本記事はRokt松田誠氏による寄稿です。
記事のポイントGoogleが発表した共通規格「UCP」により、AIが購買行動を代行するエージェント型コマースが本格化するAIによる体験の均質化や価格競争の激化というリスクに対し、企業はAI向けの基礎データの整備が急務となる顧客の購買導線が検索からAIへと移行するなか、単なる機能競争を脱して独自の体験価値を設計する必要がある
NRF: Retail's Big Show(以下NRF NY 2026)が今年もニューヨークで開催された。100カ国以上からリテールのキーパーソンが集まる本イベントは、世界の潮流を同じタイミングで学べる場として、日本からも500名超が参加したと言われている。今年のテーマは「The Next Now」。昨年のNRF NY 2025が「AIがリテールをどう変えるか」という将来予測を中心としていたのに対し、今年はAIがすでに起こしはじめている変革を前提に、「AIをどう企業の競争力強化につなげるか」へと議論の重心が移っていた。未来を語るのではなく、足元の変化を収益と顧客体験の設計に落とし込む。だからこそ「Next(次)」は遠い将来ではなく「Now(いま)」として提示される。日本のリテール企業、ブランド企業にとって重要なのは、この変化を「海外のトレンド」として眺めて終わらせないことだ。「日本市場は特殊だから」と立ち止まらず、実装と活用に踏み込んでいく必要がある。実装の速さが競争力を左右する局面に、すでに入っている。本稿では、NRF NY 2026の膨大な論点のなかから特に議論の中心に置かれた4つのテーマ--エージェント型コマース、境界の消失、リテールメディアの再定義、AI活用と組織への取り込み--を、4回の連載に分けてレポートする。

Google UCPが導くAIによる新しい購買プロセス

NRF NY 2026の最初のキーノートで、リテール業界にとってインパクトの大きい発表があった。「AIプラットフォームの転換とリテールにとっての新たな機会」と題したステージで、GoogleがUniversal Commerce Protocol(UCP:AIエージェント同士が商取引情報をやり取りするための共通規格)を発表したのだ。

ステージでのスンダー・ピチャイ氏(GoogleおよびAlphabet CEO)

UCPはエージェント型コマースのための共通プロトコルだ。エージェント型コマースとは、AIエージェントがユーザーの意図や状況を理解し、商品の選定・比較・購入・購入後の対応までを一連の流れとして主体的に実行する、購買活動の新しい形を指す。UCPはこの一連のプロセスを、特定のプラットフォームや店舗に閉じることなく、さまざまな小売・ブランド・サービスのあいだでつなぐための「共通言語」として位置づけられている。強調されていたのは、UCPが単に「検索を賢くする」仕組みではないという点だ。発見から意思決定、その先までを、顧客関係を中心に置いた購買体験として連結する。商品情報・在庫・価格・配送・決済・ロイヤルティプログラムといった要素を、AIエージェントが扱える形で橋渡しすることがその狙いだ。GoogleはUCPを「オープンで、特定の事業者や技術に依存せず、関係者と一緒に作る」と説明し、Shopify・Etsy・Wayfair・Target・Walmartなどとの共同開発であることを明かした。そのあとのNRFの多くのセッションで、UCPに代表されるエージェント型コマースは「来るかどうか」ではなく、すでに前提になりつつある変化として扱われ、リテールとブランドがどう適応すべきかが繰り返し議論されていた。この流れを「不可逆」と捉え、手を打たなければ取り残されるという危機感は、デジタルネイティブな事業者からも明確に語られていた。現地で同行視察したオイシックス・ラ・大地株式会社 Oisix EC事業本部 戦略室 室長の馬場康輔氏は次のように語っていた。 「エージェント型コマースによる顧客体験の進化が不可逆の流れのなかで、その波に乗るためにもAI-readyなデータ整備・基盤構築の重要性を強く感じた。EC発でデジタルネイティブなサービスではあるが、AI-readyの視点で改めて点検する必要がある」エージェント型コマースへの対応は、新機能の導入ではなく、商品情報・在庫・価格・オファーといった基礎データをどれだけ信頼できる形で整備できているか、という事業の土台を問うテーマだ。UCPが示したのは新しい購買導線の可能性であると同時に、その導線に乗る準備ができた企業だけが次の顧客接点を獲得できる、という現実でもある。

エージェント型コマースがリテールにもたらすインパクト

エージェント型コマースがまず変えるのは、消費者にとっての購買プロセスだ。AIが過去の対話や嗜好を踏まえて提案を最適化し、検索・比較・意思決定・決済までをひとつの流れにまとめていく。Googleのキーノートでは、Shopping Graph(商品・価格・在庫・販売者情報を統合したデータ基盤)を背景に、ユーザーが繰り返してきた検索や比較をAIがまとめて整理し、「買うべき候補一覧」として提示できることが示された。探索から購入までの時間が短縮されるだけでなく、自分の嗜好に基づいた意思決定が可能になる。一方で、NRFでより多く取り上げられていたのはエージェント型コマースが生み出すリスクだった。第一に、顧客理解と関係性の希薄化だ。会話の接点がAI側に移るほど、リテールやブランドは「なぜその商品が選ばれたのか」「どんな迷いがあったのか」といった検討の文脈を取りこぼしやすくなる。アップセルやクロスセルの設計にも影響が出る。第二に、体験の均質化だ。AIが消費者とブランドのあいだに入り込み、比較や提案のフォーマットが統一されるほど、ブランドが積み上げてきた体験設計はAIに媒介される形になる。「Webサイトの先へ。AIネイティブな消費者時代のリテール再設計」のセッションでも、外部AIが購買の入口になる世界で自社ブランドの存在理由をどう保つかが論点になっていた。

