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運動神経が衰え、やがて呼吸も困難になる難病「ALS」(筋萎縮性側索硬化症)。患者と家族が支え合う日本ALS協会大分県支部が結成から30年を迎えました。在宅介護の歴史と今も続く支援の現場を取材しました。

【写真を見る】難病ALSと歩んだ30年、介護の夜を変えた「命の技術」 “家で生きる”選択肢

孤独な闘いから「仲間づくり」へ

大分市に住む本田良子さん(87)。約20年にわたり、ALSを患った夫・昌義さんを自宅で介護しました。昌義さんは2012年に他界しましたが、良子さんの記憶には今も鮮明に残っています。

本田良子さん:
「温和でしたね。古典落語やクラシック、本が好きでしたね」

ALSは体が徐々に動かなくなり、最後は呼吸ができなくなる難病です。昌義さんは54歳で発病。病状の進行に伴い、人工呼吸器を装着しました。当時はこの病気への理解が乏しく、患者や家族は孤独の中で病に向き合っていました。

そんな中、「仲間をつくろう」と家族らが立ち上がり、1995年日本ALS協会大分県支部が発足。初代支部長には昌義さんが選ばれました。結成から30年、その志は今も在宅患者を支えています。

本田良子さん:
「自分の残された人生は、療友たちのために捧げると言っていました。みんなで助け合って、いい方向にいけるようにって思いました」

過酷な現実

大分市の阿部友洋さん(49)は、訪問診療などのサービスを利用しながら妻・真理さんの支えのもと、自宅で療養生活を送っています。

38歳で発病した友洋さんは、箸を持つ際、力が入らないといった異変に気づき、病院に行きました。当初、夫婦は過酷な現実に心が折れかける日々が続いたといいます。

阿部真理さん:
「寝ているときに呼吸してないんじゃないかとか、毎日気持ちは追い詰められ、いっぱいいっぱいでした」

阿部さんは月に2回往診を受けています。医師は命をつなぐ呼吸器などの機器に不具合がないかを細かく確認します。

よつばファミリークリニック 藤谷直明医師:
「とても落ち着いて過ごしていると思います。入院するときは本人があまり好きではないみたいで、そのときは体調が悪くなりますね」

介護の夜を変えた「命の技術」

人工呼吸器の患者に不可欠な「たん自動吸引器」は大分で誕生し、現在は全国の患者に利用されています。

開発の中心となったのは、去年8月に亡くなった大分協和病院の元院長・山本真医師と宇佐市のエンジニア・徳永修一さんでした。

故・山本真医師(当時のインタビュー):
「ALSに関しては治療法がないわけですから、入院するということに積極的な意味がない。それよりは家に帰って自分の生活を取り戻したい」

介護者を最も悩ませたのは、数時間おきに睡眠を中断して行う「夜間のたん吸引」でした。この機器の実用化により負担は軽減。患者が「家で生きる」ための大きな後押しとなりました。

現在は夜中に起きることはほぼなくなり、環境は格段に改善されています。それでも患者と家族をつなぐ県支部は、阿部さんにとって心強い存在です。

阿部真理さん:
「ことあるごとに声をかけてくださるので今があると思います。困ってどうしようもなくなったときに、声をあげられる場所だと感じています」

「支え合い」の精神

この日、本田さんの自宅には県支部のメンバーが集まっていました。30年の歩みを記録する「県支部だより」の記念号を作るためです。かつての総会や交流会の写真を眺め、活動の軌跡を振り返ります。

日本ALS協会県支部運営委員 薬師寺美津子さん:
「行政に病気と療養の大変さを知ってもらう啓発活動として、大きな役割を果たしてきたと思っています」

また、本田さんは自身の介護経験から患者家族の交流を今後も続けることを望んでいます。

本田良子さん:
「介護している方もストレスが溜まるじゃないですか。ここで発散してもらいたい。そんな場所にしたい。『みんなおいで』って」

30年の歴史を刻んだ日本ALS協会大分県支部。介護人材の不足や孤立する新たな患者の掘り起こしなど課題はありますが、これからも患者と家族に寄り添い、希望を分かち合う場所として歩み続けます。