スキーしかしてこなかった里谷多英がセカンドキャリアでも成功できたわけ 36歳での再出発には「Excelの教室にも通った」
連載:NEXT STAGE〜トップアスリートのセカンドキャリア
フジテレビ/里谷多英インタビュー(後編)

現在の仕事について語ってくれた、五輪金メダリストの里谷多英さん photo by Fujimaki Goh
前編◆金メダリストの里谷多英はなぜフジテレビに入社したのか>>
――現役を引退するにあたって、そのままフジテレビに残るかどうか、というのは考えましたか。
里谷多英(以下、里谷)考えましたが、残るという決断をしました。
――なぜフジテレビに残ることにしたのですか。
里谷 フジテレビは、スキーをやっていたからこそ縁があった会社で、すごくお世話になった会社でもある。その会社のなかにはいろんな仕事があるのに、何も知らずにやめるのはもったいないな、と思ったんですよね。だから、1年でも2年でもトライしてみたいなって。
36歳までスキーしかしてこなくて、バイトもしたことがなかったので、大丈夫かなという不安もあったのですが、でも、せっかくフジテレビにいるんだから、いろんな仕事ができるチャンスだな、と思いました。
――スキー関係でも仕事のオファーはあったのではないですか。
里谷 さまざまなオファーもいただきました。でも、当時の自分はもうボロボロというか、スキーヤーとしては疲れきっていたので、ちょっと離れるという選択をしました。
――競技を離れてからのフジテレビでの配属は?
里谷 イベント制作に希望を出しました。
――36歳での再出発に不安はありませんでしたか。
里谷 最初はすごく不安でした。希望どおりの部署に配属されたといっても、そこで何をするかは未知数でしたし......。まずはその年の新入社員と一緒に座学の研修を受け直して、Excelの教室に通ったりもしました。
――イベント制作に携わってみて、どんなことが大変でしたか。
里谷 自分がスポーツの世界にいたので、スポーツのイベントを想像していたのですが、実際に担当したのは、クラシック音楽とか、舞台とか、文化系のイベントだったんです。最初は本当に戸惑うことばかりでした。
――特に苦労したことは?
里谷 やっぱり言葉ですね。初めて聞く言葉がたくさんあったのですが、それがその業界やイベントの専門用語なのか、普通に使われているけれど、私が知らないだけの言葉なのか、そんなことすらもわからなかったので。
わからない言葉は全部ノートに書いて、あとで調べてみると、「ああ、なるほど。これは普通に存在する言葉だったんだ」とか、「私が無知なだけだったんだ」とか、日々勉強でした。
――競技をしていたときとは、また違う大変さがあったわけですね。
里谷 スキーでは自分のことだけ考えていればいいし、何かあっても「だって、自分の体が一番大事だから」って言えたのですが、会社ではそんなこと言っていられない。そのイベントを成功させるためにみんなで努力するわけだし、そこには責任もある。自分だけの問題ではないので、そういうところは全然違うし、やっぱりこの仕事のほうが大変だなと思います。
――やめたいと思ったことはありませんか。
里谷 全然ないです。最初はすごく不安に思っていたのですが、職場環境や人にも恵まれて、めちゃくちゃ楽しかったですから。
私は今でもスキー仲間と集まるし、たぶんこのメンバーとは一生仲がいいんだろうなって思いますが、今の部署に来てからの10数年間も本当に人に恵まれて、助けてもらうことが多かった。36歳で仕事をし始めているので、わからないことのほうが多かったけど、嫌にならずに楽しく働けたのはやっぱり人間関係が大きかったんじゃないかな、と。すごくいい職場に行かせてもらったなと思います。
――今まで携わってきた仕事のなかで、印象に残っているものはありますか。
里谷『オダイバ恐竜博覧会』では、子どもたちが楽しそうに体育座りで待っていたりするのがかわいくて、印象に残っています。あとは、『シルク・ドゥ・ソレイユ』の日本公演などもイベント事業局がやっていて、100万人以上も動員するイベントに携わっていると、うれしくなりますね。みんなが楽しみに見に来てくれて、「楽しかったね」って言って帰っていく姿を見ていると、そこにいるのが誇らしく思えます。
――トップアスリートの方は、セカンドキャリアで苦労するケースが多いと聞きます。その点、里谷さんは成功されているひとり。何か成功の秘訣などはありますか。
里谷 何か失敗して、大変だな、つらいなと思うことがあっても、わりとどうにかなるというか、(自分自身で)克服できるものだっていうのはあります。その一瞬一瞬はつらかったとしても、それがずっと続くことはないので、最初うまくいかなくてもちょっと続けてみたら、楽しくなったりもするよって思います。
――トップアスリートだったプライドが邪魔をして、なぜ自分がこんなことをしなければいけないのか、と思うことはありませんでしたか。
里谷 それはないですね。確かに取引先に名前を覚えてもらえるとか、そういうところでスキーをしていたことが役に立ったりはしますけれど、だからといってそれ(スキーで得た功績など)が、なぜ私がこの仕事をやらなきゃいけないのか、っていうところにはつながらない。
プライドと言うのであれば、むしろ当時よりも、スキーしかしてこなかった自分がこうして普通に仕事をするようになってからのほうが(プライドを)保てている気がします。
――現在はイベント事業局イベント販売企画部の副部長とのことですが、部下を持つと大変なことも多いのではないですか。
里谷 部長は大変だと思いますが、私は全然です。若い人のほうができることが多いし、優秀だったりもしますしね。たとえばSNSやインターネットのことなどは、彼らに聞いたりしています。
――競技を離れたあともフジテレビに残ってよかったと思いますか。
里谷 本当によかったです。私がどれだけ仕事で貢献できているかはわかりませんが、自分がやったイベントがうまくいったときはうれしいし、楽しいし、達成感は大きい。
今後、もしどこか違う部署に異動するようなことがあったら、またイチからなのだろうなと思うと、ちょっと沈む気持ちになりますが、そこでもまたやり続けていけば、きっと楽しいことが待っているんだろうなと思っています。
――今後については?
里谷 もう今年で50歳なので、定年までフジテレビにいようと思います。
――それまでに、こんなことをやってみたいという野望はありますか。
里谷 ずっとイベントに携わってきたので、いつかはスポーツ系、特にスキーのイベントをやってみたいと思っています。スキーのイベントは日本ではまだ人気がないので、だからこそ、もっと貢献できたらいいな、と常々思っています。
(おわり)

photo by Fujimaki Goh
里谷多英(さとや・たえ)
1976年6月12日生まれ。北海道出身。スキーのフリースタイル・モーグルの第一人者。オリンピックには1994年のリレハンメル大会から2010年バンクーバー大会まで5大会に出場。1998年長野大会で金メダルを獲得し、一躍脚光を浴びる。2002年ソルトレイクシティー大会でも銅メダルを手にした。1999年にフジテレビに入社。現役引退後も同社に勤務。現在はイベント事業局イベント販売企画部の副部長を務めている。