セッション中の写真 左から:バーナデット・ニクソン氏(アルゴリア CEO)、デイヴィッド・クラーク氏(フレイザーズグループ 最高顧客責任者)、ジェニファー・マイヤーズ氏(Microsoft Shopping 戦略的パートナーシップ責任者)

第三に、価格競争の激化だ。AIは仕様や条件を横並びで整理できるため差分が見えやすく、価格・配送・返品条件といった定量的な要素が意思決定の主要因になりやすい。リテールとブランドは、スペック比較の外側で「何で選ばれるのか」を再設計する必要に迫られる。第四に、販売活動の対象が変わる。「2028年を見据えた、リテールの次なる備え」のセッションでは、WGSNのカサンドラ・ナポリ氏が「SEOはGEO(Generative Engine Optimization:生成AIの検索結果に上位表示されるための最適化)に置き換わる」と語り、生成AI上で見つからないことが売上機会の損失につながり得ると指摘した。購買導線の主戦場がAIに移れば、露出の設計が「検索」から「AI」へ移ることを前提に考えるべき局面に入っている。

「AI-ready」に向けた取り組み

AIが商品を理解し、比較し、提案する世界では、プロダクトコンテンツとデータ整備が入口条件になる。「21世紀を定義するブランドづくりを巡るオフスクリプト・ディスカッション」のセッションでは、2026年にやるべきこととして、エージェント型AIの社内責任者を明確にし、商品をAIに対して「売れる状態」にするためにコンテンツとデータを整備したうえで、主要なAIプラットフォームでの実験をはじめることが挙げられていた。

セッション中の写真 左から:ハーレイ・フィンケルスタイン氏(Shopify プレジデント)、エマ・グレデ氏(連続起業家)、ベン・フランシス氏(ジムシャーク CEO)

従来のプロダクトフィードはデータ項目が少なく、会話型の購買プロセスに対して情報量が不足する。色・スタイル・素材・季節性といった文脈に耐えるメタデータを増やし、GEOやAEO(Answer Engine Optimization:AIが質問に答える際に自社情報を参照されやすくするための最適化)の前提条件を整えることが求められる。ただし、AI-readyの本質は「プロトコル対応」そのものではなく、リテールのファンダメンタルの強化だ。価格で負けないこと、在庫・配送・サポートといったサービスレベルで負けないこと--これらは購買体験やブランドで差別化が難しくなるエージェント型コマース時代ほど重要になる。NRFチェアマンのボブ・エディ氏も同様に、価格・サービス・デジタル活用による業務改善の重要性を訴えていた。一方で、この競争は規模とオペレーションに優れた企業が先行しやすい構図がある。GoogleがUCPの共同開発パートナーとして挙げたのがShopify・Target・Walmartといった企業であることからも、その構図は見えている。だからこそ、単なるスペック勝負から距離を取り、体験価値を設計することが重要になる。差別化の困難な日用品はAIがフルオート購入まで担い得る一方、「選ぶ楽しさ」や「体験の豊かさ」がある領域はAIに奪われにくい。たとえばランニングシューズは、単品で売ると価格と納期の勝負になりやすいが、ランステーションの利用権やトレーニング支援・コミュニティ参加と組み合わせることで「走って健康になる体験」として再定義できる。「商品」ではなく「体験」を売る発想が、エージェント型コマース時代のリテールとブランドにとって重要なテーマになると考える。

Roktの視点から

エージェント型コマースが購買導線を再編するなかで、「どこで、どのタイミングで顧客と接するか」はリテールとブランドにとって根本的な問いになりつつある。筆者が所属するRoktは、カートから購入確認画面にかけての「トランザクションモーメント」--顧客の注意と購買意欲がもっとも高まる瞬間--に着目し、AIを活用したリアルタイムのパーソナライズによって、顧客体験を損なわずにアップセルや関連オファーを提示するソリューションをグローバルのリテール・ブランドに提供している。エージェント型AIが購買の入口を変えても、購買が完了する瞬間の価値は変わらない。むしろその瞬間をどう設計するかが、次の競争軸になると考えている。
松田 誠(まつだ・まこと)Rokt合同会社 日本マイクロソフトでOffice 365を始はじめとした各種ソフトウエア・サービスのビジネスをリード。ケルヒャーでコンシューマービジネスの責任者を担当した後、2019年にRokt合同会社に入社。ビジネスデベロップメントとして日本市場におけるRoktビジネスの立ち上げと拡大に従事している。
写真:Rokt提供