉区あざみ野南、撮影/山本泰史

再開発中に発見された「赤田古墳群」が画像の右端に見える。ひとつ前の山間部を写した写真は、この画像の左上に写る橋からこちらに向けて撮影したもの=1990年5月、横浜市青葉区あざみ野南

路線の延伸とともに発展した多摩田園都市

東急田園都市線は、1966(昭和41)年に溝の口駅〜長津田駅間の開通にはじまり、1968(昭和43)年に〜つくし野駅まで延伸、1972(昭和47)年に〜すずかけ台駅、1976(昭和51)年には〜つきみ野駅と次いで延伸し、1984(昭和59)年には中央林間駅まで開業したことで、全線開通した。当時ウワサされていた計画案では、中央林間駅から先への延伸も企んでいたようだが、実現には至っていない。

全線開通する前は、長らく田園都市線の終点は「つきみ野」駅だった。建設されるまでの仮称駅名は「公所(くぞ)」駅だったが、駅予定地周辺に“月見草”がたくさん自生していたことから、“つきみ野”と命名された。つきみ野駅から中央林間駅まで伸びる建設予定地には、1976(昭和51)年に運輸省(現・国土交通省)が主体となって行われていた低公害鉄道「磁気浮上式リニアモーターカー」の実験線があった。

田園都市線と長津田駅(横浜市緑区)で連絡する「こどもの国線」は、いまは通勤線化されているが、1997年までは“こどもの国”を運営していた社会福祉法人こどもの国協会(当時)が所有し、それを東急電鉄が委託を受ける形で運転業務を行っていた。古くは、旧日本陸軍の弾薬庫と長津田駅とを結ぶ弾薬輸送を目的とした軍用線だったが、1965(昭和40)年に上皇陛下(当時は皇太子殿下)のご成婚を記念して開園した「こどもの国」へのアクセス路線として、1966(昭和41)年5月5日に”こどもの国線”は開業した。

計画当時、こどもの国駅よりも先へ延伸して小田急線に接続する案もあったが、こどもの国協会の設立趣旨に通勤路線とすることは適さないとして、実現には至らなかった。いまとなっては、あれば便利な路線だったに違いないが、こどもの国線が通勤線化された今となってからでは、用地買収などの問題もあり、実現することはなかろう。

たかが鉄道写真と言うなかれ。懐かしい情景を思い出された方もおられることだろう。物置や押し入れのなかに眠る古いアルバムを見返せば、昔なつかしい街並みや情景が写り込む写真があるのではないだろうか。そんな場所へ再び出かけて、ノスタルジーに浸ってみるのも良いかもしれない。

1976(昭和51)年10月に田園都市線は、つきみ野駅まで延伸開業した。当時の駅周辺は開発途上にあり、空き地や田畑が多く見られ、駅もホーム1線のみだった=1977年1月、大和市つきみ野、撮影/山本泰史

建設中の田園都市線つきみ野駅〜中央林間駅間。この周辺には住宅が立ち並び、写真に見るような見通しがきかないほど風景は一変している。写真の右手後方に見えるイトーヨーカドー中央林間店はすでに閉店しており、現在はサミットストア・ラプア中央林間店に変わっている=1983年9月、大和市つきみ野

つきみ野駅〜中央林間駅までの建設予定地には、昭和50年代前半には運輸省の主体で行っていた低公害鉄道「磁気浮上式リニアモーターカー」の実験線が設置されていた。中央後方の建物が田園都市線つきみ野駅=1976年ごろ、大和市つきみ野、撮影/山本泰史

多くの来園者で賑わいを見せるこどもの国線「こどもの国駅」に停車する8500系電車。通常期は2両編成で運行していたが、行楽期になると田園都市線から5両編成の電車が応援に駆り出されることもあった=1978年5月、青葉区奈良町、撮影/山本泰史

文・写真/工藤直通

くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、NPS会員、鉄道友の会会員。

【秘蔵画像】よみがえる昭和50年代の東急電車と沿線風景のコラボ写真の数々。(9枚)